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【創作大賞 恋愛小説部門】  素足でGo! ⑦

7話『アベベのせい』


スタート地点の垂れ幕を潜る。
ここがゴールじゃなかったんだ。

地元の中学生のバスケ部の男の子達が、沿道で一列に並んでいた。
ハイタッチをしてくれと、全員が手を差し出している。
回っている扇風機をイタズラに止めるような感覚で、30本ぐらいの手をパパンと叩いていった。

 この辺りか、楓さんに「裸足でここまで来たの?」って言われた場所。
ホント、面白いなぁ楓さん。
4時間もたっているし、今頃はもう家に着いたかな。

 ふくらはぎと膝があまりに痛くて、なんとか負担が掛からない走り方を編み出した。
内股を閉じて、両足を外へ逃がす走り方。
小学生の女子がよくやる走り方。これが一番、今、楽な走法。
バランスを保つために、腕もなるべく横に振っている。
あと、あまりに辛かったので、ちょっと声にだして笑ったりもしていた。
沿道で声援を送っている人にとって僕は、ニューハーフの人がルンルン気分でお花畑を走りながら、「僕を捕まえてごらーん」とエンジョイしている人に見えているのかもしれないな。

おぉ、つくば市民よ、茨城県民よ。

この僕の滑稽な走りを見て大(おお)いに笑いたまえ!
プライドはとっくに捨てた。
ゴールさえすれば、もうどうでも良い。

 つくば大学の陸上競技場の中に入ると、ゴールが見えた。
アスファルトから競技場のトラックのゴムに変わり、足の裏が楽になった。
あのゴールのアーチを潜りさえすれば、もう走らなくて済む。
ひざはもう曲げられないので、竹馬に乗っているような走り方をしている。
足で推進力を稼ぐ事は無理なので、とにかく腕を振ろう。
高速デンデン太鼓のように腕を乱れ振った。

長かったなぁ。
この4ヶ月間の奮闘の総決算をしていた。
グダグタな走法で一歩ずつ進み、なんとかゴールに辿り着いた。
パンツのポケットからチップを取り出し、しゃがみこんで青いマットをタッチする。
バランスを崩して、でんぐり返りをしてしまった。
わざと格好をつけて回転をしてゴールをする人、と周りの人に思われたらしく、クスクスと笑われている。
このままここでしばらく寝転んでいたかったのだが、後ろの人に迷惑だろうと起き上がり、ペタペタと歩き出した。 

 呼吸が乱れて、咳が止まらなくなり、むせっかえりはじめた。
500ミリのお水を配っているスタッフが、「大丈夫ですか?」と言いながら、僕にくれた。
ペットボトルの蓋を開け、グビグヒと飲んだ。咳き込みが落ち着いた。

 フェンスに寄りかかって、しばらくボーとしていた。
今すぐにワープして、家に帰りたい、もう一歩も歩きたくない。
「すいませぇーん、インタビューをしても宜しいですか?」
マイクを持ったお姉さんが僕の方に来た。
ですか? すか? か? とエコーがかかっている。
どうやらこのマイクは会場中に流れているらしい。
嫌です、と、もしインタビューを拒否したら、嫌です、やです、です、す、とサービス精神のなさがエコーになって、何千人に聞かれてしまう。
仕方なく、はい大丈夫ですと答えた。

「なんで、裸足で走ったのですか?」
と、ど直球な質問がいきなりきた。
「えっ……」
なんで裸足? 
………本当、なんでだったっけ………もう忘れかけてたよ、そんな事。
楓さんに裸足で走ってと言われ、でも靴を履いてとも言われ、でも裸足で走るのが趣味だと僕は言い返した。
なぜ裸足で走るのか? それは趣味だから………だったっけか?
マイクをこっちに向けられたまま、僕は答えようとしない。
あれっ……本当になぜ、僕は今、裸足なんだ。
急いで理由を見い出そうと、水をグビグビと飲み始め、ぷはーと息をついた。
グビグビとぷはーの音が、会場中に鳴り響いている。
さっきのヨガの人……なんて言ったっけな。
ホモがサイエンス……じゃなかった……もういいや、適当で。

「アベベさんがぁ………」
なぜ裸足で走るのか、その理由の全てをアベベのせいにする事を試みた。
アベベのファンで、リスペクトをしている、とかなんとか……。
でもアベベが、いつの時代の何処の国の人かを僕は知らない。
あと、なんでアベベが裸足だったのかも知らない。
さらに、マイク越しに何千人を前にして、嘘を突き通せる程の度胸もなかった。
「アベさんですか?」
アベベと一言だけ言ってから、何もしゃべらない僕に、業を煮やしたお姉さんが聞き返してきた。
誰だよ、アベさんって! 内閣総理大臣?
まったく…。 あぁ…もういいや、適当で。

