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【コラム】ずる休みをめぐるジレンマ

ずる休み。職場から恨まれ、自身も罪悪感に苛まれる行為。
病欠、忌引き、天災など、理由は多岐にわたる。

遅刻に関しても、
電車の遅延や車の渋滞などの交通状況による遅延。
よく話題に上がるものでは
” おばあちゃんを助けていて… "
なんてものもある。

こういった事由を聞き入れた職場や学校の人間は、
欠勤や遅刻の処理をするとともに、頭に「本当に?」という考えがよぎる。

これが初回であれば、そんなこともある、とさして気にも留めないかもしれないが、これが2回目3回目になるにつれて、その疑いは濃さを増していく。

ただ、ここで割合は減りながらも決して消えはしないのが、
本当かもしれないという可能性。
この可能性は人によってはある種の希望で、
またほかの人にとっては目の上のたんこぶだろう。

人は往々にして一度自分にとっての悪者だと思った人には
悪者でいつづけてほしいものである。

ただ、待つ側は「疑う」段階でこの件に関しては終わる。

ただ、休んだ方はそうはいかない。
実態がズルであってもズルでなくても仕事や学校などの目的を持ったコミュニティへの参加を欠席するというのはリスクの大きな行為である。

物理的な対価という面では
仕事であれば "給与" が下がる。
学校であれば "勉強の進捗" が遅れる。

当然どのコミュニティであっても信用や信頼は下がる。

ずる休みをする側は、その日、その場所で得られるはずだった成果と
それまで蓄積してきた貯金のような信用を切り崩して
自分の時間を得ることになる。

意識しなくともなんだかもやもやともっともらしい
自分を説得させる理由を考えてしまう人も多いのではないだろうか。

ただ、世間的にはどうだ、という視点を除けば有用な面もある。

自分のやりたいことがはっきりしている人ならその時間を活用して普段できないことを進めることもできるだろうし、普段働きづめの人ならば、心身の休息に当てて、活力を補うこともできるだろう。

自分は自分の人生を生きている。

"仕事自体が自身の人生の目標や生きがいの大きな割合を占めている人"
即ち "目的と手段が重なっている人" もいれば、
”生活をするために仕事をしている"
いわば "仕事が目的以上の意味を持たない人" もいる。

後者が仮に負担の大きい仕事を週に5日行っていたのだとしたら、
週休二日だったとしてもそのうちの1日、ないし2日は休息のために
消えていってしまうだろう。


職場環境を変えたらいい、自分で選んだんでしょう、という意見も
多々あるだろうし、社会に生きる人間としてはそのラインは尊ぶべきラインであるだろう。

ただ仕事との出会いや向き合い方やが人によって違うのと同じように
欠席、欠勤の持つ意味合いは人によって違うものではある。

ずる休み自体はまわりに迷惑のかかる行為であるのは確かで、
一般的な総合点で考えるなら割に合わない行為でもある。

ただ、それでもズル休みをする価値や必要のある人も状況もあるだろう。

ズル休み、という言葉に入っているズルい、という言葉からもわかるが
みんな対価や成果を犠牲にしてもなお休みたい気持ちがあるのだろう。

決して推奨するものではないが、自分の人生と相談して上手に付き合っていきたいものである。


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