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日本のウイスキーはスコッチが先生!

■産業として始まったジャパニーズウイスキー

日本のウイスキーづくりは、鳥井信治郎が『産業』として、立ち上げたビジネスがはじまりです。
その鳥井信治郎(サントリー創業者)は、竹鶴政孝(ニッカウイスキー創業者)を工場長に据えて、本邦初のウイスキーづくりをはじめました。

世界の5大ウイスキーと、日本のウイスキーのルーツ|チャーリー / ウイスキー日記|note

サントリー創業者の鳥井信治郎が、日本初の本格ウイスキー工場である山崎蒸溜所を立ち上げるにあたり、三顧の礼をもって、工場長として迎え入れたのが、竹鶴政孝(のちにニッカウイスキーを創業)です。
当時、竹鶴政孝は、スコットランドでウイスキーづくりを学んで帰国したものの、ウイスキー留学をさせてくれた摂津酒造ウイスキー参入計画が頓挫すると、摂津酒造を退社し、中学校の化学教師をしていました。

技術者である竹鶴は、洋酒の寿屋(サントリーの前の社名)に入社し、日本でウイスキーづくりをはじめるにあたり、変に自分の手を加えることなく、できる限り本場のスコッチウイスキーの作り方を、そのまま踏襲しました。
そのため、日本初の本格ウイスキーづくりは、山崎蒸溜所において、スコッチ流ではじまったのです。


■摂津酒造と竹鶴政孝

ちなみに、摂津酒造は、当時の日本における最大のアルコール製造会社で、竹鶴が大阪大学・醸造科を卒業後に新卒で入社した会社です。のちに現在の宝焼酎(宝ホールディングス)へ合流しています。

当時、日本のウイスキーやワインづくりは、まだその黎明期であり、アルコールに香料や着色を加え、「ウイスキーっぽいもの」「ワインっぽいもの」、いわゆるイミテーションをつくっている時代でした。
当初は輸入アルコールを使用することが多かったのですが、条約改正でアルコール輸入税が重くなり、輸入アルコールでは採算がとれなくなると、日本政府の後押しもあり、国産のアルコール製造会社が興りました。
摂津酒造はその中で、「東の神谷、西の摂津」と並び称される大手でした。

※一方の神谷は、『電気ブラン』で有名な神谷バーの神谷で、アルコール製造のほかワイナリー経営など多角的に酒類を製造していました。現在は合同酒精と合流しています。

摂津酒造は、ウイスキーへ進出する前のサントリー(当時の社名は洋酒の寿屋)に、赤玉ポートワイン(現在の赤玉スイートワイン)に使用するアルコールを供給していました。その後、赤玉ポートワインの売上が飛躍的に伸びると、赤玉自体をOEMで製造していた時期もあります。
その時期には、摂津酒造に入社していた若き竹鶴も、赤玉をつくっていたそうです。また、竹鶴が摂津酒造からスコットランドへウイスキー留学させてもらう際に、旅立つ竹鶴を神戸港に見送りに行ったメンバーの中に鳥井もいます。

鳥井はウイスキー事業に参入するにあたり、当初はスコットランド人技術者を招こうとしましたが、最終的には竹鶴を迎え入れます。この摂津酒造や、竹鶴のスコットランドへの留学については、それだけでいくつも話にできそうなので、別途で記事化したいと思います。
今回の話題に話を戻します。


■竹鶴の理想 北海道余市

ただ、竹鶴の考えるウイスキーづくりの理想の地は、スコットランドと似通った冷涼な風土の北海道の余市でした。当初から、山崎よりも余市での蒸溜所建設を主張した竹鶴ですが、輸送コストや工場見学への交通の便などから、山崎を主張する鳥井に、自分の主張を譲ったという経緯があります。
竹鶴は、鳥井と入社時より約束していた10年契約を満了すると退社し、自分の理想とするウイスキーづくり、すなわちよりスコッチウイスキーに近い環境を求め、余市の地で、余市蒸溜所を開設したのです。
この余市蒸溜所からは、本場スコットランドのハイランドモルトに似た感じの、力強いタイプのモルトウイスキー原酒がつくり出されることとなります。


■日本の四季が、原酒にオリジナリティを生み出した!

現在も蒸溜所のハウススタイルとしては、竹鶴が主張した余市蒸溜所からは、力強い本場スコッチタイプのモルト原酒が生み出される一方で、山崎蒸溜所からは、日本ならではの繊細なタイプのモルト原酒が生み出されています。
どちらもスコットランドとは異なる、日本の四季が育んだ「日本ならでは」の味わいです!


■さらに多彩な原酒をつくり分ける!

竹鶴はスコッチウイスキー風にモルト原酒のバリエーションを増やすため、後年、宮城峡蒸溜所を開設します。余市蒸溜所のハイランドタイプとは異なり、優しい味わいのローランドタイプのモルト原酒を手に入れるためです。

一方で、サントリーも、山崎と違うタイプの原酒を求め、『水の質』を基点に、全国津々浦々まで蒸溜所開設の候補地を探しました。
日本各地の山奥まで分け入り、「水の狩人」とまで呼ばれるようになったその候補地の選定作業ですが、最終的には「南アルプルの天然水」で有名な、現在の白州の地に決定しました。
ここは、世界でも稀に見るような森の中で、スコットランドのどの蒸溜所よりも高い標高にあり、その環境が独特の青りんごのような爽やかなフレーバーを原酒に与えています。

このそれぞれのメーカーの第二蒸溜所である宮城峡と白州。ともに余市と山崎といった第一蒸溜所とは立地が大きく離れていることに加え、ポットスチルの形など「つくり方」も変えることで、原酒のバリエーションに幅を持たせています。
ただ、それらも基本的には、スコッチウイスキーのモルト原酒づくりを踏襲しているのです。


■スコッチ+日本の気候風土+日本のつくり手 = ジャパニーズウイスキー

基本的にはスコットランドのウイスキーづくりに倣った日本のウイスキーづくり。
ただ、日本国内のその土地ならでは気候風土が、独特の個性を原酒に付与しています。
そして、日本の卓越した技術者が、スコッチウイスキーの製造技術を、日本風に連綿と引き継ぎ、そして高め続けた結果、今日では、ジャパニーズウイスキーは、世界的に高い評価を受けるに至っているのです!

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