【南大沢土木構造物めぐり】No.68 相原駅を目指して歩く
八王子市の南大沢周辺の多摩ニュータウンを中心に街歩きを楽しんでいますが、今回は西側のお隣町田市の相原駅を目指して歩いていきたいと思います。
今回の街歩きのスタートは、多摩境駅に近い、多摩境通りから始めます。丘の上の見晴らしの良い場所です。
丘の上の住宅地から下り坂が続いています。
谷あいには、雨水調整池があります。都市化が進むと、一気に雨水が流れ込む懸念があるので、こういう調整池を整備することが重要なのです。
丘の上からの崖は、どうやら2段ありそうです。この崖を下ると、境川が流れる谷底に達しそうです。
崖下には、古い集落っぽい場所がありました。水が得やすく川よりは少し小高い崖の縁の部分には、集落が立地することが多かったようです。
町田街道に降りてきました。細長い町田市北部を縦貫する主要道路です。交通量もそこそこ多いです。
「堂の前」という名前のバス停。おそらく近くにお寺などがあるはず。探してみると・・、
寳泉寺というお寺を見つけました。
思いのほか立派なお寺です。
句碑がありました。
【朝夕に 梵鐘清き 寳泉寺 残る余韻に 町はおだやか】
句碑を眺めながら夕刻の街を眺めます。少し離れて橋本駅周辺のビルが見えます。街の変化を守り続けたお寺です。
町田街道から一歩奥に入ると、こういった風景が続きます。
久保ヶ谷戸トンネル。橋本駅前から多摩境通りを結ぶメインルートのトンネルです。交通量が多く、いつも渋滞しています。
【久保ヶ谷戸トンネル 2000年10月 東京都町田市 延長158m
幅11~13.6m 施工:小田急・多摩重記建設JV】
国道16号まで来ました。「東京環状」という通り名称がついているのがポイントです。結構このネーミング、好きです(笑)。
境川を渡る、両国橋。今も東京都町田市と神奈川県相模原市緑区との境界です。
【両国橋 2010年12月 関東地方整備局
設計 サンコーコンサルタント(小林貴幸)施工 松尾建設(田中慎司)】
国交省の橋には、最近技術者の名前が載るようになりました。こういう取り組みも重要かと思います。
こちらは、国道16号バイパスの境川を渡る場所です。側道と本線の高架道路が川を跨ぎます。
町田街道と国道16号バイパスの交わる、坂下交差点。八王子バイパスは、かつてはここから北側は有料道路で、ここは別名「相原IC」です。
交差点のすぐ近くに石仏を見つけました。
いよいよ相原駅方面へ。少し歩くと、とても立派な塀のある家が現れます。
東京都指定史跡 青木家屋敷。今もなお現役の「青木医院」として使われています。史跡に指定されているお医者さん、かなりレアな存在だと思います。
青木医院から駅に向かう町田街道の旧道が小川に渡る橋。結構古そうです。
何と、レンガ造りの橋でした。かなり立派なつくりのレンガアーチです。
町田街道の旧道は、まっすぐ進むとJRの線路に阻まれます。線路は、今の現道の踏切のところで越えていたようです。
今の町田街道の交差点。交通量が多い場所です。
少し南に進むと、境川に古びた橋が架かっています。
吉田橋という名前のようです。
相原駅からほど近い場所とは思えない橋です。
境川はこのあたりは大きく蛇行しています。昔の流れとあまり変わらない状況なのかもしれません。
境川の南側の細い道に入りました。「踏切アリ」という目立つ路面標示がありました。
細い路地の踏切です。
横浜線の電車が走り去りました。
相原踏切という名前のようです。
町田街道の踏切に来ました。
こちらは、「大戸踏切」という名前のようです。大戸という地名は、境川の源流地の地名なので、大戸に向かう道の踏切という意味なのでしょうか。
相原駅の西口。最近バスロータリーが整備されました。
横浜線の開業100年を記念した植樹。相原駅は、橋本駅よりも歴史が古く、開業当時から開設された駅です。
相原駅の改札口。昔ながらの駅だったのでしょうが、最近は近代的な駅になっています。
駅の東側。こちらのほうが昔から栄えていたようですが、ロータリーなどが無いので、夕方になると寂しい感じになってしまいます。ここだけ見ると、すごく田舎に来てしまった感じがあります(笑)。相原駅は、平日は法政大学などもあるので、学生も含め、多くの利用客がいるようですが、こんな場所もあるのですね。
【終わりに】
南大沢から歩いて町田街道に沿って、相原駅までやって来ました。横浜線開業当時から栄えた相原の街ですが、お隣の橋本駅が発展し、相原はどちらかというと成長が止まったためか、そのおかげで昔ながらの雰囲気を色濃く残し、見どころが多い街歩きができる場所だと思いました。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?