スコッチ業界の大ボスによる禁酒法推進への反論
■イギリスでの禁酒法推進の動き
1914年にはじまった第一次世界大戦の影響もあって、1900年頃からその主張が広まっていた禁酒法導入の流れが加速します。
そして、1914年、政治家で当時の財務大臣ロイド・ジョージ(1916年~首相)が、かねてから主張していた禁酒法の導入を画策します。
この禁酒法導入の主張に、スコッチ業界No.1メーカーDCL(ディスティラーズ・カンパニー・リミテッド)の総帥ウィリアム・ロスが反論します。
ここまでが前回の記事です。
■相まみえる2人の苦労人
1914年8月、DCL総帥のウィリアム・ロス(当時52歳)は、財務大臣ロイド・ジョージ(51歳)の官邸を訪れます。ロイド・ジョージが首相になるのは1916年なので、この時は政権No.2のポジションでした。
ちなみに、2人とも大英帝国でメインだったイングランドではない地域の、貧しい家庭の出身でその業界のトップまで昇りつめた苦労人です。
話を1914年8月の財務大臣官邸に戻します。
論客の政治家ロイド・ジョージによる禁酒法の主張を聞いた後、DCL総帥ウィリアム・ロスは静かな口調で反論します。
■スコッチ業界の大ボスが反論
ロイド・ジョージに対し、禁酒法が施行された場合の2つの対抗策を伝えました。
この対応策について少し解説します。
■酵母の生産ストップ
バン用酵母も、ビール用酵母も、ウイスキー用酵母も、種類が違うものの同じ「酵母」です。
この酵母が糖分を食べて「発酵」という現象が起こり、パンが膨らんだり、ビールやウイスキーのアルコールが生成されたりします。
ウイスキー業界最大手となっていたDCL社にとって酵母の生産は得意分野でした。
そして実際に、DCL社は1899年にユナイテッド・イースト社を設立していて、イギリス国内の酵母生産をほぼ一手に請け負っていました。
パン酵母の供給が無くなり、パンが食卓から消える=食料不足が起これば、真っ先に批判に晒されるのは政府でしょう。
ただでさえ、戦争による物資の不足で食糧難となっていた時です。そして、戦時下で国民もヒステリックになっています。
食料不足に拍車がかかることは、政府としてはとても容認できることではなかったのです。
■工業用・医療用アルコールの製造ストップ
有事に、普段は飲用のためのアルコールをつくっているメーカーが、工業用・医療用のアルコールをつくることは、よくあるケースです。
成分は違うものの同じ「アルコールをつくる」ということには変わりはないですし、特にウイスキーメーカーは蒸溜の技術・設備がありますから、真っ先に要請を受ける立場です。
第二次世界大戦の日本でも同様に、政府によるアルコールメーカーへの工業用アルコールの生産要請(命令?)があり、航空燃料のブタノールなどを生産していました。
また、コロナ禍のパンデミックで、日本でもアルコールメーカー各社が、消毒のための医療用アルコールを寄付した事例は、記憶に新しいです。
サントリーが消毒用アルコール提供開始、製造費用を自社負担、医療機関向けに | 食品産業新聞社ニュースWEB (ssnp.co.jp)
そもそも、この時、ロイド・ジョージが禁酒法導入を主張することの直接的背景は、第一次世界大戦が長引き、銃や砲弾の生産が追いつかなくなったことによる政府批判をかわすため(話をすりかえるため)です。
こう主張したわけですが、ウイスキー業界最大手のDCL社が戦争に必要な工業用・医療用アルコールの製造をストップしてそれが不足してしまうと、これまた戦時下でヒステリックになっている国民から猛烈な批判が出ることでしょう。
政府としては、国民から批判は上がるわ、本当に戦争に不利になるわで、とても受けることができる話ではなかったのです。
■禁酒法の法案提出は諦めるものの
このDCL総帥ウィリアム・ロスによる強烈な反論(恫喝?)によって、ロイド・ジョージは、禁酒法の法案提出を諦めます。
まあ、その後のアメリカの禁酒法(1920年~33年)の大失敗を見てしまうと、この時に禁酒法が導入されなくて良かったとは思いますが。
しかし、論客の政治家ロイド・ジョージはここで、おめおめと引き下げる男ではありません。
次回へ続きます。
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