「ゴスペル日記7」 ~Big-D~
ゴスペル日記7 ~Big-D~
眠れない・・眠れない、昼間の興奮が冷めやらず、
ちっとも眠くならないのだ。
それもそのはず、あんなサウンドは初めてだった。
やっと時差ボケが治ってきたかと思ったら今度は興奮で眠れないとは・・。
しかもあんなにチャリンコこいでクタクタなのに。。
これが私のゴスペル初体験だった。
なんだかアメリカに来て早々にやりたいことが見えてきたぞ。
スティービーやマライヤ、ホイットニーになりたいと思って渡米したわけだが、
そのルーツをこのゴスペルに見た気がした。
さて、そんな感じで週2回ほどのペースで大学へ通ってるうちにもう1ヶ月が過ぎてしまった。
そんなある日、
先生が自身のコンサートツアーとやらで他州へ出かけてしまい、1週間ほど留守をするという。
当然、休講かと思いきやクラスの専属ピヤニストのディアンはいつも通り来て彼なりの講義をしてくれた。
身体がモノスゴク大きいというのもあるが、
それ以上にビッグなサウンドをか醸し出すので「Big-D」と呼ばれていた。
今となっては、彼のピアノは言葉にできないくらい素晴らしいし、彼こそ真のゴスペルピアニストだと思う。
しかし私は当初、彼のピアノの良さがまったくわからなかった。
それどころかホント失礼なことに歌いにくいな~とまで思っていた。
だがそれは大きな間違いだということに1年ちかくかかって気付く。
あまりにも絶妙な黒人的リズム感、
そして独特な音使いに自分の耳がただ追い付いてなかっただけなのだ。
(そして、それから20年。今となってはそういったサウンドでなければ満足できなくなってる)
まぁそれはさておき、彼による臨時講義は
ソプラノ(女性高音パート)
アルト(主に女性中音パート)
テナー(男性パート)
(*ゴスペルは基本的にこの3部構成だ)
その中から一人づつ前へ出てその3人だけで歌うというもの。
誰がどのくらい歌えてるか聴きたかったようだ。
実にシンプルだが、自分のパートは自分だけというちょっと今までとは勝手が違う。
ぶっちゃけ音がウルオボエなところもあったが、
でも逆に言えば自分の実力がわかると思い、全力で歌った。
するとみんなからものスゴい拍手が返ってきた。
かなり緊張したが、初めて自分の歌い方がアメリカ人に受け入れられた瞬間だった。
その日を境に、みんなとの距離がぐっと近づいた気がした。
なんだか少しだけ自信が出てきた。
そしてその翌週、先生がツアーから帰ってくるのだった。
・・・・・つづく
2006年02月13日に書いたもの
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