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【南大沢土木構造物めぐり】No.60 浅川までちょこっと遠足(復路:北野から多摩丘陵を歩く)

いつもの多摩ニュータウン・南大沢からの遠足。往路は南大沢から下柚木・南陽台・長沼地区を経由して、日野市の平山城址公園駅までを歩きました。平山城址公園駅から、京王線に2駅揺られて、北野駅から、打越・絹ヶ丘・下柚木をめぐる復路の遠足を始めたいと思います。

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復路のスタートは、北野駅です。車ではよく通る街ですが、電車ではめったに行かない場所です。

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北野駅は2面4線の高架駅。地方の新幹線の駅などにもどこか似た駅前広場です。高架下もお店が入っています。

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バスロータリーのバス乗り場。南大沢駅行きのバスが発着します。北野駅から、南大沢駅行きの深夜バスがかなり遅い時間まで運転されています。最終バスは、0時48分発です。(平日のみ)

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北野駅南口の駅前を流れるのは、湯殿川。

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国道16号線バイパスとその側道の橋が架かります。橋の名前は、ずばり
「湯殿川橋」

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北野街道と国道16号の側道が交わるこの交差点は、いつでもたくさんの車でいっぱいです。ここから下流(東)のほうへ向かいます。

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駅前からまっすぐ北野街道に向かう途中に架かる人道橋。
【下田橋 1990年3月完成】

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打越方面の谷戸の水を集めてくる川が合流しています。

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京王線の高架橋が湯殿川を一跨ぎしています。高架下の道路は、ここで一方通行の狭い道になっています。北野地区は湯殿川があることで、自動車で走るのには難しい形になっています。

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京王線の高架橋の真下に来ました。

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【新大畑橋 1992年3月完成】

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京王線の高架下を歩きます。高架下は駐車場として利用されています。用地杭があるということは、駐車場の高さにかつては高架になる前の京王線が走っていたのではないかと思われます。

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車止めのコンクリート。昔の軌道のPC枕木の再利用でしょうか。

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架線柱の跡でしょうか。

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高架橋の柱。阪神・淡路大震災を受けて、破壊しやすい柱は鋼板で巻き立てる耐震補強が施されています。

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駅に近い高架下には、変電設備でしょうか。鉄道の運行を支える設備があります。

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駅部の高架橋の耐震補強工事がちょうど行われていました。駐車場を一時的に閉鎖して、柱の周りを基礎まで掘り起こした状態で足場の組み立てが進んでいます。これから鋼板の巻き立てが始まるのでしょうか。

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駅前の通りを歩きます。少し古びた通りです。

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北野のシンボル、北野天満社。古くからの神社です。

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道路にはみ出た樹木の伐採を巡って、何年か前に道路管理者とひと悶着がありましたが、今はすっきりとした印象です。

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社殿脇には、「菅公千年祭紀年碑」なるものが。1902年が菅原道真公の命日から1000年に当たるため、各地で石碑が建てられたとか。

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北野天満社の裏側は、国道16号。北行きはいつもの信号待ち渋滞中。この歩道橋は、車を使う八王子市民ならおなじみではないでしょうか。

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歩道橋から見た、南北の風景。北側には、八王子駅南口の高層ビルが見えています。

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国道16号と京王線の交差部。京王八王子方面と高尾方面の線路が平行するため、規模の大きい高架橋です。道路のほうも、4車線+側道なので、幅が広いです。

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北行きも南行きも渋滞中。車で日中通るのはちょっと・・、と思うドライバーも多いのではないでしょうか。

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【橋長 30.1m、支間 28.0m、単純I桁橋、フレシネー工法
 制作 1992年3月、施工 住友建設株式会社】
湯殿川の改修と、北野駅の高架化は、同じ時期に実施されたようです。ここも、1990年より前と後で大きく様変わりしたのではないでしょうか。

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これは国道16号の反対側に「北野駅南口」ロータリがあるため、そこと北野駅を結ぶ連絡通路。八王子市の管理の歩道橋のようです。

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歩道橋ですが、屋根も付いた立派な橋です。南口ロータリは、国道16号を渡らずに駅にアクセスできる、穴場的存在。南大沢やみなみ野方面からのバスは、南口ロータリに降車場があります。

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打越大橋。南口ロータリと北野街道の間に架かる橋です。

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いちょうの葉の椅子や高欄が特徴的です。【1989年11月完成】

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打越交差点。国道16号と北野街道が交わる交差点。交通量がとにかく多いです。

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国道16号の橋脚耐震補強工事が進んでいます。リスク軽減のための対策工事です。

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打越交差点脇に、気になる急階段。上に行くと何があるのか、車で通るたびに気になっていました。こういう機会なので、登ってみることに。

