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三十路看護学生、セルフ1問1答!

看護学生生活も残すところ半年を切りました。

訪問介護の仕事を2016年3月に辞めて、

2016年4月に看護専門学校に入学。

 

こんなに大変だとは思いませんでしたが、

充実した学生生活でした。

(まだ終わってませんし、国試もこれからですが(笑))

 

この学生生活3年間で、様々な出会いがあり、

様々な人とのやり取りの中で、

自分の進む道について考えを巡らせ続けました。

 

なんとなく、自分がどこに向かっているのか、

なんとなく、なんとなく見えたような見えないような。

そんな状況で、自分で自分に質問をしてみたいと思います。

きっと入学前や直後より明確になっていたり、

場合によっては激変している可能性大。 

 

この場を借りて、一度整理してみます。

 

三十路看護学生、セルフ1問1答!

 

◆ なんで看護師になりたいと思った?

⇒ 看護師になりたいわけでは無かったみたい。

 

◆ じゃあ何故、アラフォーが今更看護学校に?

⇒ 自分のケアをレベルアップさせたかった。それに尽きる。

 

◆ 介護福祉士じゃ無理だった?

⇒ 個人的には無理だったと思う。人をケアする事について、体系的な学びが必須だった。医学的なこととケアを結び付けて勉強する必要があった。

 

◆ 介護福祉士 < 看護師 ってこと?

⇒ それは違う。そういう意見には真っ向から否定する。どの制度内で、どんな支援をするかの違い。在宅における支援の自由度は、制度の違いもあり介護福祉士のほうが生活の広範囲を制度内でカバーできる。

 ただ、到達したい自己像へは、看護師としての学びが必要だった。

 

◆仕事を辞めて、3年もかけた意味はあった?

⇒ 実際、大成功だった。介護福祉士時代、このままやっててもダメだ!うまく言えないけど、このままの自分じゃダメだ!そう感じた理由が、当時は分からなかったけれど、今ようやく分かった。

 

◆どういうこと?

⇒ 誰かに言われたとおりに上手にケアしているだけで、それがなぜ必要かとか、本当に必要なのだろうか?とか、自分で考えられず、分からないまま何年も仕事していて、すごく苦しかった。

  じゃあ今はもうできるのかと言われれば「まだまだ修行中」ですという返答になるけど、考え方や、判断材料の探し方は、獲得できた気がしている。

 

◆あなたは結局何になりたいの?

⇒ まずは、代弁者でありたいと思う。

 介護福祉士時代、ある難病で寝たきりに方の「お風呂に入りたくない」という思いを、そのままケアマネや主治医に伝えたときに、まず、信じてもらえなかった。そして、自分もそれ以上、周囲の支援者を説得できるだけの技術も知識もなかった。ただ、その人の思いを、自分の口から伝えれば、それが代弁したことになると思っていたのだ。そんな自分を恥じた。

 代弁者は、当事者ではない自分がその言葉を伝える必要がある以上、有益な情報を意図的に拾い、医学的裏付けをもってアセスメントして、本人の訴えに、真実味を、強さを、説得力を持たせた上で発信しなければいけないと感じている。看護学校での3年間は、絶えずそれを意識して学んできた。

 

◆ これからどうする?

⇒ 脳神経の疾患(神経難病・精神障害など)を専門的に診ている病院に就職が内定している。そこで働いて、5年以内に病院を離れ、訪問看護をやる。そしてゆくゆくは、ニーズがあるのに担い手がいない、ちょっと珍しい事を自分でやっていきたい。

人工呼吸器ユーザーとご飯食べにいったり海に遊びにいったり旅行したり、小児医ケアっ子とパパママ無しで動物園に行ったり、知的障害や自閉症の方の障害特性に合わせた生活習慣病予防と服薬管理や通院同行をしたり。

 

◆ でもそれ、一部は介護福祉士時代にやってきたことでもあるよね?

⇒ そう。でも、介護福祉士の時の自分には手に負えない事も多くあった。そして看護師になっても、試行錯誤の連続で、きっと壁は立ちはだかる。でも、その2つの経験があれば、巧くやれそうな気がする。

 介護福祉士のときは、障害や病気についてあまりよくわからなくても、とりあえず利用者と密にコミュニケーションを取って、利用者にいろいろ教えてもらって、医学的な管理は医師看護師にやってもらって、その上でどうすれば、障害があっても一人暮らしできるか、仕事ができるか、ご飯食べに行けるか、旅行に行けるか、相談しながら日々、日常を過ごしていくサポートをしてきた。そこで見出したのは、「何かあったらどうする」は排除の理論であるという事。でも、何かあったときの対応力には自信がなかったし、知識も技術もない。よくわかんないけど、とりあえずやってみよう!大丈夫大丈夫!というその場のノリと勢いだけでは、支援とは言えない。(ノリと勢いが必要な時もあるけど、そこにちゃんと裏付けがある事が重要。)

 看護師としての学びを重ねている今、看護師としての視点やケアの技術、思考方法を学んで、利用者自身が気付かない事を察知してケアできるようになってきている。その人が気付いている事、気づいていない事、看護師として自分だけが気付いている事、まだ誰も気づいていない潜在している情報、その4つを意識してケアを行っていける兆しが見え始めている。

 介護福祉士と看護師の2つの経験を活かしたその先には、更にレベルアップした支援が見えてきている。

 

◆ 介護福祉士でもない、看護師でもなければ、あなたは何者?

⇒ 昔から、支援者という言葉は好き。介護福祉士も看護師も、その名称にあるインパクトで、なんか利用者を差し置いて主役感ない?(笑)。だから、支援者という黒子に徹する感じが好き。居ても居ない位の半透明な感じ。

 それに、介護福祉士も、看護師も、自分にとっては、どの制度の中でどんな役割を果たすかを決める「衣装」みたいなもの。その様々な衣装の総称が「支援者」となる。

 だから正直、今後の支援者人生で、目の前の人を支援するために、看護師になったり介護福祉士になったり、もっと変なものに化けたりするのかもしれない。現行制度がどこまで許容してくれるかはわからないけれど、変幻自在の支援者でいたいとは思う。

でも結局は、ケアは「ただの人」と「ただの人」との関係性であるのかもしれない。

 

◆ 起業するの?

⇒ やってみたい気はするけど、経営や管理は苦手中の苦手。だれかやってくれ。自身で事業を起こしている看護師はいらっしゃるし素敵だとは思うけど、いまのところ自分が出来るとは思っていない。のれん分け希望。(弱気)

 

◆ 最後に、あなたの使命は?

⇒ 今あるアンバランスを崩して、新たなバランスへと調整する事。壊したり創ったりというより、ちょっとした調整をするために小さな発明をしていくイメージ。その新たなバランスで、新しい文化を創っていく。

「真の意匠は、いつも違和感と隣り合わせ」

「形式だけでなく文化を」

 

◆ それじゃ、がんばって。

⇒ あんた誰?

 

おしマイケル

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