【創作大賞2023 恋愛小説部門】素足でGo! ①
あらすじ
1話『うっかり六兵衛、宇宙へ行く』
笑い転げていました。
「こっちが無理して来てやってんのに」
とかあれだけ怒鳴っていた取引先の偉い人が、今はニコニコとしている。
チリチリの髪の毛が肩までかかっているでっぷりとした体躯の人が、ずっと僕に野太い声で罵っていたのに、今は笑っている。
「この会社は、お客にお茶も出さないんですか」
とかキレッキレな嫌味を言っていた見た目が普通のおじさんも、本当にソファから落ちて床に転がっていた。
都心で大雪が降り、電車が止まって上司が来れない事を告げたら、
「そんなもん、千葉なんだから釣り船でもチャーターして海わたって来いよ!」
とか、小学生のなぞなぞの答えみたいな事まで言っていた、モンスタークレーマーの二人だったのに。
総務部のソファから離れ、営業部の自分のデスクに戻り、サンプルを取って戻ってきたら状況が一転していました。
二人の前に、総務部の女の人が立っていた。
名前の知らない美人な人。
最近中途採用で入社した人らしい。
ゲンコツにした手で自分の頭を叩いて舌を出しているポーズをとっていた事務員さん。
「お待たせしました。えーっとこちらがサンプルになり………えっ!」
総務部と応接ソファを仕切っていたパーティションを超えたら、その光景が広がっていた。
好々爺のように優しい眼差しで見つめる取引先の偉い人。
お腹を抱えて転がっている普通の人。
変なポーズをとっている事務員さん。
その足元には両方のパンプスが床に転がっている。
事務員さんは靴を履いていない。
僕はびっくりして、サンプルの資料を床にドサドサとこぼれ落とした。
「………………………」
不倫が見つかった修羅場のように、各々そのままのポーズで固まっている。
「いったい……何を…」
僕がかろうじてその言葉を言うと、まず床に落ちていた普通の人が我に返った。
ゴホンと軽く咳ばらいを白々しくしながら、立ち上がりズボンをはたいた。
「失礼しました」
事務員さんはペロッと出していた舌をしまい、整然な表情に変わった。
アイロンが通った後の皺のないシャツのように、一瞬にして釈然としている。
そして、何も恥ずかしい所を見られた照れくささなどを一切に見せず、変なポーズからストンと普通に立ち直した。
ゆっくりと頭を下げ、脱ぎ捨てたであろうパンプスを履き直し、その場を立ち去ろうとしている。
「ちょ! ちょっと待ってくれっ!」
取引先の偉い人が事務員さんを呼び止めた。
「あぁ、本当にごめん、君、この人の落語を最後まで聞かせてくれないか?」
頼む! と、僕に頭を下げた。
落語ぉ? なんだろう、落語って……。
呆然と立ち尽くしている僕に、「頼むっ! 頼むよ、この通り!」と僕に手を合わせて拝んでくる。
「えっ…はいっ……あのっ…ら、落語…ですか? あっ……はいっ…それじゃあ…」
僕がしどろもどろにそう言うと、席に戻りかけた事務員さんは元の位置に戻った。
「はい、分かりました、続けます。…………えーっと、どこまでやりましたっけ?」
口調と表情が硬いまま事務員さんは言った。
さっき、ベロをだして内またを広げておどけていた人と同一人物には見えない。
「六兵衛は宇宙に辿り着いたけれども、大事な酸素と宇宙袴を忘れている事に気づいたそうです」
と、ソファに座り直している普通のおじさんが言った。
宇宙ぅぅ? 酸素ぉ?
なにその古典落語?
ますますもって分からない。
事務員さんは、目を閉じた。何かに集中している。
「大輔君、あなたが席を外している間、楓さんが大学の論文で作った創作落語を、お客様に披露しているのよ」
パーティションのすぐそばの席に座っている同期の花江さんが、パソコンの画面から目を離さず、僕に小声で教えてくれた。
事務員さんは楓さんという人らしい。
指揮者が棒を振るように腕を動かしている。
ワンツゥースリー、ワンツゥースリィー……。
と振っている。
どうやら僕のせいで落語のテンションとリズムが取り戻せないらしい。
足を激しく揺さぶって、片方の足のパンクスを履き捨て、床に転がした。
もう片方の足も、玄関で手がふさがっている人みたいに、足の遠心力で脱いでいる。
「大輔君、この落語はね『うっかり六兵衛、宇宙へ行く』というタイトルなのよ、それでその靴は、スペースシャトルのサブロケットエンジンを表現しているのね」
花江さんがまた小声で教えてくれた。
違うんだ。
僕が理解できないのは、落語の内容ではなく、なんで、落語なのか? なんだよ花江さん。
大事な取引相手に、なぜ、落語をしているの?
