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すっきり系ブレンディッド・スコッチ『カティサーク』《カティサーク①》


■昔からよく見かけるカティサーク

帆船の絵が描いてあるラベルが印象的な、低価格帯のスコッチ・ウイスキーにカティサークがあります。

日本においては、古くはサントリーが、少し前まではサッポロビールが販売していて、2023年4月からはアサヒビールが輸入代理店として販売をしています。

アサヒ、スコッチウイスキー「カティサーク」の日本国内での販売権を取得 - 日本経済新聞 (nikkei.com)

これはカティサークというウイスキーブランドの大元の所有者の変更が影響していると思われます。

カティサークは、1923年に英国のワイン・スピリッツ商BBR社が誕生させた商品です。

ということは、今年2023年で100周年!!
日本のウイスキー誕生(山崎蒸溜所)と一緒の年齢ですね!

その後、2010年4月からマッカランで有名なエドリントン・グループが、長年取引のパートナーだったBBRからブランド権を買収。

さたに2018年11月にフランスの酒類大手ラ・マルティニケーズ社(※)が、エドリントンからブランド権を買収して、現在に至ります。

※ 正確には、ラ・マルティニケーズ社の子会社のグレンターナー株式会社が買収。 

※ ラ・マルティニケーズ社は、スコッチのモルト蒸溜所や、グレーン蒸溜所、独自のブレンディッド・ウイスキー銘柄を持つ大手です。

このように、大元のメーカーと、日本の販売代理店の関係については、過去に記事にしています。

アーリータイムズ・イエローラベルは、なぜ日本での販売を終了したの?《アーリー⑥》|チャーリー / ウイスキー日記 (note.com)


■カティサークを誕生させたBBRという会社

BBRという会社は、「ベリーブラザーズ・アンド・ラッド」の略で、
英国最古 かつ 英国王室御用達の
ワイン・スピリッツ商

です。

◇BB&R(ベリー・ブラザーズ&ラッド)社

1698年創業の300余年の歴史を誇る英国最古のワイン・スピリッツ商。
今日もなお、ベリー家とラッド家による家族経営。

ベリーズ家が初めて英国王室にワインをお届けしたのは18世紀ジョージ3世時代まで遡る。
1903年、エドワード7世より英国王室御用達を賜り、前・エリザベス女王と現・チャールズ国王から、それぞれ御用達を受けている。

世界に30ケ国・396名(2020年2月28日現在)いるマスター・オブ・ワイン資格保有者のうち、最多の6名のマスター・オブ・ワインを有する会社。いわば、英国王室のワインセラー的存在です。
(日本人のマスター・オブ・ワインは2名で、日本在住者では大橋健一さんのみです。)

ただ、ワインだけの会社ではなく、同社はアイコン・オブ・ウイスキーの「インディペント ボトラーズ オブ ザ イヤー」に、2010年・2011年の2年連続で輝いています。

弊社の歴史 ベリー・ブラザーズ&ラッド (bbr.co.jp)

ベリー・ブラザーズ&ラッド (saketry.com)

日本人初のマスター・オブ・ワインー大橋健一さんはこんな人! (itsumowine.com)


■カティサークの誕生の背景

BBR社がブレンディッド・スコッチ「カティサーク」を誕生させたのは、1923年ですが、それは、『アメリカ禁酒法』が大きく影響しています。

◇アメリカ禁酒法

1920年1月~1933年12月まで、アメリカ合衆国で施行。
「アルコール飲料をつくっちゃダメよ!」「輸送したらダメよ!」「売っちゃダメよ!」。でも、「手元にあるアルコール飲料を飲むのはOK」というハチャメチャな規定だったので、大失敗した法律。

「飲んじゃダメ!」と言われると飲みたくなるのが人の常で、この禁酒法期間のアルコール消費量は急増
一方で強い需要があるので、アル・カポネなどアルコールを密輸するギャングが横行して、治安も急激に悪化しました。

このアメリカ禁酒法の中、BBRの経営陣の一人、フランシス・ベリーが、逆張りの発想を思いつきます。

《普通の人》
禁酒法だから、アメリカではお酒は売れないわー。

《フランシス・ベリー》
このアホみたいな法律は近い将来、撤廃されるに違いない!
その時を狙って、今から巨大市場アメリカをターゲットにした商品開発がマスト!!


■アメリカ向けスコッチ:カティサークの誕生

そこで、フランシスの考えた商品コンセプトがこちら。

◇商品コンセプト

・しばらくお酒を自由に飲めなかった状態だから、最初からコクの強いスコッチは受け入れられづらいだろう。

・それだから、飲みやすくライトなウイスキーが良いだろう!

色調も敢えて薄めで、「ライトさ」を強調しよう。(※)

※ カティサークには、スコッチで法律上認められているカラーリング(カラメル添加)がされていないため、非常に淡い色合いになっています。


■そして1933年、アメリカ禁酒法が撤廃

BBR社の読み通り、ついにアメリカ禁酒法が撤廃となると、準備万端だったカティサークは、一斉にアメリカへ上陸!

狙い通り、その軽快な味わいが、ドハマり!!

第二次大戦後、カティサークは、1970年にJ&Bに抜かれるまで、アメリカでは売上1位の座を占めることとなったのです。

BBR社、そしてフランシス・ベリー、やりますね!


■(話は逸れますが)現在のアメリカでの売上No.1スコッチ

これは、デュワーズのホワイトラベルです。

なので、第二次大戦後、アメリカNo.1スコッチの座は、少なくとも

・カティサーク
・J&B
・デュワーズ

と入れ替わっています。

また、J&Bは当時、世界売上No.1ウイスキーでもあったらしいのです。

◇J&B 世界順位(現在)
・スコッチ 7位
・5大ウイスキー 15位
・インドを含めた全ウイスキー 27位

※2021年度出荷数量
(DRINKSINT.COM ミリオネアズクラブ2022)

この順位の変遷って、どのような理由で起こったのでしょうかね?
気になる~。

あと、デュワーズがアメリカで売れている理由として、一般的に言われているのが、このエピソード。

ジョン・デュワーの息子トミー・デュワーが世界を旅する途中、かねてより親交の深かった鋼鉄王アンドリュー・カーネギーを通じて、当時のアメリカ大統領ベンジャミン・ハリソンにデュワーズを提供。それが話題となり、デュワーズの名は全米に広がりました。

デュワーズHPより

デュワーズの味わいの秘密|デュワーズ|バカルディ ジャパン株式会社【BACARDI JAPAN】 (dewars-jp.com)

でも、ベンジャミン・ハリソンが大統領だったのは、1889年~1893年なので、デュワーズがアメリカでNo.1スコッチになった時期とはかなりズレていると思うんですよね。

アメリカにおける、
・カティサーク
・J&B
・デュワーズ
『販売量の変遷』(&その背景)
については、調べてみたいと思います!


■次回は

カティサークというスコッチ・ウイスキーの名前の由来について解説します!

※ タイトル写真は、スコッチ:カティサークのラベルに描かれている帆船:カティサーク号の写真です。

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