見出し画像

論語に学ぶ生き方④

こんにちは。しいらと申します。
今回も論語から、心にドスッと刺さった言葉を紹介したいと思います。

1.子曰わく、
力足らざる者は中道にして廃す。今女(なんじ)は画(かぎ)れり。

まず、文全体がこちら。

冉求が曰わく、
子の道を説(よろこ)ばざるには非ず、力足らざればなり。
子曰わく、
力足らざる者は中道にして廃す。今女(なんじ)は画(かぎ)れり。

現代語訳は、こちら。
弟子の冉求が
「先生の道を学ぶことを、幸せに思わないのではありません。私の力が足りないのです」
と言うと、先生はこう言われた。
「本当に力の足りない者は、志半ばで挫折するものだ。今のお前は自分の限界を決めているだけにすぎない」

自分に限界を設ける、というのは割と誰にでもあることだと思います。
限界まで挑戦し続ける、というのも人生でなかなかない経験です。自分の中でそこまで胸を張って「頑張った!」と誇れるものはあったかな……と、思い返しても、スッと出てくることがなく……。

私の場合は、限界というより初めから「私には無理だろう」と挑戦もせず、諦めていたせいもあると思います。言い訳をしても見苦しいのでしませんが、挑戦もしないものにチャンスは与えられない、というのは常々痛感しています。

失敗は、挑戦した人にしか得られないものです。

失敗した経験が少ないというのは素晴らしいことのように見えて、捉え方一つ変えれば足元が脆くもなりえることです。失敗は成功の元、と言うように「上手くいかない手段を一つ知ること」でもありますから、成功への一歩とも呼べます。
失敗をすれば、何かを学ぶ。これは決して悪いものではなくて、挑戦したものだけが得られる貴重な経験値だと思うのです。

2.生徒の得る「限界」の経験値

生徒の中には30点をとっても、なんとも思わない子だっています。難しかった?と聞いても「え?全然勉強してないからだよ」と開き直っています。努力をしなかったから、結果がついてこないのは当たり前。当たり前のことに、傷ついたりはしないのですね。

こう考える理由は「勉強を頑張ったのに点が取れなかった」という結果になると、傷ついてしまうからです。もっと言えば、勉強が苦手な自分は頑張ったところで無駄なんだ、という思い込みが足を引っ張り、頑張っても結果を出せないという架空の事実から目を背けたいが故の行動なのです。

こう思い込むまでには、必ず色々な原因があります。学校で先生の授業が理解できない、周りはサクサク解いているのに自分だけできていない、勉強を頑張っていないことを怒られてばかりいる、など。

要は勉強に対する自己肯定感が身についてないのです。自分に合う目標や努力の仕方に、まだ気づいていないだけとも言えます。

反対に、97点をたたき出した生徒でも「あと3点、惜しかった」と悔しそうにしていた子もいました。その生徒は100点を取れるだけの努力をして、その自信をつけるだけの努力もしてきたのです。この悔しさは、本当に努力をした人だけが得られる貴重な経験でしょう。誰しもがその経験を得るチャンスを持っていながら、実際に得られるのはほんの一握りです。

先生や保護者にテストの結果だけ見られ「もっと頑張らないと」と追い詰められ、自分には無理なんだと諦めざるを得なかった子ども達に、どんな手助けができるだろうか。この刷り込みが深いほど、なかなか信頼を築くのは難しく、先生としては悩ましいですね。

3.失敗が怖い、と思う私の失敗

最後に私の話も一つ。

勉強を頑張っても、その結果が自分の思ったものと違ったり、先生や親に「もっと頑張らなきゃダメじゃない」と言われて、じゃあ次こそは!と奮い立てる生徒はなかなかいません。やはり、自己肯定感というものはなかなか侮れないもので、それは自分にも思い当たることがあります。

小さい頃、私はよく母に干渉され、失敗をことごとく回避するよう仕向けられていた時期がありました。その回避の仕方が大抵、母が「お前には無理なんだから、やってはいけない」というきついお叱りだったんです。

やってみたい習い事は
「お前には才能があるはずないんだから」

着ていたい洋服を手に取ると
「お前のセンスで選んではいけない」

どこかへ出かけるときは、間違ってはいけないからと必ず親に先導され。バイトをやってみたいと相談しようとしたときは、何かの罪を白状するのかと思ったと笑われ。大学の進路屋将来の職業も「お前みたいなのが出来るのはこれぐらいしかないだろう」と決められかけて、泣きながら抗議したこともありました。

こういうことがずっとずっと積み重なって、自分の選択=間違いなのではないか、とものすごい恐怖に苛まれるんです。挑戦する前に、きっと間違いでしかないのだろう、私が選んだ道なんだからきっとろくでもないはずだと、自信があっという間に萎んでしまいます。

こう言うと、親のせいにばかりしないの!と怒られてしまいそうですね。私もそう思います。なので、失敗とは悪いものではないのだと学んだり、自分を奮い立たせようとしたりもしました。が、まだ人生の70%くらいは、そんな親の言葉で締め上げられてきた過去なので、難しいんですね。

こんな自分が、子どもを導く先生なんてものをやっていていいのか、と思ったりしたこともありました。けれど私は、自分の身の振り方一つでどうとでも変化し、成長する彼らにたくさんのことを教えられてきました。そんな生徒たちに応えるためには、もっと精進するほかない、とも思えたりするのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?