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ランジャタイ国崎→め組菅原達也と来たバトンを

なんにもなかった日にしたくないと思うことがある。最近はまっているバンドであるめ組の「GT50」という曲で、まさに次のような歌詞がある。

壊れかけの50で なんでもなかった今日を
なんでもなかった記念日に 塗り替えたいだけだ

め組「GT50」

ダラダラと夕方まで過ごしてしまった日には、あえて18時ごろからランニングに出たり、わざわざ外で後輩を誘って飯を食べたり、銭湯に行ったりしてきた。何にもなかった日を何にもなかったままで終わらせたくないという思いがある。

まさに昨日がそんな1日だった。

夕方までダラダラしてしまったが、一念発起して18時ごろからスーツを作りに街に出た。スーツと言っても礼服だ。主に喪服として使うことを想定している。

喪服を作るのは、タイミングが難しいと思う。必要になったタイミングで作っても補正が間に合わないし、親戚の誰かが体調を崩しているタイミングで買うと準備しているみたいで心が痛む。

今回作ろうと思ったきっかけは、旧友から中学校の同級生が亡くなった連絡を受けたからだ。突然の話だったし、地元熊本で葬儀は執り行われるそうなので、参列はできなかったが、やはりショックだったのだと数日経って感じる。卒業後仲良くしていたわけでもなかったし、当時2人で遊んだ思い出もない。それでも中2では同じクラスだったし、同じサッカーをしていたこともあって、その1年間は同じ友達グループに所属していた。何よりSNSでは相互フォロー状態で、更新されているのもたまに目にしていたので、なおさら現実味がなく信じられない。

母も知る友人だったため、知らせる電話をかけると、母も高校時代に最も仲の良かった友人をつい数日前に亡くし、葬儀に参列したばかりだと電話越しで涙ぐみながら話してくれた。還暦の誕生日お祝いメッセージをもらって、来月はお祝い返さなきゃね〜と話していた5日後のことだったらしい。こちらも突然の別れだったとのことで、憔悴しきった旦那さん、涙に暮れる母親の姿が印象的だったそうだ。仕方のないことだが、親より先に死ぬのは、残された側にとっては想像が及んでとてもつらい。

亡くなった2人の話を聞いて、自分の人生に焦りを感じた。きっとまだまだやりたいことがあっただろう。僕もまだまだライフイベントに遭遇したいし、成し遂げたい人生の目標もあるし、会いたい友達もいる。読みたい本もあるし、聴きたい音楽もある。もっと笑いたいし、人を笑わせたい。このままでいいのだろうか、というその気持ちが、スーツを買った後に向かったジュンク堂書店で感じていた焦燥感の正体だったのかもしれない。

ジュンク堂書店では、大量に本を買った。久しぶりに大きい書店に来たため、「読みたい」と思っていた本が、基本的に揃っていて助かる。その中には、第2回となる読書会の課題図書も含まれる。

書店員の友人が誘ってくれた第1回読書会は、平野啓一郎『私とは何か−−「個人」から「分人」へ』を課題図書とし、無事開催された。ほぼ初対面のメンバーも合わせた3人で語り続けた様子を録音し続け、気づけば3時間以上も話し続けていた。その様子は主宰の友人が文字起こしし、いつかnoteに記事としてアップしてくれるらしいので、そのときはまた宣伝させてほしい。あまりに話し続けた余韻で、その後にはしごして駆けつけた飲み会では友人から開口一番で「なんか話し方変じゃない?MCみたいだよ」と言われる始末だった。

何はともあれ、準備から楽しみが続いていた企画を一つ乗り越え、すぐにまた第2回の予定が決まる。これもまた僕の生きる希望になっていく。母は「健康でさえあれば」と話していたが、僕はまだ人生に希望を抱いているらしい。まだまだやりたいことがたくさんあるし、時間切れになる前にやっていかなきゃいけない。

冒頭で紹介しため組のボーカル菅原達也は、ランジャタイ国崎のエッセイ『へんなの』を読んで、読書感想文的に「さたやみ」という曲を作ったという。僕にとって、希望の一つであり、生きている証を刻むことになる行動が書くことだから「GT50」の感想文としてこの文章を書いた。これからも書き続けていたい。

なんでもなかった今日を、なんでもなかった記念日に塗り替えるために。

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