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【南大沢土木構造物めぐり】No.59 浅川までちょこっと遠足(往路:南大沢から日野市・平山まで)

お彼岸の3連休中日は、台風一過のすっきりとした晴れの日。南大沢からちょこっと遠足。昔の遠足は、交通機関を使わずに遠くまで歩く遠足。それを実行してきました。普段職場までは電車で出かけているので、そこそこ遠出をするのですが、週末はほとんど遠出はせず、車を使ってもせいぜい近所で買い物をするだけ、という毎日になっています。今日は、少し「遠足」をしてきました。

遠足のルートは、南大沢→下柚木→南陽台→長沼→(日野市)平山が往路。京王線で平山城址公園から北野まで2駅電車移動し、復路は北野→打越→絹ヶ丘→下柚木(倉郷地区)→南大沢というルートでした。今回は、その往路をめぐります。

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最初は、下柚木の柳沢池公園から。青空が素晴らしくきれいです。

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前回紹介した、パブリックアート。ここにもありますね。意外とこの芝生は足を踏み入れるには深いので、近づくのは断念。

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柳沢。今は生物保全のためのサンクチュアリとして立ち入りできません。そのおかげか、この周辺にはいろいろな鳥や昆虫、動物にも出会うことができます。

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大栗川。昨日の台風でもこの地域はそこまでまとまった雨が降らなかったようで、特に増水まではしておらず、平穏な流れでした。

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消防署の下柚木分署。地域を守ってくれる頼もしい存在です。

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由木折返場バス停。今も残る「折返場」という名前のバス停。由木村時代は、八王子方面からここまでバスが来ていたのでしょうか。昔は奥地だった南大沢のほうが、むしろ都会になってしまった印象です。今も「折返場」から平日3本のバスが八王子方向に折り返します。(南大沢まで行くバスはたくさん運転しています。念のため。)

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折返場横から、下柚木の尾根の上に行く細道を上がります。

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坂道の途中に、道祖神とともに、記念碑があります。
【昭和30年8月1日 道路改修記念碑 馬場南谷戸講中】
当時の人たちにとっても、道路の改良は大きなイベントだったことが推察されます。

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この場所に石碑が建っているので、この道路を車が通れる幅に広げ、そのために谷戸の斜面を切土し、石積み擁壁をつくったのではないかと推察しています。この地区には、掘れば巨礫のある礫層があるからでしょうか、丸い石積みの擁壁が多くみられます。

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下柚木の谷戸から南側のお隣の谷戸を遠望。大栗川のある谷底には由木街道が通り、その上の谷戸はニュータウンエリアなので、こことは違う景色が広がります。

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下柚木地区の農家にある古そうな石積み。平たい石のように見えましたが、コンクリートブロックのように見えました。

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谷戸の用水路と稲穂が実る水田、後ろは野猿街道。

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野猿街道を渡った先に、古い建物。近くにある永林寺の薬師堂だそうです。

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古い石仏が大切にされている境内。いいですね。

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古い建物のバックは多摩ニュータウン。

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小径は木々の中を進みます。先ほど見た道路改良の碑のある道も、かつてはこんな感じだったのでしょうか。

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彼岸花にコスモス。今しか見られない彩です。

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石段が現れたので、登って南陽台の住宅地へ向かいます。

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階段の上から。思った以上に宅地化されています。斜面にソーラーパネルが入っている場所もありました。

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南陽台自治会館。立派な会館です。

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南陽台は、坂の住宅地。坂のてっぺんの尾根の両側に、北野台、絹ヶ丘、片倉台などの戸建て住宅地がつながります。ニュータウンとは違い、民間主導の分譲住宅地です。

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南陽台商店街バス停。商店街はどこ?と言いたくなるくらい、シャッター街でした。日曜日だから仕方が無いかもしれませんが。ニュータウンの団地とはまた別の活性化が課題なのでしょうか。

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電信柱の上のほうに変圧器がついているタイプ、あまり見かけませんが、久しぶりに見ました。実家の近くにあったので懐かしいです。分譲時期が同じくらい(1970年代くらい)なのでしょうか?

