ご縁でつながるケンタッキー州「3大名物」
■ケンタッキー州といえば?
ウイスキー愛好家に「ケンタッキー州は?」と聞けば、「バーボンのメッカ」と答えると思います。
アメリカンウイスキーの中で一番メジャーな存在「バーボンウイスキー」は、ケンタッキー州が最大の生産地です。
そして、バーボンウイスキーの中で、世界販売量1位なのが、TVCMでもお馴染みのジムビーム!
ジムビームは、日本での販売数量も増やしていますが、世界的にも売上を伸ばしている絶好調なバーボンです。
また、日本でジムビームに次に有名なバーボンといえばメーカーズマークではないでしょうか?
赤い封蝋が印象的な、クラフトバーボンです。
メーカーズマークは、2005年からジムビームの傘下にあり、そのジムビームは、2014年にサントリーが買収しています。
一方で、ウイスキーファンに限らず、不特定多数の人に「ケンタッキー州は?」と聞けば、「ケンタッキー・フライドチキン」と答える方が多そうです。
このケンタッキー州に集う「ジムビーム」「メーカーズマーク」「ケンタッキー・フライドチキン」の意外なご縁を、「メーカーズマーク」からの視点でご紹介したいと思います。
■メーカーズマークがジムビーム傘下になるまで
メーカーズマークが、ジムビームの傘下に入ったのは2005年です。
ただ、これもメーカーズマークが、単に同じケンタッキー州の「ジムビームの傘下に入りました」という簡単な話でなく、大変複雑な企業買収が続いた上での結果です。
独立系の蒸溜所だったメーカーズマークは、1981年に当時の世界酒類業界の巨人、カナダのハイラムウォーカーに買収されます。
そのハイラムウォーカーは、1987年にイギリスの大手酒類企業アライド・ライオンズに買収されます。
1994年にアライド・ライオンズとペドロ・ドメックが合併し、アライド・ドメックとなるものの、その会社も2005年にフランスの大手酒類企業ペルノ・リカールに買収されます。
この買収時に、ペルノ・リカールは、手持ちのブランドを整理して、重複するブランドは、アメリカのフォーチュンブランズ(もともとジムビームを所有していた会社)や、イギリスのディアジオに売却しました。
この時に、メーカーズマークは、フォーチュンブランズ社に売却され、傘下のビーム社の一部となったわけです。
うーん、難しい。頭から湯気が出そう。。
■メーカーズマーク(サミュエルズ家)とジムビーム(ビーム家)
このように、クラフトバーボンのメーカーズマーク蒸溜所は、世界の超巨大酒類企業の中を、
と回りまわって、同じケンタッキー州のご近所さん、ジムビーム蒸溜所と一緒になったわけです。
これで「元の鞘に収まった」形となりました。
どういうことかというと、「同じケンタッキー州の蒸溜所」というだけでなく、メーカーズマークの「サミュエルズ家」とジムビームの「ビーム家」は、そもそもご近所付き合いがありました。
■メーカーズマーク7代目 ビル・サミュエルズ・ジュニア
サミュエルズ家は、1780年にスコッチ・アイリッシュ系移民の一族のひとり、ロバート・サミュエルズが、ペンシルベニアよりケンタッキーに移住。農業をしながら自家用ウイスキーをつくりはじめたことに、蒸留酒づくりがスタートしています。
その後1951年、6代目ビル・サミュエルズ・シニアがロレットに小さな蒸溜所を取得し、これが今のメーカーズマーク蒸溜所となっています。(ちなみに、今の赤い封蝋のメーカーズマークが発売されたのは1959年です。)
歴史|クラフトウイスキー メーカーズマーク サントリー (suntory.co.jp)
7代目ビル・サミュエルズ・ジュニアは、6代目ビル・サミュエルズ・シニアの息子で、1975年に父親から家業を継ぎました。
このメーカーズマーク7代目の名付け親が、ふるっています!
ちなみに、ジム・ビームというのはあだ名で、本名はジェームズ・ボーリガード・ビーム、ビーム一族の4代目です。
BEAM'S HISTORY|MAKE HISTORY|世界No.1バーボン「ジムビーム」 サントリー (jimbeam.com)
ビーム家は、1795年に初代ジェイコブ・ビームが、ケンタッキー州でバーボンをつくりはじめました(紛らわしいですが、この人がジム・ビームではありません)。
そして、1920年にはじまるアメリカ禁酒法までは、オールドタブというブランドをメインで販売していました。
禁酒法によりバーボンづくりをストップすることとなりますが、1933年に禁酒法が廃止されると、4代目ジェームズ・ボーリガード・ビーム‘(この人が友人や家族からジム・ビームと呼ばれていた)が、わずか120日間で蒸留所を稼働させました。
当時すでに72歳! エネルギッシュ!!
彼の功績をたたえ、現在のブランド名は「ジム・ビーム」となっているのです。
そんなジム・ビームさんが名付けたビル・サミュエルズ・ジュニアは、巧みなマーケティング感覚で、メーカーズマークを「旅客機のカート」に乗せることに成功。知名度と需要はアメリカ全土に広がります。
そして、これが「ウォール・ストリート・ジャーナル」に成功したマーケティング事例として紹介され、より一層メーカーズマークの人気に火をつけることとなるのです。
それにしても、名付け親がジム・ビームなのは素敵な逸話ですが、付けた名前が、父親の「シニア」部分を「ジュニア」と変えただけの「ビル・サミュエルズ・ジュニア」なのは、ちょっと雑な気がしますが。。
■メーカーズマークとケンタッキー・フライドチキン
この7代目ビル・サミュエルズ・ジュニアは、ケンタッキー州が誇るもう一人の偉人とも接点があります。
実は、ビル・サミュエルズ・ジュニアは短期間ですが、カーネル・サンダースさんの運転手を務めていた時期があるのです!!
その短期間で、カーネル・サンダースさんから「ものづくりへの情熱」を学んだそうですが、詳細はまたいつかの機会に。
それにして、7代目ビル・サミュエルズ・ジュニアは、持っていますねー。
なんだかケンタッキー・フライドチキンをつまみに、メーカーズマークのハイボールを飲みたくなってきましたね!!