「あの…えーっと………………ランニングシューズを忘れたんで、裸足で走りました」
僕がそう答えると、お姉さんはびっくりして目をぱちくりさせた。
言葉を失っているらしく、息を飲んでいる。
「すご……凄いド根性じゃないですかぁ!!」
マイクが割れんばかりの大きい声で言った。
もぅうるさいよ、ほっといてくれよ。
あぁ…せっかくボケたのに、スベったぁ!
マイク越しで、知らない人が何千人も聞いてるマイクで、鬼スベリしたぁ。
『そんな訳ないだろ!』っておでこをピシャリと叩いてもらいたかったのに。
「どんなトラブルが起きても、絶対に諦めないお兄さんに、皆様、盛大な拍手をお願いしまーす」
お姉さんはマイクをわきに挟み、拍手をしだした。
会場からも、まばらにポツポツと拍手の音が聞こえる。

マラソンやるのに靴を忘れてくるのがトラブル?! 単なるバカじゃねぇか!
競技場のスタッフにそう思われているような気がする。
だって、目の前のスタッフのおじさんは、おもちゃのチンパンジーがタンバリンを叩いている時みたいに、雑な拍手をしているし。
「来年は、ランニングシューズ、忘れないでくださいね!」
嫌味ではなく、天然で言ってくるお姉さんに、ボソッと「はい、そうします」とマイク越しにお礼を言って、またペタペタとトラックのゴムの上を歩き出した。
シューズを忘れたから裸足で走るとか、そんなド根性があるんだったら、もっと営業成績いいんだろうなぁ。
ランニングシューズ忘れました、の後に、なぁーんちゃって、って言えば、会場中を大爆笑にできたのかも……。

 スベッた事を気に病みながら、トラックの流れにまかせて歩いていると、完走証発行所という所についた。
仮設テントの中でテーブルの上にノートパソコンとプリンターがあり、スタッフが8人体制で次々に印刷をしていた。
 空いていたので若いギャル風のお姉さんの所に行く。
僕のゼッケンを見て、そのゼッケンの数字を、長くて派手な爪でノートパソコンに打ち込んでいる。
プリンターが印刷しているあいだ、僕が裸足な事に気付いたらしく、フッと軽く失笑した。
僕はそれを見逃さなかった。
たぶん、放送を聞いていたのだろう。
「今、笑いましたよね」
「いえっ………笑っていません…」
プリンターはプリプリとした音をたてながら、印刷している。
ギャル風お姉さんは、必死に笑いを堪えようとして、頬っぺたを膨らませている。
「嘘だ! 僕の裸足を見て、今、ぷって笑いましたよね、見たもん」
「………はい、笑いました、靴……忘れたんですって、ウケるww」
正直にそう言ってくれたので、二人でハハハと大爆笑した。
あぁ、この子に笑ってもえたんだから、裸足で走ったのも、悪くなかったかもな。
印刷された用紙を僕の方が正面になるように裏っ返しにして、きちんと表彰式授与みたいに僕に両手で渡してくれた。
「完走、おめでとうございます」
こげ茶の肌と、何重にも塗りたくった目元の笑顔で言われた。
タイプではなかったが、キュンとなった。
「ありがとう」
僕も両手で受け取り、心から、お礼を言ってその場を離れた。
印刷された記録を見たら、4時間17分だった。
あぁ、やっぱりこんなもんだったか……。
17分も間に合わなかった。

 ため息を付きながらテントを出ると、紙袋を手渡された。
中身を見ると、うまい棒と醤油とお菓子のランドグシャが5.6個入っていた。
さっき飲んだ水を紙袋の中に入れ、またペタペタと歩く。

 地元の中学生の女の子達が、20人ぐらいで椅子に座りながらシューズにつけているチップを、ラジオペンチで取ってあげていた。
集団くつみがきをしているみたいで、少し異様な光景だった。
いたいけな女の子に足を差し出すことに対して、ランナー達は少し躊躇(ためら)っていたが、チップをくくりつけている針金をチマチマと外す気力がなかったので、みんな申し訳なさそうに頼んでいた。
裸足の僕は、チップを手渡しするだけで良いのだが、下しか見ていない子に突然裸足を差し出して、悲鳴をあげられたらやだなぁと思っていた。
そしたら、一番うしろにいる子と目があった。
その子は、下を見ず、真っすぐに僕を見ている。
髪の毛を左右にツインテールにしていて、目がパチっと大きく、鼻筋も良く伸びていて、ウルトラの母に似ている可愛い子だった。

たぶんクラスの男の子の人気者なのだろうな。

あの子にしよう。
僕が段々と近づくと、歯科矯正の歯をむきだしにしてニコッと笑ってくれた。
優しい眼差しで僕を見てくれている。
まるで、なぜ僕が裸足なのか、その理由の全てを見透かしているようだった。
「はい」
僕がチップを手渡すと、
「お疲れ様」
と言って受け取ってくれた。
E.Tと「トモダチ」と言いながら中指を合わせているような気分だ。
ちょっとチップが光った気もしたし。

 左手に紙袋、右手に記録表を指に挟んだまま、バイオハザードのゾンビのようにトラックを歩き出した。
たぶん、目つきもゾンビ。
もういっその事、ゾンビになってみようと思い、両腕を前にダランと伸ばして『前ならえ』のまま歩いてみた。

なるほどっ!

