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雨と梅雨と腐ったトマト

梅雨が近づいてきて、雨が降ることが多くなりました。
雨は好きじゃありません。髪の毛はくるくるするし、洗濯物も干せない。靴はびしょ濡れになってしまうし、低気圧は頭を痛くする。
悪いことばかりです。
でも、雨もそんなつもりで降っているわけではありません。東京で暮らしていると感じませんが、恵みの雨という言葉もあるくらいです。
雨が降るのが嬉しい時だってあります。

少し話が変わるのですが、何かの本で、コピーライターの仲畑さんが、子どもたちに腐ったトマトを褒めさせるということをしたとか。そんな話を目にしたことがあります。子供達は、虫がいっぱいいそうだとか、罰ゲーム専用だとか、いろんな考えをそれぞれ言っていたみたいです。
腐ったトマトって、腐って食べられないとい一面だけ見ると、本当に無価値なものです。でも視点を変えれば価値あるものになる。
そんな話だった気がします。

雨も一番最初に述べた悪いところだけ切り取ると、価値を感じないものですが、家の中で聞く雨の音は心を落ち着かせてくれますし、逆に傘をささずにずぶ濡れになってみるとなんだか洗われた気持ちになりますし、雷は気になるあの子と話す口実になったりしますし、雨で壊れた傘も一緒に帰る理由になったりします。


何より僕は雨の夜が好きです。静かでちょっと寂しい夜の素敵なBGMみたいで。邪魔にならないし、ないとそれはそれでなんだか物足りない。そんな風景が好きです。僕らの身の回りには、嫌いだと一括りにして、別の一面を探すことを諦めてしまったものたちが、結構溢れているかもしれませんね。



これは本当に余談なのですが、僕のペンネームである雨野よわはこういう由来で名付けました。
よわは「夜半」と書き、夜や夜更けという意味。よはとも読みます。
なので雨野よわは、意味から考えると「雨の夜半」が正しい字面です。
ちょっぴり覚えておいてもらえると嬉しいです。

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