【南大沢土木構造物めぐり】No.90 八王子みなみ野を目指して歩く(中編:横浜線沿いで古いものを発見)
八王子みなみ野は、わが街、南大沢よりも街びらきが新しい町です。多摩ニュータウンとはまた違う地区ですが、大規模な造成・開発によってできた新しい町という意味では、多摩ニュータウンと似たような雰囲気のある地域です。そこにアプローチするために、JR横浜線の一つ南の駅である、相原駅(町田市に属する)から歩いてみたいと思います。前回は、南大沢から相原駅まで歩いた記録を紹介しました。
(前回の記事はこちら)
■「作ヶ畬」(さくがあらく)という地名を歩く
まずは、線路沿いに相原駅から北に向かいます。横浜線はトンネルで小さな峠を越えますが、道路は小高い丘を越えていきます。
線路沿いの道を歩くと、古い水路と横浜線の踏切を見ることができます。
この地区の名前は、「作ヶ畬(さくがあらく)」という、とても難しい(読めない)地名です。緑地の名前として地名は残っています。住所は、「町田市相原町」でしかないようですが・・。地形図で見てみると・・、
この地名、とても珍しいですが、この「畬(あらく)」という地名の漢字は、元々は新しく開墾された田がある土地という意味だそうです。下記のサイトに詳しく説明いただいています。
(作ヶあらく小考のページ)
http://pyrite.s54.xrea.com/timei/作ヶあらく小考_公開用.pdf
■町田市と八王子市の境界部を歩く
町田市と八王子市の境界部は、ちょっとした峠のようになっていて、八王子市側に東京造形大学があります。市境は、標識だけでなく、道路の舗装の色の違い等でも明白です。道路の管理が自治体ごとに分かれているので、その境界がくっきりわかります(笑)。東京造形大学は、最寄り駅が相原駅になっているので、町田市側から通う人も少なくないようです。
■兵衛川沿いを歩く
相原駅からの道は一本道で、途中から兵衛川に沿って進みます。ここで一つ見つけたのが、横浜線の橋です。
横浜線の橋が片側は新しい橋で、もう一方は石積みの橋でした。石積みの橋が、昔の単線時代の橋で、その後昭和63年に複線化された際に線増された時の橋が、コンクリート橋だと思われます。石積みの橋は、もし開業当時(1908年)のままであれば、すでに100年以上が経過していることになります。
反対側に回ってみました。(実際はかなり大回りしますが・・)
横浜線の建設・線増などの経緯も垣間見える兵衛川上流端、興味深い発見でした。
このあたりの橋は、都市再生機構(UR)が施行したようです。みなみ野の開発エリアの中だからでしょうか。
兵衛川の両側に道路が走り、中村橋で大きい道路と交差します。横浜線を渡ってみましょう。
毘沙門架道橋とは、とても不思議なネーミングと思いましたが、駅のすぐ近くに毘沙門神社があるなど、この地域の昔からの地名のようです。地形図にはありませんが、Googleマップで見ると、地名が現れます。
毘沙門架道橋から、JRを渡り、少し相原方向に折り返すと、小さな架道橋を見つけました。
中村ガードは、古くから残る架道橋です。今昔マップを見てみましょう。
中村ガードは、線路を横断する数少ない道路でした。地名も、その名の通り中村と言う集落だったのですね。この地域は大規模宅地開発により、大きく街の形が変わり、八王子みなみ野駅が開設されました。昔ながらの地名も、何となく残っていることを知ったのが、新たな発見でした。
今回はここまで。次回はいよいよ八王子みなみ野駅の周辺を紹介します。
■終わりに
相原駅と八王子みなみ野駅の間には、そんなに険しくありませんが峠があり、横浜線はトンネルで抜けます。町田市相原地区は、古いものが多く残り、作ヶ畬という古い地名もある場所でした。八王子みなみ野は、新たに開発された宅地ですが、横浜線は古くからこの地を走っていたため、やはり古いものを見つけることができました。そんな不思議な魅力あるウォーキングが楽しめる道です。
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