僕が叱られまくって席を外してから、どうゆう経緯で落語が始まったのかが知りたいんだ。
楓さんは大きく息をスゥーっと吸い、目をカッと開け、首を右側に傾け、
「ピ…六兵衛ぇ! 宇宙にすっぽんぽんで行く奴がいるかぁ! こぉの、すっとこどっこいぃ!」
と言った。
そして今度は左を向いて、「てへへへ…どうりで寒いと思いやした!」
と頭を掻き始めている。
本当にオフィスで落語を始めてしまった。
もう僕はコンプライアンスとかを考える思考力を失っていたので、呆然と立ちつくしながら、取引相手と一緒に落語に耳を傾けることにした。
六兵衛は裸で宇宙に行ったんだなぁ……
大気圏突入用のパネルを忘れた→江戸っ子は暑い風呂に慣れている。
パラシュート忘れた→籠の中に傘を見つけたから問題なし。
宇宙食を忘れた→武士は食わねど高楊枝。
と、無線で指示を出す本部に叱られるたびに、適当な事を言う六兵衛。
「ピ…ちゃんと、籠の中にあった取扱説明書を読んだのかぁ! 六兵衛!」
「空を飛ぶところまでしか読まなかったぁ! 失敬、失敬!」
楓さんは、ゲンコツで後頭部を小突き、舌をチョロっと出した。
あぁ……僕はこのタイミングで邪魔してしまったんだね、すいません。
それにしても、六兵衛は手ぶらで宇宙に行くとか非常識だよな、ピクニックじゃないのだから。
こうゆう無計画な旅行者のせいで、あとで莫大な費用をかけて救助隊が出動しなければならなくなるのに、まったく迷惑な人だよ。
楓さんは息を思い切り吸い込んだ。
膨らんだほっぺたの表情が可愛かった。
それを一気呵成に正面に向かって、ぷーっと強く息を吹きている。
そして、後ろに軽く一歩だけ下がった
どうやら六兵衛はそうやって宇宙空間を移動する事にしたらしい。
そもそも、こんな偏差値の低い落語を、どこの大学の何ていう学部の論文で作ったのだろう。
こんなんで単位がとれたのかな、楓さん。
宇宙船の窓をトントンとノックする人が現れた。
アルミサッシを開けるようにガラガラガラと窓を開け、「なんでぇ、誰だぁ」と言う六兵衛。
ねぇ、そんなフランクに宇宙船の窓って開くの?
「オイラァ……火星人だぁ…」
喉にチョップしながら言う楓さん。
「木星って…どっちでしたっ…けぇぇぇぇ…」
美人な人なのに……。
容姿端麗できちんとしてそうな人なのに。
仕事中に喉にチョップして火星人の真似をしている。
凄いなぁうちの会社の人事部。こうゆう人、採用するんだ。
「おぅ! あっちだあっち! 気ぃ付けていけぇや!」
宇宙船の窓枠から身を乗り出し『あっち』を指さしている。
宇宙なのに、下町の近所づきあいみたいに気軽に外に出る六兵衛。
ふと、その六兵衛がさしている会社の窓の外を見た。
相変わらず、雪がザンザンと振っている。
僕の上司は動かない電車の中で、閉じ込めれたままである。
他の同僚も汗水たらして働いている。
だけどこの総務部のフロアだけは、楓さんの落語の世界にひたっているようだ。
みんな手を動かさないでこっちを見ている。
同期の花江さんが、僕に向って横にズレてくれと手で指示をしている。
どうやら僕が立っている位置だと楓さんが見えないらしい。
2歩左に避けたら、指でオーケーマークしてくれた。
