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濱口竜介監督、仙台でカサヴェテスを語る

 『ドライブ・マイ・カー』(2021)『偶然と想像』(同)などで知られる映画監督濱口竜介さんが講師を務める映画講座「映画のみかた モーションとエモーション」(幕の人主催)が11月11、12両日に仙台であり、受講してきました。

会場のせんだいメディアテーク

 午前に映画が1本を上映し、休憩を挟んで、午後は濱口さんが登場し、上映作の各シーンを確認しながら、その作品の何が秀でているのかを語るという贅沢な企画です。

 11日の作品は、濱口さんが最も影響を受けた映画作家と公言しているジョン・カサヴェテスの『こわれゆく女』(1974/米国)でした。シーンを流しては止め、流しては止めを繰り返しながら、撮影や編集について解説していきます。

おしゃれな入場券(左が午前の上映、右が午後の講座)

 濱口さんが強調していた点として印象に残ったのが、“本来、映像はつながらない”ということでした。

 映画のワンシーンはひとつづきの時空間を語っていますが、現実には、一つ一つのショットは異なる時空間を捉えています。単に撮ってつなげただけではつながらない映像を、いかにしてつなげるかの知恵を発明、実践し続けてきたのが映画の発展の歴史だといいます。

 照明や撮影のアングルを緻密に計算し、俳優は決められたとおりの場所に立ち、決められたように移動し、決められたことを話す。その中で表現をしていくことが俳優に求められる技術だったと言えます。

 カサヴェテスはこの映画の進化の方向に抗うかのように、俳優が自らの生理に沿うかたちで、動き、話すことを重要視した映画作家でした。どこからどこへ動け、といったカメラの都合による細かな演出を排することによって、俳優がより自由に振る舞うことができる環境を作っています。

 しかし、その犠牲として、たとえばカサヴェテス作品の映像は、ぶれていたり、暗かったり、俳優の顔がはっきり見えなかったりすることも多々あります。また、一つ一つのシーンが長いため冗長と受け取られることもしばしばあります。

 明らかにつながっていない映像を見せられると普通は興ざめしてしまうものです。実は『こわれゆく女』でも、濱口さんによる再生・一時停止の繰り返しを楽しみつつ、カットの切り替わりに着目して見ていると、よく見ると「つながっていない」ものも結構あります。

 にもかかわらず、本作が緊張感を途切れさせないというのがとても不思議です。俳優の躍動した身体と感情の揺れが、つながらないはずのものをつなげてしまっている。そんなことを感じました。

 濱口さんの解説は3時間にわたりましたが、全く飽きることのないエキサイティングな講座でした。



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