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宝塚観劇におしゃれをしようと思った時の事


初めての宝塚専用の劇場で、あの宝塚を観劇する!

ライヴコンサートに行ったことはあっても、舞台、それもあの「タカラヅカ」を見るのは初めてだった自分の備忘録と、「観劇するにあたって、ただの舞台なのにおしゃれをして出かけていく理由」に気付かされたお話。


私と宝塚との出会いざっくり

タイトルのとおり私は宝塚歌劇団が好きだ。

宝塚ファンとしては古参の方にくらべれば全然ライトなほうで、出会いとしては兄嫁(生粋のヅカファン)から借りた2013年の月組公演「ベルサイユのばら」のDVDを見たことがきっかけ。

その時にくぎ付けになった方が、かのレジェエンド・明日海りおさん。
その美しさにあまりにも衝撃を受け、後々も彼女の事だけはずっと忘れられなかったのだが、その頃はまだ「宝塚歌劇」にすごくハマるまでには至らなかった。

本格的にハマるきっかけとなったのが「ポーの一族」というミュージカル。
もともと子供の頃からの愛読書「ポーの一族」が宝塚で上演となり、主演は明日海りおさんなのだからハマらないわけがない。
おまけに、これまた青春時代に愛読していた少女漫画「天は赤い河のほとり」の舞台化でより宝塚ファンとなって、公式FC(宝塚友の会)には入ってないもののとりあえずライビュ含め全公演は見てみるというスタイルに至っていいる。

初めての観劇

そんな私に、とうとう念願かなって劇場で初めて観劇の機会が訪れる。

演目は花組演じる「CASANOVA」という舞台だ。CASANOVAとはヴェネツィアを舞台に、世界中旅するプレイボーイのカサノヴァとヴェネツィア総督の娘のベアトリーチェのラブストーリー。当時花組トップ娘役であった仙名彩世さんの退団公演で、とある企業の貸切公演が運よく当たったのだ。
しかも席はSS席で、前から7列目くらい。

初めての宝塚劇場!しかもビギナーズラックなのか結構前の方の席!嬉しい!と、訪れたチャンスに心躍るも、次第にある事が頭をかすめてくる。

「一体何を着ていけばいいのかしら?」

服装が分からない。ググる。

初めて劇場に行ける!となりつつも「劇場って何を着ていくもの!?」気分は舞踏会前のシンデレラ。ライブコンサート会場に行ったことはあっても、劇場という場に足を踏み入れることは初めてだ。

そもそも宝塚歌劇の文化が関西よりも薄い関東の民からしたら「宝塚」という響きだけでもやんごとない事態。
個人的な意見になるが、どうしても「宝塚観劇=お金持ちの人しか立ち入れない娯楽」というイメージが強かったのだ。しかしチケットが当たってしまった以上、行かないわけにはいかない。

とりあえずヅカファン歴25年以上の兄嫁に聞いてみたところ「普通の服装で大丈夫」との返事。
そもそも兄嫁はマジのお嬢さんの出なのでその方の「普通」の基準のオシャレがすでにお嬢様なわけだ(実際に我が家に来るたびに誠に品の良いお嬢さんファッションだった)

もうここはグーグル先生に頼るしかない。

調べてみると出てくるアンサー画像は、どれも「ちょっとしたパーティー」なファッションルック。

そんなにハードル高いんけ!?
これ結婚式のおよばれレベルじゃん!?と、ひるみつつも知恵袋やインスタを駆使し、とりあえずめっちゃ調べた結果「とにかくお嬢さんワンピースとか、きれいめなスカートでいけば大丈夫」という意見にたどり着いた。
ドキドキしながらあーでもないこーでもないと、自分のクローゼットと相談し無難なお嬢さんルックで挑むことに。

やんごとない空間と肌で感じるTPO

初観劇当日。劇場ロビーに一歩足を踏み入れれば頭上には煌々と輝くシャンデリア。ヒールにやさしい薔薇模様の赤い絨毯。ロビーに流れるは自動演奏のグランドピアノ。

やんごとねぇ……。すべてにおいてキラキラしている。ロイヤル感をめちゃめちゃ感じる。

場のきらびやかでおしとやかな雰囲気に圧倒されながら、周りを見渡せばたくさんの女性客。
その時に気付いたのは、やはりみんなキレイなファッションが多めだということ。

具体的に言えば、若いお嬢さんは品の良いワンピース率が高いし、年配のご婦人もきちんとしたジャケットやカーディガンを羽織り、あぁそのきれいな色を身に着けてお出かけするのはきっと気分が上がるだろうなぁ!と思うような鮮やかな色のストールを身に着けていたりしていて、とてもお上品そうな方ばかり。(いや、普段からどんだけ田舎暮らしなのって疑われそうだけど、本当にそう感じたんですよ)

