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辿り着く場所が同じなら、自分は自分の速度がいい。

僕の住んでいる最寄駅の地下鉄のホームは、都内でも有数の地下深くにあるため、おそろしく長い一直線のエスカレーターが設置されている。

3基横並びで、昇りは2基設置されているのだが、片方は通常速度、もう片方は高速と謳って運転されている。肌感だが、利用客の9割は高速の方を選択していて、実際僕も、同じ乗るなら早い方がいいなー、みんなと同じの方がいいなー、などとぼんやり思いながら常に利用していた。

僕はリワークに通っているので、週5〜6で利用するのだが、少し前のある日、高速ではなく通常速度の方になにげなく乗ってみた。果てしなく続く昇りのエスカレーターの自分の前には誰もいない。

ちなみに、長い距離の高速とはいえ、乗り初めから降りるまで、差は秒で数えられるくらいだと思う。だが、高速エスカレーターに乗って、立ち止まりながらも自分を追い抜いていく人たちを横目に見ると、あー、人生も同じで、僕は考えながらなんとか進んでいるのに、無意識に進んでいる人(そう見える人)よりも遅れをとっているんだなー、さらにエスカレーターを駆け上がっていく人なんてなおさら、なんてちょっと壮大に思ったりもした。

でも、エスカレーターに乗れば、両方とも同じ降り口に運んでくれてたどり着く。だったら、ゆっくりでもいいじゃないかと思えたのだ。このあと家に帰るだけだったら尚更。

よっぽど急がないといけない時もあるのは確か。選択は人それぞれ自由。でも、最近、あえて通常速度の方を選択し続けていたら、時間云々以上の気持ちの余裕を乗るたびに得られて、大袈裟かもしれないけどそれが普段の生活にまでいい影響を与えるようになった気がする。

ゆっくりのほうが、小さな幸せにもたくさん気づけるかもしれない。

たかがエスカレーター、されどエスカレーター。穏やかに過ごすヒントは身近に。

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