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階段の上は、何と個人の畑地。おそらく国道16号(八王子バイパス)ができるまでは、尾根の上に畑地が広がっていたのでしょうか。駅近くに残る貴重な畑地です。

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階段の上は、違った角度から打越交差点が一望できます。

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丘の中を突っ切って進む八王子バイパス。

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野猿街道の旧道を歩きます。のどかな道ですが、バスが頻繁に通ります。

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打越弁財天バス停。ここから少し弁財天に寄り道してみましょう。

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打越弁財天に向かう道。のどかな道の脇に、大きなコルゲート管の暗渠。大雨が降ったら、この中を濁流が流れるのでしょう。川の増水は怖いですが、暗渠になっていると、中が見えないので、実は危険が迫っていることがわかりにくいので、非常に危険な場合もあるのではないでしょうか。

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細い道と、蓋がされた暗渠の道が続きます。

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見えにくいですが、石碑には、
【貯水池設置寄附者 名簿 昭和38年4月】とあります。
やはり、この地では鉄砲水による洪水などに悩まされていたのでしょう。災害リスクを自分たちの力で減らそうとした人の思いが感じられます。

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しばらく歩くと、右側は八王子バイパスの盛土になります。

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中谷戸IC付近のボックスに到着。

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八王子バイパスを少し見学。

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打越弁財天は、中谷戸ICの側道からさらに斜面を上がったところにあります。

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思った以上に広い社殿がありました。

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八王子バイパスの工事で、元々あった弁財天から移転したようです。

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再び野猿街道に戻ります。起伏の非常に激しい場所に所狭しと宅地化されています。斜面災害などのリスクは、小さくないのではないでしょうか。

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野猿街道から見た、谷戸を流れる小川。コンクリートで固められているので、洪水の時はとにかく大量の水がこの川を流下するのでしょう。大雨の時の備えなどは、地域で共有しておくのが重要と思います。

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坂の上の交差点の名前は、ずばり「多摩丘陵」。
地域全体の地名のはずが、なぜかこのポイントにそんな交差点名が与えられています。

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バス停の名前も、「多摩丘陵」。かなり山中にあるバス停のような感がありますが、停まるバスの系統数10系統で、1時間に10本以上のバスがやってくる、そこそこメジャーな路線のバス停です。

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交差点を曲がると、絹ヶ丘地区の住宅地が広がります。やはりここも坂の上の戸建て住宅地です。

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多摩丘陵バス停の脇にある石碑。大畑地域の方が、地蔵尊を改修して「子育て地蔵尊」にしたという記念碑。何だかよいですね。

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野猿街道に戻りました。野猿峠に向かう途中に、厳重に警備された施設を発見。東京都水道局の絹ヶ丘給水所です。やはり尾根の上には給水施設が多くみられます。

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野猿峠バス停。昔はハイキング客でにぎわったとか。

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野猿峠には水飲み場があったようです。馬を休めるための水飲み場。

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野猿峠から、大学セミナーハウスに向かいます。ここはニュータウン開発よりも古い時代からあったようです。

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セミナーハウスの本館。逆三角形の建築は、建築史上有名な建築物のようです。

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ちょうど道路改良工事が行われていました。S字カーブが解消される道路工事のようです。

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セミナーハウスの敷地は、谷戸の先端の地形を利用した施設配置になっています。谷戸付近の地形が手に取るようにわかる場所です。

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道路改修記念碑がありました。倉郷の住民や、セミナーハウスなどが協力して、この道路の改良工事に尽力したことを祝う石碑です。公共事業は自治体が担うだけでなく、地域住民の尽力が不可欠だということを示している石碑だといえます。

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谷戸を通る道路。のどかな光景です。

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途中に「ひな鳥山」というレストランがあります。料理が船に乗って水で流れてくる、アトラクションのようなレストラン。建物の軒下に大きなスズメバチの巣がありました。

【終わりに】
往路から始まった長旅、ようやく終焉を迎えました。いつもの道を散策するのも楽しいですが、こうやって普段歩かない道を歩くのも、また楽しいと思います。
今回の散策で、たくさんの石碑を見てきました。道路改修や貯水池の整備など、インフラ整備に関連する石碑も見られました。土木工事というのは、公共事業として行われることが多いのですが、その背景には、地元の方々の尽力が欠かせないということも、この石碑から明らかであると思います。都市化が進むと、こういう石碑の存在が忘れられることが少なくないのではないかと思います。インフラのメンテナンスができていないということがよく言われる昨今ですが、石碑を眺めていると、「当事者意識」というのが、今の住民には少し欠如し始めているのではないかと懸念します。地域住民が尽力して整備した土木事業。維持管理もやはり地域住民の力が必要なのではないでしょうか。
遠足をしながら、そんなことを考え、ホームグラウンドである南大沢にもどったのでした。


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