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民主主義って何?

10ヶ月間デンマークのフォルケホイスコーレに留学して、何を学んだのかといえば、語学的なハンディがあったこともあり専門的な何かというよりはデンマークそのものを学んだという感じだった。当時はよくわからないデンマーク語のシャワーを浴びながらときどき片言喋るというような具合で、全くアグレッシブではないように見えていたはずだと思い返すが、本人としては必死だった。それでも半年以上も経てばさすがに事情がわかってきて、恥ずかしながら掃除当番の仕組みもその頃ようやく理解したのだった。
そんなことでも経験したことを帰国してから思い返すという作業は非常に意味がある。当時は必死でとにかく見よう見まねでやり過ごしたりしたことであっても、ある程度デンマーク語がわかるようになって帰国した後に当時の記録を読み返す、日本との対比を色々考えながら思い返すと、新しい疑問や納得するような論理が見えたりするのだ。疑問はデンマークで出会った友達とネットで意見交換することができる。お互いの違いを少しずつ確認する機会をも得られたのだ。さて、
国際政治という英語の授業があった。外国人留学生には必須科目だ。私と同い年の先生が教えてくれていたのだが、大変興味深かったしいくつもの言葉が印象に残っている。その一つに「民主主義は最終形態か?」というのがあった。日本もデンマークも民主主義国家であるし、社会主義国家の事情と言われるような情報も毎日のように報道されている中に暮らしていて、何も疑いを持たずにいたので、その時は深く考えることもせず(余裕もなかった)、学生たち数人と意見交換をした。私は国際政治学には疎いのだがハンチントンとフクヤマのモデルが説明され、民主主義が最終形態であるのかどうかを具体的な衝突の事例をあげて学生に割り当てて考えてくるように宿題になった。このことは日本に帰ってから、特にデモクラシーがデンマークの幸福のモデルに深く関係していると思い始めたこともあってふと、「民主主義が最終形態?」ということはどんな主義思想の国家モデルであってもいずれは民主主義に移行するということなのだろうかと思考実験をすることになった。たとえば、国民に広く尊敬され人情味に厚く、誰でも分け隔てなく対面し質素な生活を好み、税金もあまり取らず、しかし国はそれほど貧しくしないし、国民の生活は保障される、なにしろまず国民を心配するような王様がいたとしてこれが絶対王政の国であるとする。何百万人もの国民にはSNSで毎日労働をねぎらい国民は王様を日々讃える。もちろん一人の王様が全部はできないので、中央集権的な国家の仕組みがある。その中心には尊敬する王様がいるので、国民はみな安心し、信頼し、幸福であるということになる。
私は3年前に何の疑いもなくデンマークで授業を受けていた時と違って、この状況が間違いかどうかわからなくなっている。ただ、国民の中に違う考え方をする人がでてきたときにその人の幸福はどうなるのか?という問題が起きる。その人が不幸にならないために国は何をするのだろうか。そこからだんだん多様性を認めみんなの意見を尊重しながら決定してゆくことが個人の幸福になるという民主主義へと移行する、という流れになるのだろうか。それは実はとてつもなく面倒くさい作業である。だいいち多様性を認めるということは独裁主義も排除しないということになるし、そのまま放っておいても民主主義は安定的に続くとは思えないからだ。
その意味で民主主義とは絶えず存続の危機を抱えているモデルなのかもしれない。不安定なのだ。それが最終形態なのだろうか。なにか大きな示唆を含んだ命題のような気がしてきた。

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