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レビュー『浦沢直樹の漫勉 neo』の超意味不明回『諸星大二郎』の意味


副題:~諸星大二郎は意味不明で正しく、むしろ意味不明でなければならぬ。なぜなら彼は彼岸より来たる語り部なのだから~





黒田硫黄、つげ義春、諸星大二郎、この三人がわたくしは大好きなの。

この3人を勝手に「異界・漫画家」と定義するわ。もちろん「異世界漫画」を描く漫画家では「ない」わよ。

異界の住人なのに何を間違ったか現世で漫画家をやっている異形の人々ね。

全員大好きで、全員に唯一無二の良さがあるんだけど、今回は3人を比較しながら、諸星サマの唯一無二さを語るわ。


黒田硫黄は苛立っている。


黒田硫黄サマは天才なのに、ちっともいい目に遭えていないの。そりゃあバブルが完全に崩壊して何年もしてからデビューして、日本経済の大滅亡の歴史とともにあんなマニアな漫画をやれば不遇に決まってるでしょ。

ユリイカに特集を組まれて大々的に取り上げられ、宮崎駿系列のすばらしいアニメ映画にまでなったと思えば、絵が雑だとか汚いとか批判にさらされる時も妙に容赦なく虐められやすい作風で、持病もあったりして、とにかく気の毒な感じ。…寡作ね。

そんな黒田硫黄が「苛立つ少女」を描くと最高で。

女であるというだけで社会の壁にぶつかり社会の中で底辺として消費されてゆくやるせない苛立ちとか、大人になりたくない、いわゆる典型的な「女」になどなりたくないという若い女ならではの血が噴き出すような現世への憎しみめいた悲痛なモヤモヤが、到底男性作者には思えないレベルに薄気味悪いほど正確に克明に描き出されるので、絶対にこの作者は女性だと確信していたわ。

男だと知って本当にびっくりしたわよ。

我が人生でここまで性別が解らなかった作家は黒田硫黄だけね。。。

↓黒田硫黄が好みに合うか合わないかは以下の本の『その3 2人』一作品だけ読めばきっとわかるわ。わたくし一番の推しは『大日本天狗党絵詞』ね。



つげ義春はぐったりしている。

つげ義春は黒田硫黄と違って『高度成長期~バブル』の日本が芸術に金を払った時代のブームにある程度乗っかることができたわ。(雑誌『ガロ』)

でもそもそも水木しげるのように、お子様アニメの方で一発当てられるような作風(水木しげるもお子様向けでないけど)では到底なかったし…なんと言うか…寡作...なの...。そんでなんだかいつもしんどそうなんですよ…きっとつげ先生、水木しげるのアシスタントで点描を何時間も何時間もてんてんてんてん描き過ぎて完治不可能な眼精疲労になったんじゃないかな(勝手な想像)…

だって気だるそうな苦しげな様子で温泉にばっかり行ってるつげサマの様子、なんだかキレート鉄と朝鮮人参飲む前の眼精疲労でヘロヘロだったわたくしに妙に似てるんだもん…。

そんなつげ義春がだるそうで悲しそうなダメ男を描くと最高で。

男というレールに適応出来ない男の悲哀を描かせたら天下一。

一見「貧乏」というテーマを執拗に描いてる感じにも見えるけど、河原の石を拾って売ろうとして売れなかったりしつつも、アングラ劇団の女優に養って貰えたりしてるんだから実はテーマは貧乏じゃないのよ。

そうでなく、「いわゆるちゃんとした男」にならねばと願いつつも世間的な意味の「ちゃんとした男」になれない不甲斐なさ。内心ではもう「男」を辞めたい、でもsexは多少はしたいなぁ…女もどういう訳かあんがい寄ってくる…困ったな…。あっ、そーこーしてるうちにこどもまで産まれちゃったよ、どーすりゃいいの…ってそんな、ダメ人間だなお前でも解るわぁ〜解りたくないけど解るわぁ〜な現世への戸惑いが作品に満ち満ちているわ。

↓『ゲンセンカン主人』だけでいいから読まれませ。




ところが諸星大二郎はひとりだけとっても不思議な立ち位置なの。

諸星大二郎だけは困っていないの。

諸星大二郎だけは異界の住人のくせに現世にムリに適応しようとも思ってないし異界の住人であることを嘆いてもいない。異界の住人のくせに真面目な公務員みたいな姿に化身し続けている事にもなんも疑問を感じていない。

何ひとつ主義主張も哲学も吐かず、

『理系研究職の公務員のオジサンのオフ日の私服』みたいな地味極まりないベージュ色や灰色のつまらない服を着て、

社会に空気のように静かに紛れ込んで、

何十年も精力的に描きまくり、いつもドゥフフと静かに笑っている

そもそも、あんな漫画描いといて、姿形も言動も『真面目な公務員のオジサンに完全擬態』だなんて、なんかもう、むしろ完全に妖怪よ。怖すぎるわ。(褒めてます)