僕と対応していた時の取引相手は、あれほど荒ぶれていたのに、いまは優しい眼差しで楓さんを見ている。
まるで、幼稚園のお遊戯を一所懸命に引率している可愛い先生をみているようだった。
六兵衛は小腹が空いたらしく、宇宙船の台所をまさぐっていたら『緑のたぬき』を見つけた。
さっきは武士はナンチャラ爪楊枝とか言っていたのに。
お湯を注いで3分待つ間、イタズラに『寿限無』を唱えていたら麺が伸びてしまっていた。
ゾルルルゥ…。
左手で丼を持ち、右手で箸を持ちながら、口でゾルゾルと言っている楓さん。
丼を両手で持つ真似をし、ズズズとそばつゆを飲んでいる。
そのズズスという擬音が、ちゃんと水分を含んだ音がしている。
唾液を飲んでいるのかな、えげつないほどに上手い。
ぷはーと息をつき、箸で摘んだ蕎麦をトーントーンと丼の端っこで水気を切り、お蕎麦を口の中に放り込んでいる。
その仕草が絶妙に旨いので、なんだか僕も蕎麦を食べたくなってきた。
お腹すいてきたなぁ。
ところで……、
宇宙船に台所。
江戸時代にカップ麺。
という事がちょっと気になりだしてきた。
だけれども、そんな所に引っかかっていては、楓さんの落語に振り落とされてしまう。
宇宙って行ったってご飯は食べるのだから、そりゃ台所だってあるだろうし、浅間山荘事件って江戸時代の頃の話だし……、ヨシッ、……問題はない。
宇宙服の上にエプロンをして宇宙船の台所でカレーを作っている主婦に、違和感はない。
ちょんまげ頭の町奉行が『じゅって』を脇に挟みながらカップラーメンを啜っており、その後ろで武家屋敷に鉄球がドーンとぶつかっている時代考証は、何一つとして間違えがない。
うん……大丈夫、
さぁ落語に没頭しよう。
「ピ…、どうだい六兵衛、宇宙から見える地球はどんな感じでぇ」
「地球ですかぇ……」
六兵衛はみどりのたぬきのカップ麺と箸をそっと丁寧に、どこかに置いた。
「そうですねぇ」
感慨深く窓の外の地球を見つめる六兵衛。
置いたカップ麺と箸が無重力のせいかフワフワと浮いているらしく、捕まえて、また、どっかの上に置いている。
「地球は…」
目は真剣そのものなのだが、何度もカップ麺と箸が浮くらしい。
手はせわしなく動かしている。
「地球は……」
いちいち浮いてくるカップ麺と箸にムカついてきたらしく、ワシワシと丸めてゴミ箱に向けて投げた。まだ蕎麦のツユとかあっただろうに。
立ったまま足を組み、手の甲を口元に置いてロダンの考える人のようなポーズを取り、ダンディズムに地球を見つめている。
「地球は……」
4回目を言った。
もういいから。
さっさと『青かった』って言えばいいじゃんか、六兵衛、貯めすぎなんだよ。
六兵衛は窓枠から視線を外した。
楓さんは雪がシンシンと降り続ける総務部の窓の方を見ている。
けど、瞳のソレは遥か彼方を見つめている。
どこだ…どこを見ているんだ。
両手の手の平をぶわっと広げて、「地球は…」と5回目を言い、片腕ずつ洋服を畳むように胸元に優しく置いた。そしてぎゅっと目をつぶった。
宝塚?
なんだよ急に。
今から私は『人類史に残る名言をいうのよ』とばかりに、言葉を溜めに溜めている。
今、仕事中だよ、楓さん。思い出して!
