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【第2ラウンド】禁酒法推進派 VS スコッチウイスキー業界、衝撃の結末とは!?

■イギリスでの禁酒法推進の動き

・1914年にはじまった第一次世界大戦の影響もあって、1900年頃からその主張が広まっていた禁酒法導入の動きが加速。

・1914年、政治家で当時の財務大臣ロイド・ジョージ(1916年~首相)が、かねてから主張していた禁酒法の導入を画策。

・この禁酒法導入の主張に、スコッチ業界No.1メーカーDCLの総帥ウィリアム・ロスが「酵母の生産ストップ」「工業用・医療用アルコールの製造ストップ」をちらつかせ、法案提出を阻止。

・ここで引き下がるロイド・ジョージではありません! 第2ラウンドがスタート!!

ここまでが前回の記事です。
スコッチ業界の大ボスによる禁酒法推進への反論|チャーリー / ウイスキー日記 (note.com)


■論客ロイド・ジョージの次の手

1914年8月、財務大臣官邸でウィリアム・ロスからの強烈な対抗策を示唆され、禁酒法の法案提出を諦めたロイド・ジョージですが、次なる作戦を考えます。

1915年、ロイド・ジョージは禁酒法が駄目ならばと、

蒸溜所の酒税を2倍に引き上げる法案を提出

するのです!

執念深い男ですね。
こういうヤツは敵にしたくないものです。

もちろん、この法案にウイスキー業界は大反発します。

ただ、ウイスキー業界も考えます。

◇ウイスキー業界首脳の心の声

ロイド・ジョージって、マジでしつこい!

こりゃ、何らかのお土産を用意しないと、延々とこの嫌がらせチックな法案の提出が続くぞ。

そこで、ウイスキー業界側が、「蒸溜所の酒税2倍化」の法案に対する、双方の現実的な着地点として「代替案」を用意することにしました。


■ついにスコッチウイスキーに法定の最低熟成期間を設定!

その代替案こそが、

ウイスキー業界で法的
「ある一定年数ウイスキーを貯蔵する義務」
を負うこと。

でした!

そして、ロイド・ジョージへは、

「酩酊しやすい粗悪なウイスキーを排除するとともに、ウイスキーの市場での流通量を減らすことが目的」

と説明しました。

ロイド・ジョージ側も、提出した酒税2倍化の法案が破棄されるよりも、現実的に飲酒による問題を減らし、ウイスキーの流通量を減らすことに繋がるだろうウイスキー業界側の提案を受け入れることを選択します。

こうして1915年に、法的にスコッチウイスキーへの樽熟成が義務づけられたのです!

ちなみに、その期間は2年間でした。


■最初の法定最低熟成期間=2年とは?

ちなみに、この時に義務づけられた2年という貯酒期間に、科学的な根拠はないそうです。

ただ、当時は

「少なくとも2年以上貯蔵熟成させたウイスキーよりも、未熟なウイスキーの方が酩酊するという理屈が常に禁酒法活動で主張されていた」

スコッチウイスキーの歴史 P218 国書刊行会

そうなので、ロイド・ジョージ率いる禁酒推進派でも受け入れられやすい内容だったのです。

今も、「安いお酒を飲むと悪酔いする」などと言われることは多いので、古今東西、酒飲みにはお馴染みの感覚なんだと思います。

一方で、ウイスキー業界側にとっても、

「大半のブレンダーがよりスムースで繊細な香味のブレンドにするために、二年熟成のグレーンやモルトウイスキーを使っていること」

スコッチウイスキーの歴史  P218 国書刊行会

を法的に義務化したにすぎず、受け入れやすい内容たっだのでした。


■そして最低熟成期間は3年に!

この樽熟成は翌1916年には「3年以上」と、速攻で1年間が追加されました。

それは、とにかく戦争が長引く中で、ウイスキーの市場への流通量を減したかったからです。
そして、政府としては「戦時対策をより強化していますよ!」と国民へアピールすることもできたのです。

このように、

スコッチウイスキーの
「3年以上の樽熟成」の法規定

は、品質保証・ブランディングが主目的ではなく、

・禁酒法を導入したい禁酒推進派
・それを阻止したいウイスキー業界側
 → 両者の妥協点

として、法的に定められたのです!

ただ、導入の経緯はどうあれ、この3年という法的な最低熟成期間は、ウイスキーの品質を一定のレベルで保証することになっています。

そして、ウイスキーというお酒の最大の特徴である「木樽熟成」という工程を明文化したという点において、ウイスキーの歴史に刻まれるべき出来事だったのだと思います!


迷走しながら4話をかけて、やっと「ウイスキーの3年熟成」の導入についてご紹介を完了できました。
お付き合いありがとうございました!!

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