そしてそのいかにもフツーな姿のまま

執拗に、執拗に、異界の論理、異界の常識を我々にぶつけてきてそしてこの世に生きる我々の固定概念を粉々に打ち砕いて去ってゆく。

それでいてそこにはテーマなんかなにもない。

そう、打ち砕くだけ。我々が大人になるまでに必死で学び培った現世の論理を、固定概念を、圧倒的な異界の熱量をもって一瞬で徹底的に破壊し、巨大な濁流と共に粉々のかけらまで、きれいさっぱり善悪の対岸へと押し流すそれだけ

異界の論理の方が優れているとか劣っているとか正しいとか悪いとかそんなことすらいっさい描いていない

だって異界にはそんな現世と自分を較べるとかそういう概念なんぞないのよ。

さればこそ異界の論理なのだから

ほら、『お化○の世界にゃぁ〜♪試験もなんにもなぃっ♪』って有名な異界の論理を説く読経があるでしょ、アレよ…

時に、あまりにも現世の論理を打ち砕くので、 

現代文明への反逆(「マッドメン」)なのかな?とか
フェミニズム的な男社会への反逆(「男たちの風景」)かしら?とか誤解されそうになる時もあるけど、

違うのよね。諸星大二郎はそんな限定されたモノなんぞは語ってはいない。


だからどんなにインタビューなんかしたって諸星大二郎は決して深いイイ話なんか一切語らないのよ!!


なぜならばそこに意味はないのだから!!

諸星大二郎は無内容な存在なければならないのだから!!

しかもそれでいて諸星大二郎は自分の事を『ハハハ違うんですよ、特に意味なんかありませんよ?無内容ですよ』とも言う事すらないの。なぜならば異界には「内容があるか←→無いか」そんな現世の論理なんぞ存在しないし諸星大二郎のそれは現世の論理の枠の薄っぺらい『無内容』とは全く違うのよ。

だから何を問われても諸星大二郎は

ふしめがちに、はにかんだ笑顔で

『あれはああいうものです』

としか言わないのよ…。

相手を困らせようとうそぶいてるんじゃ無いのよ?諸星大二郎は本気でそうとしか答えられないのよ…。


重ねて言うわ。原始回帰やフェミニズムのような寓話を書きながら、それらを肯定もしなければ同時に1ミリも否定もしてないの!

そして、我々は、自分が大人へと成長するまでに命がけで培ってきたはずの沢山の常識の鎧を諸星大二郎に無理やり剥ぎ取られ、粉々に打ち砕かれ、赤子のように裸にされ、徹底的に蹂躙され、されればされるほどに不思議なエクスタシーを感じる

それはエロティックですらない

エロスよりよほど根源的なエクスタシー

自分が自分でなくなる。

己の身体に生きたまま大きな風穴を開けられてひゅうひゅうと心臓だったあたりに生ぬるい夜風が吹いているのにそれが妙に気持ちがいいの。

つまり諸星大二郎とは、

実験的な寓話。

突き詰めるとそれは究極のSF。

諸星大二郎が提供するのはただ、読者がいままで培ってきた経験や固定概念を徹底的に破壊し押し流すことのみ

美しきからっぽの容器。

虚無の語り部。

汚らわしい一個人の主義主張や個人の感想なんぞはきれいさっぱり全く含まれないの。

もちろん、諸星大二郎を読んで、各々個人が自分の固定概念を打ち砕かれることによって、一度死に、再生し、そこで各々が汚れた殻を何層も脱ぎ捨ててより自分自身に還るその過程で、読者の各々がそこに何らかの主義主張を閃き悟りに至ることもある

だけど、あくまでも、そこには諸星大二郎の意見は一滴もないの。

諸星大二郎には諸星大二郎の主義主張は含まれず、読者自身が読者自身に戻り悟りを得るためにしか機能しない怪しき虚無、

それが諸星大二郎。

だからこそ、諸星大二郎は現世の論理を徹底的に破壊する物語のみを生み続けるのだと思うわ。



↓とりあえず『生命の木』だけでも読まれませ。

おらぱらいそさ行くだ!

諸星大二郎がお好きな方はこっちの記事もおすすめよ。

こういう系のレビュー好きな人は(諸星大二郎とは全く違う作家さんだけども)たぶんこのマヨコンヌが書いた別のレビュー「メランコルのとなりの変態紳士」も好きかもネ。このマンガ、全く救いが無い話なのに妙----に格好いいのよ…。

いっそこういうのもいいかなw↓小学生じみたエロワードを連発していますが中身は哲学的な内容なんですw
男性の『おちんちんパワー』の尊さについて【プロ奢ラレヤーの流行語徹底解説】 

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