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ジンはオランダで生まれ、イギリスで洗練され、アメリカが栄光を与えた 《ジン⑮》


■大英帝国下で、進化するジン

オランダのジュネヴァが、イングランドに来てジン(甘みのあるオールド・トム・ジン)になり、連続式蒸溜機によって軽快な味わいのロンドン・ドライジンとなったことは、前回までにご紹介しました。

さて、この大英帝国にもたらされたジンですが、大英帝国の植民地化政策の中で、さらに世界的な伝播&進化を遂げます。


■薬酒としてのジン

ジュネヴァやジンは、もともとはボタニカルの成分の入った薬酒として誕生し、次第に嗜好品としての飲み物になりました。

一方で、ヨーロッパ列強国の植民地政策の中で、これらジュネヴァやジンは、本来の薬酒としての役割を買われ、治療薬的な必需品として、船に乗って世界中へ伝播することとなります。

代表的なところでは

オランダ東インド会社
《拠点》インドネシア:ジャカルタ
  ⇒ ジュネヴァを大量に持ち込み

イギリス東インド会社
《拠点》インド:カルカッタ
  ⇒ ジンを大量に持ち込み


■薬酒としてのジンライム

ジンライムとは、ジンにライム(果汁やジュース)を加えた、ジンプルなカクテルです。

ジンはアルコール度数が高く、暑さによる品質劣化をしないので良いのですが、赤道を通る長い航海では、新鮮な野菜が不足するため、ビタミンC不足による壊血病が深刻な悩みでした。

まだ栄養成分などが解明される前でしたが、経験から

どうもライムレモンオレンジとか柑橘類が、
壊血病の予防に良いらしいぞ!

という話になり、ジン(やラム)に、ライムを搾り入れて飲むようになります。
これが、ジンライムの誕生です!

英国海軍の水兵や、イギリス商船の乗務員たちは「ライミー」というニックネームで呼ばれましたが、それはこのようにライムを搾り入れていたためです。

ここで、なぜレモンでなくライムだったかというと、英国がレモンよりもライムが豊富に採れる地域を植民地としていたからだと、言われています。


そして、19世紀後半になると、このジンライムがさらに進化して、都会のBARでシェークされるようになります。

シェークされるようになると、ほかの素材も入れて、ジンライムはさらに洗練された味わいへと進化します。

これが、ジンベースのカクテル「ギムレット」の誕生です。(諸説あります。)


■薬酒としてのジントニック

当時、東インド会社の社員にとっての一番の脅威はマラリアでした。

イギリス東インド会社の社員は、6~9月のモンスーンの季節には、社員の1/3がマラリアによって命を落としたと言います。

医学がまだ発達していない当時、マラリアへの唯一の特効薬が、キナという木の樹皮から抽出されるキニーネという成分でした。

◇キニーネとは?
コルタリカからベネズエラ、ボリビアまでの南米を原産とするキナの樹皮から得られる成分で、マラリア原虫に特異的な毒性を示すマラリアの特効薬。
もともと、アンデス地方のインディオ(原住民)の中で、このキネの木の根元にたまった苦い水を飲むと、マラリアの熱が下がると言われてきた。

(とはいうものの、マラリアはアメリカ大陸にはもともと存在しないため、ヨーロッパ人によって持ち込まれたと考えられている。)

それがキリスト教イエズス会の宣教師に伝わり、キネの木の粉抗マラリア薬として広まることとなった。

(だたし、宗教改革による旧教と新教の対立によって、「イエズス会が変な粉を広めようとしているんだけど」という噂の方が先に広まり、キニーネが広まるのが遅れた。)

第二次大戦では、日本軍もマラリアに悩まされ、このキニーネを奪い合うように探しまわることとなった。

ただし、このキナの樹皮から抽出されるキニーネは、ムチャクチャ苦いのです!!

まずは、砂糖炭酸水を加えて、飲むようになります。

その後、ジンもそこに加えるようになります。


次第に、「キニーネに砂糖と炭酸水を加えるのは面倒なんだけど」となり、最初からそれらを混ぜている炭酸飲料が誕生します。

まずは、キニーネ「砂糖」
「炭酸水」を加えてっと。

もっと飲みやすくすため「香草」とか
「果皮」も入れちゃえ!

これは、これで美味しいんだけど!

トニックウォーターの誕生!

このトニックウォーターに、
薬酒であるジンも混~ぜよっと!

ジントニックの誕生!

トニックウォーターや、ジントニックは、元々はマラリア対策として飲まれだしたものなのです!
(当然、当時の味は、今と全然違いますが。)


前述の「ジンライム」「ギムレット」、そして「ジントニック」といったジンをつかったスタンダード・カクテルは、どれも英国本国から遠く離れたところで、薬酒として誕生。

それがやがて「これ美味いね」本国へ逆輸入されたという歴史を持つのです!


■英国海軍とジン

イギリス東インド会社の船だけでなく、世界の海を席巻した英国海軍の船にもジンは、もちろん積み込んでありました。

将校 = ジン(英国産)
水兵 = ラム(西インド諸島・カリブ海の植民地産)

と、階級によって配給されるお酒が異なっていたので、
「ジンって、植民地をつくりまくって、今、一番ノッている英国の海軍の中でも、エラい人が飲むお酒だから、美味しいらしいよ」
と、ジンが世界へ広がる後押しとなりました。


■アメリカでバズったマティーニ

マティーニは、ジンベースのショートカクテルで「カクテルの王様」と称されます。

マティーニの誕生には諸説ありますが、1910年頃にアメリカで誕生したと言われています。

1920~1933年まで、アメリカでは禁酒法が施行されたため、大っぴらな飲酒文化は衰退します。
ただ、その分、カクテルは「ジュースを飲んでいるみたいに見えるからOK」という理由で、カクテル文化は進化して行きます。

禁酒法が撤廃されると、アメリカでは、マティーニにドライな味わいを求めるお客様が増えます。
(マティーニに限らず、お酒というものは、大体が甘口から、辛口=ドライに移行するという大きな流れがあります。)

そのため、この頃、カクテルベースとなるジンは、甘味のあるオールド・トム・ジンからドライジンへとシフトします。


そうなると、アメリカだけでなく、ヨーロッパのジン市場もドライ化が進行しました。

やがて、ジュネヴァや、オールド・トム・ジンは、古臭く感じされるようになり、

ジン = ドライジン

という今に繋がるようなジン市場ができあがり、ドライジン世界的なスピリッツへと成長したのです。


■こうした歩みが

オランダのジュネヴァにはじまり、アメリカのドライマティーニによって、ドライジンが世界的なお酒に躍り出るまでの歴史的変遷。

このジンの歴史を、

ジンはオランダで生まれ、
イギリスで洗練され、
アメリカが栄光を与えた。

と言っているのです!

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