重心が前のめりになり、今の僕には歩きやすい。
身体が腐っているゾンビには、この歩き方は合理的だ。
フルマラソンを完走したら、ゾンビの気持ちに近づけれた。

ここから陸上競技場を出て、隣の多目的広場まで歩いて行き、仮設テントで着替えて、バスに乗り、つくばエキスプレスに乗って、電車を乗り継いで神奈川のアパートまで帰るの………めんどくせぇ……。
フルマラソンはゴールしても終わらない。
家に着くまでがフルマラソン大会、遠足と一緒だ。

 そう考えていたら、もう何もかもしんどくなり、立ち止まった。
周りのランナー達が、ポテポテと僕を追い抜いて行く。
 多目的広場の方が色んな店屋物と簡易更衣室があり、みんなはそこを目指していた。
陸上競技場のこのトラック付近はパラパラとしか人がいなかった。

 あの筑波山の……もっと向こうかぁ、神奈川………遠いなぁ。

山のもっと上を見て、空を見つめ、もっと上の自分の頭の上の天を仰ぎ見た。
この辺の空気が綺麗な事もあり、雲も少なく、高く澄みわたった青空がどこまでも広がっていた。
疲労で頭がクラクラしてきて、立っているのがやっとだったが、ずっと見つめていた。

「田中大輔はベストを尽くしました」

僕は両腕をめい一杯に広げながら、声に出した。
60兆ものチャクラを宇宙に放つくらい、今日の僕の実力で、全力を出し切った。

もうそれでいいじゃんか、大輔。

楓さんとお付き合いをする人は、きっとこれくらいの事を苦労もせずにちゃちゃっとできてしまう人なのだろう。
楓さんは、僕の全身全霊が通用しないくらい、とても素敵な女性なんだ。
彼女とお付き合いをする男の人を、心から称えよう。
嫉妬をするとか二人に失礼だ。
もう楓さんにまとわりつくのは、迷惑だから、これからはそっとしておこう。

 僕に、勘違いをありがとう、楓さん。

真上を見ていた顔を元通りに前を向き、両腕を畳んだ。

楓さんは、もう諦めよう。

けど……、もしかしたら、スタバでコーヒーぐらい、奢ってくれるかもな。
 一歩も歩けないぐらい気力と体力を使い切ったじゃないか、さぁ、帰ろう。
そうだビールを飲もう。
キンキンに冷えたビールを飲もう。唐揚げも食べよう、大学の時の友達の近ちゃんでも誘おうかな。

 さっきから、観客席で蕎麦をゾルゾルと食べている人がうるさい。

よっぽどお腹を空かしていたのだろう。
それにしてもそんなに豪快に道路工事みたいにゾルゾルと音を立てないとすすれないのかよと思い、音がする方を見たら、楓さんだった。

「あっ………」

 僕の方を見ながら、誰もいない観客席の芝生の上で一人、立ったまま蕎麦をふーと息を吹きかけ、また啜っている。
ゴールするまでここで待っていてくれた嬉しさと、でも4時間切れなかった切なさが入り混じった気持ちで、僕は楓さんを見つめていた。

「帰ったんじゃなかったんですかぁ!」

5メートルぐらい離れている楓さんに向かって言った。
麺を食べきったらしく、汁を飲んでいる。
お椀を傾けながら、飲んでいる。

さっき怒鳴っちゃったし、ちょっと気まずいな。

朝に合った時は、白いダウンのコートを着ていた。
それを手にかけ、ジーパンとダークグリーンのニットを着ている。

楓さんは何も答えない。

山賊がお酒をかっくらっているかのように、プラスチック製の丼を掲げている。
もぅあの角度で長いこと傾けていたら、とっくに飲み干しているはずなのに、顔から丼を離さない。

「17分も間に合わなかったぁ! ごめんなさぁい」
僕は大きな声で言った。
楓さんは、どんぶりを外して、こっちを見つめている。
顔が整っている人の真顔は、怒っているのか、普通なのか分かりづらい。

