見出し画像

【酒税法の日本国産ウイスキー】「ブレンド規定」の問題点と出発点《JW定義③》

■前回まで

まず、酒税法の定める「日本国産ウイスキー」の定義と、法律が定める「スコッチウイスキー」の定義を確認しました。

そして、スコッチウイスキーの法定義の規定は、大きく
「ウイスキー足り得るための規定」
「スコッチ足り得るための規定」
の観点の2つに分類することができるとお伝えしました。

その2つの観点から、酒税法上の「日本国産ウイスキー」の規定を確認すると、いくつかの点で、レギュレーション(規定)の不足があるのです!

前回はその1つ目の「熟成規定がない」点を、問題点①として指摘しました。

今回は、その続きで問題点②を考えてみたいと思います。


■問題点②(ブレンドの規定に関して)

問題点①に続き、問題点②も「ウイスキー足り得るための規定」についてです。

具体的には問題点①は「木樽熟成の規定がない」という点が問題でした。

問題点②は「他国にはないブレンド規定がある」という問題点です!

日本国産ウイスキー(酒税法)の法定義では、ブレンディッドウイスキーの規定の文言の中で、スピリッツの混和が認められています。

カナディアンウイウキーでは、9.09%まで「カナダ産以外の酒類(通常はバーボンやシェリー酒、フルーツフランデーなど)」をブレンドすることが認められていますが、他の国でスピリッツのブレンドが認められていることは、まずないです。

「ちょっと変だよ! 日本国産ウイスキーの定義」というお話なのです。


■賢者は歴史に学ぶ

「遇者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉があります。

この特殊なブレンド規定について、「現時点の視点のみで他国のウイスキー定義と比較」して『こんな変な規定、誰がつくったんだよ!』と判断するのは、ちょっと早合点ということになります。

この特殊なブレンド規定も、日本のウイスキー業界が歩んできた複雑な歴史を振り返ると、どうしてそのそのような規定になっているのか、その流れがわかります。


■「農民のお酒」と「産業としてのお酒」

スコットランド・アイルランド・アメリカ・カナダは、「農民」が余剰穀物からウイスキーを地酒的につくりはじめたという歴史があります。
いわば、日本の「どぶろく」と一緒です。

一方で、日本は鳥井信治郎が『産業』して、ウイスキーづくりを始めました。

このように、スタート時点で、すでに背景の違いがあります。


■ウイスキー業界を取り巻くトレンドの違い

そして、5大ウイスキーの他の4ケ国と異なり、日本は圧倒的に歴史が後だったので、ウイスキーを取り巻く「時代」が大きく異なります。

1923年に鳥井信治郎が竹鶴政孝を工場長に据えてウイスキーづくり(=モルト原酒づくり)をはじめた時には、世の中にはシングルモルトウイスキーは存在せず、『ブレンディッドウイスキーしか存在しない時代』でした。

そのため鳥井や竹鶴が目指したウイスキーも、当然、ブレンディッドウイスキーでした。

今の世界中のウイスキーの新興クラフト蒸溜所のほとんどが、シングルモルトウイスキーづくりから始まるのを考えると、全然違う状況ですね!


■第二次大戦後の悪酒の時代

そして時は過ぎて、第二次世界大戦の敗戦後、日本ではメチル・バクダン・カストリ(※)といった、命を落とすような悪質な自家製酒が蔓延りました。(※戦後のカルトリと、粕取焼酎はまったくの別物です!)

メチルは、「目散る」と揶揄され、失明に繋がるような、本来は飲用してはいけない工業用の粗悪なアルコールでした。
貧しい時代、そのように「目散る」となるかもしれないと不安を抱えつつも、厳しい現実をひと時でも忘れるべく、粗悪なアルコールを煽ったのでした。

そんな貧しく厳しい時代に、メチル・バクダン・カストリといった死と失明と隣り合わせのお酒でなく、正規メーカーには健康を害することのない「廉価なお酒」を提供する社会的責任と必要性がありました。

そういった戦後の貧しい時代に、ビールや日本酒よりも安い「3級ウイスキー」が一世を風靡したのです。

それまでの居酒屋に代わり「トリスバー/ニッカバー/オーシャンバー」などの洋風のチェーンBARが次々に誕生。
このチェーンBARで戦後復興に立ち向かう労働者は疲れをいやし、明日への活力を養い、昭和の高度経済成長へと繋がっていったのです!


■ウイスキーの等級制度の廃止

戦時中に、スピリッツの混和率によって「1級」「2級」「3級」と区分されていたウイスキーは、戦後、酒税法の改定で「特級」「1級」「2級」と名称を変えます。

ただ、多少の規定の変更はあるものの、根本的にはそれまでの3区分と、規定にさほど変化はありませんでした。

ここで重要なのは、「特級」「1級」「2級」という区分(スピリッツの混和の度合い)によって酒税が違い、それによって販売価格も異なっていたという点です。(もちろん特級の販売価格が高く、2級が安い。)

1980年代に貿易摩擦が深刻化すると英国首相サッチャーさんから

日本のそのヘンテコな特級・1級・2級の税率の違いって何よー! 

スコッチなんてスピリッツが入っているわけがないから、全部が特級に区分されるに決まっているでしょ!!

そんなんだからスコッチが日本で、全然売れないのよ!!!

By マーガレット・サッチャー

と猛批判を受けます。

その結果、日本でウイスキーの等級制度がなくなったのが、1989年です。

これについては以前に記事化しています。
一升瓶ウイスキーの終焉。その2つの理由。《一升瓶ウイスキー⑥》|チャーリー / ウイスキー日記 (note.com)

この時に、「今までの特級・1級・2級は、区別なく全部がウイスキー!」と、一緒にしちゃったので、一番レギュレーションの緩い「2級ウイスキーの定義」が、「ウイスキーの定義」にスライドしてしまいました。

それが、現在の酒税法の「ウイスキー」の定義に、「スピリッツの混和規定」として、残っちゃっているのです。

このようにいくつもの日本固有の歴史的背景があった上での規定ではあるものの、世界的には「ウイスキーにスピリッツの混和がOK」という規定はスタンダードではありません。

世界の中で「ジャパニーズウイスキー」をブランディングすることを考えるなら、レギュレーションの整理整頓が必要でしょう。


■問題点③

問題点①②は、「ウイスキー足り得るための規定」についての問題点でした。

問題点③は、「スコッチ足り得るための規定=産地規定」と比較した時の、日本の酒税法上の「日本国産ウイスキー」の規定についての問題点です。

次回に続きます!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?