気合というと言い過ぎかもしれないが「この日の為にちょっとだけオシャレしてきた!」というポジティブなオーラが空間に満ち溢れている。

かくいう私も明るいブルーのノーカラージャケットに、レースのブラウス、淡いグレーのフレアスカートを身に着けていったわけですが、当初は、いかにもお嬢さんルックすぎたかな?張り切りすぎか自分!と恥ずかしくなってきつつも、改めてこのコーディネートにしてきてよかったと思った。

なぜなら、劇場内のシャンデリア、ふかふかな絨毯、大きな階段にグランドピアノがあるような、やんごとない空間と自分が違和感なく何とかマッチしていると思えたからだ。

もちろんデニムにスニーカーでも問題はない。ぶっちゃけ服なんか自分が気に入っているものであれば何でもいいのだとは思う。
しかし「これがTPOというやつか」というのを足を踏み入れたからこそ、リアルに肌で感じた。

それだけではない。せっかくこんな素敵な場所に来たのだから浸らないのは勿体ない!まさにそれが「オシャレをして観劇をする特別さ」の醍醐味ではないか。と、「非日常」を楽しませてもらえる空間が劇場ロビーの時点で始まっているからだ。観劇に訪れた他の方も同じようにオシャレをしてくる気持ちが分かった気がする。

観劇はとても楽しく、本当に夢の空間だった。
出演しているジェンヌさんたちはみんな美しく麗しくとにかく細かった。
そんな細い体のどこにエネルギーがあるのかと不思議に思うくらいにダンスもパワフル。そしてどんなにハードでも笑顔を絶やさないのだからすごい。
熱量と多幸感に、終わった後のイメージをわかりやすくいうと、ちび〇る子ちゃんにおけるタマちゃんの空想バージョン「タミー」になった感じだ。

その後は、チケットも頻繁に取れるものではないと分かりつつ、何度かトライするものの落選する日々が続いた。

しかし……そのうちどうにもこうに心して臨まなければと思う公演に、再び当たってしまった。

贔屓の退団公演でまさかの1列目

明日海りおさんの退団公演に応募したら運よく当たった。意気揚々とコンビニで発券し、店員にチケットの確認を求められ提示してある席番号を見た瞬間、頭の中が一瞬まっ白になった。

「1階1列目〇席」

!!!!!????

末席ではあるものの、まさかの1列目。見間違いかと思い、帰宅しいったん冷静になったところで改めて見た。間違いじゃない。1階席の1列目がまさか当たってしまった。それも大好きな明日海りおさんの退団公演。

何着て行けばいい!!??再び、である。

いや、お前が舞台に立つわけでもないんだしフツーの服着ていけばいいじゃんwww なのは分かっている。

しかし1列目となると、もしかしたら視線をいただける機会があるのでは!?ということは、あの美しく麗しい人たちの視界に一瞬でも入ってしまう!?それはまずい!!(何が)

あのやんごとないきらびやかな空間に全力で浸るならば、自分も「美」の一部として少しでも溶けこみたい。勘違いも甚だしいかもしれないが、「劇場」という非日常が味わえる特別な場所だからこそ、思い切り楽しめる自分を自分で演出したい。

そのために「観劇日だからこそ精いっぱいのオシャレをする」という意義が光るんだ!

またあの劇場に行ける!と思った途端にウキウキしてきた。
一度劇場に行ったからおおよそどんな服装で行けばあの場に合うかなんて分かる。
大好きな人の最後の公演だからこそ、私も精一杯のおしゃれをして素敵な時間にするんだ!と待ち遠しい日が続いた。

総括:マジで変にテキトーな格好じゃなくて心底よかった。

1列目はとにかくすごかった。

当然だが、自分にステルス機能が搭載されているわけもなく、自分が相手を認識しているのと同じく、相手からも自分という存在を一瞬でも認識されているという事を否が応でも味わわされたというか。

