《アメリカ禁酒法》 最強のお酒密売者 弁護士ジョージ・リーマス
■禁酒法時代、捨てることのできなかったウイスキー
禁酒法が始まるとビールを中心に、密造されたお酒は排水溝に流されました。
ただし、高級バーボンとライウイスキーは流されずに保税倉庫に保管されていました。
法律上あくまで私有財産であるそうしたウイスキーを、政府は押収できなかったからです。
さすが法律の国、アメリカ!
そして、こうした保税倉庫のウイスキーは警備の緩い地方に行けば、コソ泥が盗むことができました。
政府はこの窃盗対策として、「統合倉庫」をつくり、292の保税倉庫に分かれて保管されていたウイスキーの中味を10ケ所に集め、警備員に集中的に見張らせるようになったそうです。
■医療用ウイスキー
アメリカ禁酒法の時代、「医療用ウイスキーの販売は禁止しない」という抜け道的な条項が、禁酒法の中にありました。
ウイスキーが万能薬として信じられていた19世紀の名残を残すものです。
この「医療用ウイスキー」として、アメリカへの輸出に成功したスコッチにラフロイグがあります。
ラフロイグは、そのあまりに強い個性(強いピート香=正露丸のようなヨードの香り)のため
と主張して「薬用ウイスキー」として、禁酒法下のアメリカへの上陸に成功します。
一方で、アメリカ国内の一般消費者も、医師の処方があれば、ラベルに「医療目的に最適」と但し書きが追記されたバーボンのボトルを手にすることができました。
そのボトルは、きちんと禁酒法以前のように正規の蒸溜業者が詰めて、保税倉庫に保管されていたものです。
こうして、禁酒法下でも「薬用ウイスキー」という抜け道的なウイスキーの出荷が認められていたので、政府に認められていた大手6社は、こっそり営業し続けることができました。
これについては、以前に記事にしています。
アーリータイムズ 発売から禁酒法まで《アーリー②》 | 記事編集 | note
最初は保税倉庫に残された在庫を出荷するだけでしたが、1928年にその6社の在庫がほぼ底をついたときに、政府は自ら特例条項を通して、追加でウイスキーを生産させました。
それだけ「医療用ウイスキー」に需要があったということですね!
■禁酒法の条項を読み込む弁護士:ジョージ・リーマス
弁護士のジョージ・リーマスは自分の担当する裁判の被告人である密売人たちが、大金を持っているのを知っていました。
リーマスは、まじめに弁護士をやっているのが、馬鹿らしくなります。
そこで、リーマスが目を付けたのが禁酒法の「医療用ウイスキー」の項目です。
すでにお伝えした通り、医師の処方があれば一般人も合法的にウイスキーを手にすることができました。
この処方は、医師だけでなく歯科医や獣医にも同じ権限が与えられていました。
そして、青年時代に夜間のロースクールに通いながらおじの薬局で働いていたリーマスは薬剤師の資格を持っていたのです。
リーマスは、ピンと来ます。
■リーマス、攻めの薬用ウイスキー販売
リーマスは、まず蒸溜所を買収してオーナーとなり、敷地内の保税ウイスキーの法的な所有者になりました。
そして、それを皮切りに次々に10もの蒸溜所を買収します。
その中には、あのジャックダニエルの蒸溜所もありました。
次に、リーマスはドラッグストアを買収します。
そこで、ドラッグストアの店舗毎に割り当てられる「医療用ウイスキーの販売許可番号」に則って、自社のウイスキーを保税倉庫から運び出し、医療用市場で売り始めたのです!!
かつての薬剤師の経歴を活かした、完全に合法なビジネスです。
すげーことを考えるな、リーマス!
この方法で、リーマスは禁酒法時代の初期の数年間、お酒密売の業界でもっとも幅を利かせていた有力者となりました。
当時は、後にカナディアン・ウイスキーの密売で名をはせるアル・カポネは、まだマフィアの下済みの時代です。
■リーマスの豪遊ライフ
リーマス、半端じゃない超豪遊ライフです!
■そして、非合法取引へ
リーマスは合法的に、政府が許可した医療用ウイスキーの販売許可証のもとで事業を始めましたが、すぐに非合法なやり方に手を染めます。
まずは、
そしてついには、
ここまでくると、明確な犯罪です。
闇取引では、自社傘下のジャックダニエル蒸溜所で、部下に木樽の栓を抜かせて、ホースとパイプで中身の原酒を抜き、外に待機させていたトラックのタンクに流し込み、闇市場で売りさばいていたそうです。
保税倉庫の原酒がなくなると当局から突っ込まれますから、空になった樽には水を入れておきました。
もう無茶苦茶。
■そして、悪者は捕まります
非合法商売での荒稼ぎに一直線となったリーマスは、アメリカ司法長官を買収しようとしたり、色々な画策をして逮捕や訴訟の有罪判決を逃れようとします。
しかし、結局は
「策士 策に溺れる」
で逮捕、有罪・服役。
その間に、自分を助けてもらうように動かしていた人物に、奥さんを奪われてしまいます。
そして、それに怒り狂ったリーマスは、出所後にその奥さんを射殺するのです。
ただ、この殺人罪については「心神喪失」ということで無罪となります。
「シカゴ流の評決」という表現が、この無罪判決への一般市民の偽らざる受け止めだったのでしょう。
■リーマスの晩年
比較的穏やかな余生を送り、1952年(禁酒法撤廃は1933年)、静かにこの世を去ります。
ザル法と呼ばれ、あらゆる面で整合性が取れていなかったアメリカ禁酒法。
結局は撤廃されるわけですが、その禁酒法時代は、約14年間も続いたのです。
ちなみに、日中戦争の開始から第二次世界大戦終結まで、約8年。
真珠湾攻撃から第二次世界大戦終結まで約4年。
なかなか長い時間ですよね、14年。
《参考》
バーボンの歴史 原書房 リード・ミーテンビュラー著
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