一升瓶ウイスキーの終焉。その2つの理由。《一升瓶ウイスキー⑥》
■前回までのおさらい
この一升瓶ウイスキーの栄華も、長いことは続きませんでした。
■なぜ一升瓶ウイスキーは、最近見かけないのか?
Q)なぜ酒蔵は一升瓶ウイスキーの生産を止めてしまったのか?
1つめの理由のウイスキーブームが去ってしまった理由の詳細については、超長くなるのでまたいつか別途で記事化しますが、簡単に解説をさせてください。
■一升瓶ウイスキーの消滅の理由①『ウイスキーブームの終焉』
1983年に過去最高の出荷を記録したウイスキー市場は、2008年に角ジョッキのプロモーションで角ハイボールからのウイスキー市場の復活があるまで、25年間の超ダウントレンドに陥ります。
JWIC-ジャパニーズウイスキーインフォメーションセンター|JW物語
上記は国税庁が発表しているデータを、JWICさんがまとめてくれた資料ですが、昔のデータは、ブランデーとウイスキーが合算されていました。
ブランデーがウイスキーと分けられたのは2006年度からなので、ピークの1983年のウイキーの数量は概算で35万キロリットルくらいということになるそうです。(※上記、JWICのサイト内に説明あり)
25年間、落ちに落ちて、ざっくり1/5まで落ち込んでしまったわけです。
普通は会社が潰れますね、このレベルは。
日本酒の酒蔵が一升瓶ウイスキーづくりに参入した理由が、1973年をピークに日本酒がダウントレンドになり、その時に着目したのが「超右肩上がりだったウイスキー」だったからです。
そのウイスキーがダウントレンドになれば、ウイスキーでない違う分野へ事業領域を変更していくのは当然の流れです。
しかし、このウイスキーのダウントレンドというのは、酒蔵が一升瓶ウイスキーの生産をやめた長期視点での理由の1つではありますが、短期的な理由ではありません。
直接的な短期視点での理由は2つ目です。
■一升瓶ウイスキーの消滅の理由②『二級ウイスキーが無くなったから』
どういうことかというと、1989年の酒税法の改正があり、戦前から続いていた3ランクのウイスキーの等級制度(1989年時点では特級・1級・2級)が無くなってしまったのです!
これは今のビール・発泡酒・新ジャンル(第三のビール)と同じように、ウイスキーもその等級によって税率(国に納める酒税)が異なっていました。
日本の酒税法では、
という基本的な考えがあったので、このような税の仕組みとなっています。
(他国では「アルコール度数に応じて」など、そもそもの課税の考え方が異なっていることも多いです。)
それが、1980年代後半に日本が高度経済成長を経て、貿易摩擦が深刻化すると、諸外国(特に英国のサッチャー首相)に、このウイスキーの酒税について、ムチャクチャ突っ込まれます。
正確にはGATT(関税及び貿易に関する一般協定)の評議会に提訴されてしまいます。
■GATTで訴えられた日本のウイスキー
世界で売れているスコッチ・ウイスキーが、日本で売れないのは「酒税の仕組みのせいだ!」と訴えられたのです。
この貿易交渉の結果、1989年にウイスキーの等級制度はなくなり、それにともない従価税の制度もなくなり、ウイスキーは1つの税率になったのです。
■1989年の酒税改正がもたらせたもの
次回に詳しく説明したいと思います!
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