当日は白のスカラップ襟の薄手のニットに、ブルーのジャガード織の花柄スカートにした。
馬鹿の一つ覚えのごとく初観劇の時とまったく似たコーディネートなのだからオシャレには程遠いが、メイクもいつもより丁寧に仕上げ、誰と目が合っても恥をかかない程度にそれなりな装いで挑んだ。

終わった後、マジで変にテキトーな格好じゃなくて心底よかった。と思った。

その心理とは、物理的な距離により痛烈に感じたものだった。

正直、彼女たちの美しさの圧がすごくて後ずさりしそうになった。

1列目はとにかく逃げどころがない。

1列目でなくても逃げ場はないのだが、目の前だからこそ否が応でも美しい人たちの目に留まる。
そして美しい人を前にするとなぜか「は、恥ずかしい!」という思いでいっぱいになるということも初めて知った。(まぁ目の前のめくるめく美のお芝居やショーに心奪われてそんな余裕もなくなるのだが)

ロックオンされ目が合い微笑まれた瞬間、恥ずかしさと同時にこちらの頬も当然緩み「あぁ、変な服着てこなくて本当に良かった。ちゃんと身綺麗にしてきて良かった。」とただシンプルなことを心底思った。

綺麗な人を前にすると、なんて自分はちっぽけで凡人なんだろうと思う。
そう思うけれど、美しさで張り合うとかの意味ではなく、まるでクラスの好きな男の子と思いがけないところでばったり会ったときに「変な格好じゃなくてよかった!可愛い服着ててよかった」とホッとした気持ちに似ているかもしれない。

もちろん、あの空間に相応しいようになんて最初は思っていた。
しかし蓋を開けてみればそれだけではなく、美しい人を目の前に自分の中の美意識も刺激されたように思うのだ。

この人達が綺麗で素敵なように、見習って自分も綺麗になりたいと思わせてくれるような、そんな時間だった。

非日常である特別な時間だからこそ、より自分で特別なものにする。

当然彼女たちにとっては毎日の公演だからこそ、お客様が何を着ていようが関係はないし、照明も強いので人の服なんて見ていないだろうし、実際何も感じてないことは分かっている。要するにこれは自分自身の問題なのだ。

けれど私が思ったのは、美しい彼女らの目に一瞬でも入るのならば、恥ずかしくないように自分も少しでも美しくありたい。
この「一瞬」を自分でも特別な記憶として残したいから、そのためにちょっとした努力をしたい。
そして実際目の前にし、「ああ、綺麗にしてきて良かった。」と思えた。

「何を着て行こう!」という心が弾むことは、なんにせよ気持ちの良いことである。
楽しみな気持ちは自分の中の何かを育ててくれている気がする。

もちろん、観劇なんだから全員がオシャレをしていくべきという意味ではない。みんな思い思いにその時したい格好やできる格好でいけばいいとも思う。

仕事帰りや学校帰りなど、状況や時間によっては着飾ることが叶わないことは当然あるし、そもそも劇団も「もっと気軽に身近に、みなさまのお近くに夢を感じていただけるように。みなさまに愛されるように」という思いで運営されていると思う。

その場に合わせたできうるかぎりのオシャレというものは、素敵な思い出に仕上げる最後のスパイスに似ている気がする。もちろんそれは自分の心ひとつで、自分にしかできないことだ。

そして自分を可愛くキレイにするというのは、自分の事をきちんと考えてあげているということ。つまりそれは、ものすごく自分を大切にしている行為なのではないだろうか。


宝塚観劇におけるおしゃれは私にとって、美意識への刺激だ。

よくジェンヌさんが「大変な日々でも、劇場に来たときは忘れて、夢の世界を思いっきり楽しんでください」と言ってくれる。

その夢の世界の一部を自分でも演出してこそ、思い切り浸れるし楽しめるに違いない。

「何を着ていこう!」

それは恋のときめきなようなものにも似ていて、そのときめきは私の気持ちややる気を前に押し出してくれるし元気にしてくれる。

宝塚観劇におけるおしゃれは私にとって、美意識への刺激だ。

これからもまた行ける機会が訪れたなら、あの空間に相応しいように、あの人たちを前にしてキラキラした時間を楽しく過ごせるように、綺麗で可愛くありたい。

そして観劇のときだけでなく、観劇できる時がきた時のために普段からおしゃれを楽しみたいし、そう思える自分の気持ちを大事にしたいと思う。