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【短編】寒気の蟻

今季最大の冷え込みの中、
そんな寒さなど感じる暇もなく、
私の身体は面接会場へと向かっていた。

朝のうちに履歴書は書き終えており、
写真は行きがけの駅の証明写真機で撮影して
貼れば良いと考えていた。

到着時間は40分程追加で見積もっていたが
想像以上に身支度が遅れ、
予定の1本後の電車に乗ることにした。

やや早足で向かった最寄り駅の証明写真機に
飛び込み、急いで撮影をする。

その間にその1本遅れの電車もやりすごしてしまい、
結局2本遅れの電車に乗ることになってしまった。

その電車を待つ間に写真を貼ろう。

今度はハサミがない。
左手の少し折り目のついてしまったこの写真が
シールでは無いことにその時気付いた。

焦って駅員にハサミを借りる。

このような事がたまにあるのだろう、
返事をしたか否かのタイミングで
ハサミが差し出される。

その場で写真を切り、
駅員に一礼をしてプラットフォームに戻る。
まだ電車は来ていない。後は電車に乗るだけ。

間に合った。

向かいのホームに電車が来る。
少し火照った頬にあたる風が心地よかった。

ふと肌寒さを感じた。
…忘れていた。

今回の仕事はエージェントを介した仕事。
履歴書のコピーが必要だった。
目の前でゆっくりと止まる電車に飛び乗り、
乗換案内のアプリをもう一度確認する。

この電車が駅に着くのは面接の17分前。
駅から会社へは15分程と画面には表示されている。
やや速足で向かって15分程、と考えるべきだろう。

顔を上げる。
降りる駅まではあと三駅。
傲慢だとは思いながらも、いちいち止まらずに
自分の降車駅までさっさと行ってくれと願う。

再び熱を持ち始めた頭に
昨日の友人との飲み会での発言が思い出される。

「なんで皆もっと効率良く動かないんだろ。」
「それで後悔するくらいなら
  もっと考えて動けばよかったわけでしょ。」

電車のガタゴトと走る音が
やけに大きく耳に届いてる心地がした。
すべての乗客がこちらを窺ってるような気がした。

目的地の最寄り駅に到着すると
マップで目的地を検索しながらコンビニへ向かう。

急いでカラーコピーをし、店員の目も意に介さず、
コンビニを飛び出し目的地へ走った。

この世の全て邪魔をされていると思った。
全ての信号がもどかしかった。

なんとか約束の5分前に到着した。

「こんなはずじゃなかった。」

 ”大人ならゆとりのある行動を。”

『なんてダメなやつだ。』

木枯らしの吹く中で頭から湯気を出しながら
ぐるぐると様々な自分が語り掛けてくる。

雑然とした頭を整理していると
ふと一人の自分が言った。

『でも間に合ったじゃないか。』

『こんな窮地に立たされても
  間に合わせることができたじゃないか。』

自分がだめだと感じるのは、
もっとゆとりのある時間配分を
もとから考えていたから。

それがその通りに遂行されなかったから
駄目だと感じるのだ。

今日のこの首の皮一枚繋がったような
タイムスケジュールも、
元から予定されていたものであるなら
随分と要領の良い行動なのではないだろうか。

…要領のいい人も元々はダメな人なのかもしれない。

ただ、すんでのところで成功した体験が、
まるでチキンレースに勝ったかのような
ある種の快感を彼らに与え、
その快感が彼らの要領の良さを育てる餌に
なっているのではないだろうか。

そんなことを考えながら面接に向かう。

よかった。
今日も私は自分のことを好きなままでいられた。

面接は合格だった。

私は今日も走っている。

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