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【多摩ニュータウン近隣街歩き】①稲城駅付近を歩く
京王相模原線、稲城駅。京王相模原線が多摩川の河原付近から別れを告げて西南にカーブを切り、多摩丘陵を目掛けて坂を登り始める場所にある駅です。今回はこの駅前をぶらり散歩しました。
まずは、稲城駅の中から見ていきましょう。新宿方のホーム端部。切り取り部分に駅がある状況です。線路は左方向にカーブしています。
橋本方には、上部に道路橋が架かる場所があります。
落橋防止装置が手に届きそうな位置にあります。なかなかの迫力です。沓座部分は、鳩除けでしょうか、剣山のような針状の突起がたくさんついています。
線路の上を跨ぐ橋。「城址橋」というようです。この近くに昔「長沼城」(報恩寺)という場所があったことに由来するようです。
稲城駅の北口。台地を横切るように線路が走っていて、北口は谷底に向かっていく地形のため、高低差があります。階段が続きます。
北口から少し歩いたところにある、常楽寺。天台宗の古いお寺のようです。
かなり立派な山門があります。
立派な石灯篭もあります。
灯篭には、「陸奥国中村城主相馬氏」 天明6年(1786年)の記載があります。福島県浜通り北部、の相馬藩から寄進されたようです。当時はかなり繁栄していたお寺だったのでしょうか。
反対側の灯篭は、加納城主です。こちらは、岐阜市の南側にあったお城の城主。相当勢力が強かったのでしょうか。
本堂移築記念碑。区画整理と合わせてお寺を移築したようです。
「震災復旧記念碑」昭和6年 とのこと。関東大震災からの震災復旧を記念しているのでしょうか。石碑に歴史あり、です。
境内には猫が2匹。1匹は逃げてしまいましたが、もう1匹は人目を気にしません。
三沢川に架かる、欄干橋。擬宝珠が古い橋であることを物語っています。とはいえ、川自体はニュータウン開発等に合わせて直線化などの改修をされているので、昔の橋のイメージを踏襲したのでしょう。
川沿いは桜並木のようです。河道は、ガッチリと補強された護岸があるので、増水するとかなりの暴れ川になるのでしょう。この川、上流部分が多摩ニュータウンの開発エリアとなり、増水が激化することが予想されたため、北側に分水路を作り、多摩川に直接放流するバイパス水路が出来上がっています。バイパス水路の出口は、ここから山一つ北側の、JR南武線南多摩駅近くになります。
川沿いに建つお地蔵さん。昔から信仰されているような感じがします。
鶴川街道の交差点に出ました。車で走る人にはおなじみかもしれませんが、結構交通量が多く、渋滞もする交差点です。
南多摩尾根幹線道路(直進)と、稲城駅近くから谷沿いに進む道の交差点付近。やはり渋滞しています。都道の番号が同じですね。これだとどっちに行けばよいかわからない標識です(笑)。
稲城市のマンホールのカラーマンホールを発見。イチョウの模様の真ん中に、「い」をイメージした市章でしょうか。
通常のマンホール。矢印が明示されています。どちらが下流側かを示しているようです。意外と親切な表示なのではないでしょうか。
馬橋という名前の橋。
本郷橋。1983年3月竣工。市役所の前に架かる橋です。
稲城と言えば、特産品はずばり梨。都市化が進んでも、まだ市内にはいくつか梨畑が残り、梨狩りなどをやっている農園も少なくありません。後ろに見えるのが市役所。
梨を守るための様々な活動がされているようです。
稲城駅の南側は谷戸の上のほうに登っていきます。JR武蔵野線の貨物線トンネルが口を開けています。
住宅街の中を一瞬だけ地上を走り、長い地下トンネルを抜けていきます。
稲城駅南口ロータリーにある、区画整理事業の竣工記念碑。昔は報恩寺(さらに昔は長沼城址)があった場所ですが、大規模土砂崩れ等が起きる場所だったので、東京オリンピック当時の土取り場を経て区画整理事業が行われた、というようなことが記載されています。
駅前のバス停に停車するコミュニティバス。
【終わりに】
稲城駅前の散策、思った以上に歴史ある街であることを感じさせられました。昔ながらの古いお寺のある場所が、ニュータウン開発や区画整理事業の進展に伴い、次第に姿を変えていった街。歩いてよく眺めてみると、新しい発見がたくさんある場所でした。
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