そうゆう事は、タイムカードを押してからにしようよ。
取引相手の人は手にしている折り畳み傘をぎゅっと掴んでいる。
普通の人も、お茶を手にしたまま体を前のめりにしている。
僕は唾を飲み込んだ。
楓さんは目をカッと見開き、胸元に置いていた両腕を、宇宙ごと抱きしめるかのように大きく広げ、
「地球は……、ガガーリンよおぉ!」
と叫んだ。
『よぉ』の小さい『ぉ』が総務部に響き渡る。
そして静まり返る。
「はぁぁ⁉」
予想外の所から声がした。
総務部の端っこにいた主任だった。
あの人はずっと我は関せずと、一人だけ無表情にパソコンのキーボードを打っていたはずなのに、突然に大声を出した。
なんだ、やっぱり聞いていたんだ主任。
そして、机をバシンと叩きながら、「地球が、ガガーリンって意味わかんないわよ!」
と大声で叫んだ。
勢いよく席を立ったものだから、ローラーつきの椅子が後ろに滑って壁にゴツンと当たった。
みんなが楓さんではなく、主任を見ている。
『分けわかんないよぉ』のこだまがまだ総務部のオフィスを駆け回っている。
そのこだまが聞こえなくなると、樹海の森のなかのような静けさになった。
どこかの会社からのファックスの音がチリチリと鳴っている。
「ピ………地球がガガーリンって訳わかんねぇよ…………」
地球にいる本部の人の声を楓さんが無線で主任と同じことを言いだした。
「主任に…オチを先に言われてしまいました………お…おあとがよろしいようで……」
楓さんは静かにゆっくりと頭を下げた。
あぁ……『地球はガガーリン』とか、荒唐無稽な六兵衛の発言を無線で本部がツッコミを入れる所を、どうやら主任が先に言ってしまったらしい……。
せっかくみんなで楓さんの落語の世界に浸っていたのに……主任。
あなたはどこの世界から割り込んできたんだよ。
「き…きみぃ!」
取引先の偉い人が主任を指さして怒っている。
「あぁ…みなさんなさい…、ごめん…本当にごめんなさい」
主任は手を合わせてみんなに何度も頭を下げた。
なぜか、かけていたメガネも外して謝っている。
「チーフぅぅ、なんでせっかくのオチを言っちゃうかなぁ!」
総務部のフロアの人たちがみんなで主任を責めている。
普段は無表情な主任が、本当に申し訳なさそうにみんなに謝っている表情を見ていたら、みんながどっと笑い出した。
「おあとがよろしいようで…」
楓さんが2回目にそう言うと、取引先の人が席から立ちあがり、拍手をした。
「いやぁ素晴らしい、感動した、お見事」
そう言いながら、楓さんの手をぎゅっと握って笑顔で握手をしている。
なんだ、笑うと結構かわいい顔をしている人だったんですね、取引先の人。
目だけではなく、顔の皺まで垂れ下がっている初老の笑顔。
孫と接している優しいおじいさん。
しつこく握っている握手も、厭らしさをまったく感じない。
結構、普通の人でほっとした。
次からは私も普通に接する事ができそうだ。
「いやぁ、今日は日を改めさせてもらうよ、色々と無理な事を言って悪かったわ、千葉にいる上司によろしく伝えといてくれ」
と取引先の人は僕に言い、カバンと折り畳み傘を持った。
「君、この会社でいくら貰ってんの? 良かったらうちの会社にこないかね」
と楓さんの引き抜きまでしている。
楓さんは何も答えず、ニコニコとしている。
さぁ帰るぞ、とまたソファから転げ落ちている普通の人を起こそうとした。
けど、また身体に力が入らないぐらいにまだ笑いが収まらないらしく、立ち上がれないらしい。
取引先の人は歩けない部下の腕を、負傷兵のように自分の肩にまわして担ぎ、総務部の出入り口まで歩いていく。
「玄関までお見送りを致します」
と僕は二人の後をついて行った。
あぁ幸せだ。こんなに仕事中にお腹の底からみんなで笑える日が来るなんて。
今日、大雪の中、家に帰れるかどうかなんか、もうどうでもいいや。
楓さんはぷりぷりと怒っていた取引先の前で、どうやって落語を切り出したのだろう。
『うっかり六兵衛、宇宙へ行く』の落語の冒頭からちゃんと聞いてみたいな。
どうやって宇宙へと飛び立ったんだろう。
他にも落語の作品はあるのかしら。
六兵衛は無事に帰還できたの。
地球はガガーリン。
できれば、楓さんとお友達になりたいなと思った。
あとがき
2018年につくばマラソンに参加した際、裸足で走っている人をみました。
『H』のゼッケンを着いていたので、最後方からスタートしていた。
真剣な表情のイケメンな青年でした。
なんで裸足なんだろうと思い、勝手に理由を考えていたら、楽しくなってしまい、小説に致しました。
素足でGO!という小説の1話と2話の間に、『コンプラ破壊女王』という小説が本当は入っていました。
訳あって分けました。
良かったら、そちらもどうぞ
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