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尾根のてっぺんに来ました。この道は尾根の切通のような部分のようです。長沼公園につながる険しい階段。

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反対側は、水道局の南陽台配水所です。やはり尾根のてっぺんには水道施設が多いです。

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尾根のてっぺんから北側が一望できます。尾根の南側に住む人にとっては、遠くに来たもんだな~感がある風景です。

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ここから急坂を下ります。長沼地区も斜面上にある分譲住宅地。

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昭和を感じさせるようなお店のある住宅街。

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この地区には、「はちバス」というコミュニティバスが走っています。本数はあまり多くないですが。大手メーカーの団地なのですね。

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住宅街を流れる川。団地の中は暗渠になっています。増水すると大変そうです。

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北野街道と、京王線があるところまで下りてきました。ああ遠くまで来たもんだ。京王線には、相模原線に無い、「踏切」というアイテムがあります。

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先ほどの小川と京王線・北野街道が交差する部分です。京王線は小さな桁橋で越えていくようです。

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北野街道の橋には、「昭和10年」の銘板が。思った以上に古い橋です。

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踏切と京王線。

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架線に張力を導入するための重りと滑車。鉄道施設が近くで見られるのは新鮮です。

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もう少し東へ行くと、京王線に小さい跨道橋があります。制限高1.8m。何軒かの住居のためにあるアンダーパスです。

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よく見ると、桁高さが違います。新宿行き(右)は鋼桁、八王子行き(左)はコンクリート桁でできてきます。なぜ違うのでしょうか。もともとは両方鋼桁?もともと単線を増やした?桁高を大きくとりたいのなら、むしろ左の北野街道に向けて上っているので、鋼桁を左にすべきです。こういう謎を自分なりに考えてみるのは結構楽しいと思います。

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いまの跨道橋がある場所が八王子市と日野市の境界です。跨道橋の先に行き止まりの道があり、そこから浅川が見えます。「平山用水の堰」だそうです。

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平山用水は、浅川から取水する農業用水で、この場所は取水口のようです。バックに富士山が見えます。透き通った水に魚が泳いでいます。

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平山用水の流れ。浅川と日野市内の風景です。

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先ほどの小さな川の合流点にもなっているようです。浅川やこの川も、昨日の雨で多少水量は増えているのかもしれませんが、増水しているような感じではありません。

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平山城址公園駅手前に架かる、浅川の橋です。すぐ脇の道が橋の下をくぐります。小さなクリアランスに無理やり橋を架けたような配置が絶妙です。

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駅前の小径と、橋につながる鋼製階段。

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橋の上からみた京王線。京王線の上をぎりぎりの高さで交わしていきます。

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浅川を渡る橋。対岸はJR中央線豊田駅方面になります。

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【滝合橋 1968年3月完成】

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滝合橋から浅川沿いに分岐する道があります。こちらの真下に、先ほどの平山用水が流れているようです。

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平山用水の暗渠と、水量調整用の水門。水位が高くなったら、水門を開けて水を浅川に返す仕組みと思われます。

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平山用水が流れる風景。架かる橋は、住宅のための桁橋です。風情があります。水郷のような雰囲気があります。

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公衆地下道なる道を通ると、駅の表側に出られます。平たくて狭い土地に無理やり立体交差を作った感じがあって、面白い駅前です。

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地下道を渡ると、平山城址公園駅に出ました。駅は京王がリニューアルしたのか、新しくてきれいでした。

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駅前にある、平山李重の居館跡の石碑。駅前のロータリーに、これが鎮座している駅もなかなかなものです。

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平山城址公園駅の中へ。改札口から段差無しでホームにアクセスできるのも、多摩ニュータウンではあまり無いです。

【前編終わりに】
長い前編が終わりました。普段生活している尾根を越えて、はるばる日野市の平山城址公園までやってきました。坂の中にある戸建て住宅地や、浅川沿いの農業用水、狭い中で微妙に立体交差をさせて人や車が通る街。実は南大沢から数kmしか離れておらず、徒歩で容易に来られるのですが、異なる空間が広がり新鮮でした。古い戸建て住宅の商店街やコミュニティの活性化、斜面の街の防災のこと、川沿いの微妙な高低差があり、立体交差する複雑な街など、様々な課題が見えた気がします。また近いうちに訪れて、もう少し違う一面を見ていくようにしたいと思います。

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