「大輔君、それ、見して」
僕が手に持っている紙袋を指さした。
大したものなんか入っていないのに。

一歩、歩き出す。
右足も左足もすべての足の細胞が痛い。
びっこを引きながら楓さんに近づく。
ゴムのトラックから芝生に変わり、チクチクと足の裏に芝が突き刺さってくる。
「中身、お醤油とかですよ」
観客席と競技場の間に、僕の胸の高さまであるフェンスがあった。
楓さんの膝小僧の高さが、僕の頭の高さの位置になった。
紙袋を掲げて差し出そうとする僕に、
「紙袋じゃなくて記録証の方を見して」
と言われた。
僕は紙袋を手にしていた左手を引っ込め、右手の記録表を手渡した。

 ニットの服って可愛いな。

楓さんの身体の細さと胸の膨らみが強調されている。
この人を抱きしめる事ができる人は、どれだけ幸せなんだろう。
秋風が少し吹き、楓さんの少し茶色がかった髪の毛が揺れている。
下から見上げているので、楓さんの顔の後ろのシルエットが綺麗な青空だった。

ヴィーナス? 天使? なんじゃこりゃ。

もうあまりに美しすぎて吸い込まれそうだ。
僕が疲れているからなのか、このまま楓さんをずっと見ていると、気絶しそうだ。
楓さんの鼻が少しピクピクと動いている。
「凄いよ、大輔君、4時間切ったじゃない」
そう言って記録表を僕に手渡してきた。

4時間切ったぁ?

そんなはずはない。
記録表を見ると自分の名前の下に、4時間17分23秒と書いてある。
「すいません、ごめんなさい楓さん、やっぱ17分過ぎてま……」
記録表から目を離しさんの方を向いたら、泣いていた。
「その下のネットタイムよ……3時間56分でしょ……………良く頑張ったね、凄いよ」

ネットタイム? なんじゃそりゃ。

もう一度記録表を見直すと、確かに、『ネットタイム3時間56分58秒』と書いてある。
「楓さん、ネットタイムって何ですか?」

目に貯めていた涙が頬を伝っている。
自分の人生でこんなに間近に女性の涙を見るのは初めてだった。
どう接して良いのか分からず、僕は楓さんから目を離し記録表を見直した。
5キロ毎(ごと)に通過時刻とラップタイムが載っていた。
ラップタイムを全部足せば、そのネットタイムなのかなと思い、暗算で計算をしていた。
28分27秒たす、26分46秒たす、27分03秒たす………。

「届かないから、もう2.3歩前に、フェンス際に来て、大輔君」
話しかけられたので、暗算の数字が頭からどっかに行ってしまった。
記録表から目を離し、僕は言われた通りフェンスに体をぴったりとくっつけて、
「届かないって何がですか?」と聞いた。

楓さんは手すりに手をかけてジャンプし、鉄棒のようにお腹を手すりの上に乗せた。
しゃがみ込み、僕に顔を近づけた。
プラスチックの丼と割りばしを持ったまま、僕の顎(あご)を優しく包み込み、目を閉じ、キスをした。
楓さんの手と僕の顎に挟まっているプラスチックの丼がバリバリと音を立てて壊れた。
割りばしが、頬っぺたをグイグイと突き刺している。
僕は、手に持っていた記録表と紙袋をドサッと落とした。

世界の時間が止まった、僕の都合で。

 僕の唇から離れると、今度は汗をかき過ぎて塩が吹き出ている僕のおでこに、自分のおでこを重ねた。
そして何かを小声で言った。
でも、プラスチックの丼の壊れる音が、僕の耳に近すぎて、よく聞こえなかった。
 けど、なんとなく分かる。
楓さんの気持ちが伝わった。

キスって誰が最初に考えついたのだろう。
「このフェンスを早く飛び越えて、こっちに来て、大輔君」
僕は落ちていた紙袋を拾い、風で少し飛んでしまった記録表を走って取りに行った。

あれだけ動きたくないってボヤいていたのに、普通に走れた。
フェンスに戻ると、軽々と綿毛のように飛び越える事もできた。
動けんじゃん、普通に、大輔。
楓さんは、ふふふ…と笑い、笑顔になった。
さっき、僕がゾンビみたいな動きをしている所を見ていたのだろう。
この笑顔が見れるのなら、僕はなんだってするよ。
「一緒に帰ろう」
そう言いながら僕の腰に腕を回して抱き着いてきた。
僕は楓さんの肩にそっと手を置いた。

       了



あとがき

2018年につくばマラソンに参加した際、裸足で走っている人をみました。
『H』のゼッケンを着いていたので、最後方からスタートしていた。
真剣な表情のイケメンな青年でした。
なんで裸足なんだろうと思い、勝手に理由を考えていたら、楽しくなってしまい、小説に致しました。

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