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頭が悪い人達を見て凄くイライラした話

最初に言っておくべきことは、ここにおける『頭が悪い』というのが、決して勉強が苦手だとかそういうことを言っているのではなく、柔軟性のかけらもないいわゆる『頭が堅い』人たちのことを指しているということです。


さて、私がなぜ今こんなにも悶々としているのか、ここに残しておこうと思います。

現在私は、縁もあり、個人的に宇治の山間に住む高齢者の方の生活支援をしています。その方は、足が悪いことや末期癌を患っているために、さまざまな支援が必要なのです。

お手伝いの内容もちょっと普通とは違います。おそらく台風で壊れてしまったであろうテラスを解体したり、冬の寒さを凌ぐために薪を割ったり、お買い物のお手伝いに行ったり etc…

決して普通の大学生ができないようなことを経験することができているし、高齢者の方とも京都のお母さんのように接させていただいており、幸せな日々を過ごしています。

しかし、その方が体調を崩されて枚方市にある、とある大学病院に入院しました。ここでは、K大学病院としておきましょう。

その方がお家にいないと手伝いにいくこともできないので、早く元気になってお会いしたいなーと常々思っていました。


そんなところで着信が。


どうやら、病院食が細いらしくて、お好み焼きを食べたいから、買って持ってきて欲しいとのこと。私もなんとか時間が作れそうだったので、早速いくことにしました。

どうせ食べるなら美味しいものを食べてもらいたい!と思い、京都発祥のお好み焼き専門店のものを購入することに。そのお店が11時開店で、13:15分から僕は授業があったので、まあ多分ギリギリ往復できるのではないかなぁと思っていました。

相変わらず脳筋すぎます笑笑

11時すぎに京都駅の店舗でお好み焼きを受け取り、自転車で七条駅に移動、そのまま京阪線で枚方市駅に向かいます。なんかすごく鉄道旅行備忘録みたい笑笑

そして面会の受付に行きました。この病院は制限が厳しくて、面会が今でも平日限定、11:00~14:00の間のみ、面会時間は最大15分、家族・同居人のみとなっているんです。

私は家族でも同居人でもありませんでしたけど、同居人っていうていでまあ通るんじゃないかというふうに高齢者の方と話し、それで通そうと思ったら、なんか同居人もダメだということに。

でも、私は大学の授業もあることだから、ちょっとだけ直接会ってささって渡して帰るつもりだし、本人からも直接渡して欲しいと言われてるんです、と言ったところ、ちょっと確認してみるから待って欲しいとのこと。

そこで大体10分弱くらい待つと、「確認が取れましたけど、ナースステーションに必ず1回顔を出して欲しい」と言われ、面会カードを渡されました。

時間がギリギリなので、少し早歩きで病室に向かおうとしますが、案内板もなんもなくて、病棟も広くて全然わからない。。結局、ナースステーションに着くまでにまた10分弱くらいかかってしまいました。

ナースステーションに連絡すると、確認するから待ってほしい。とまた5分くらい待たされました。





最終的にどうなったかというとね、結局おばあちゃんに直接渡せず、ナースさんに間接的にお渡ししていただくように預けることになっちゃったよ。



散々待たされた上に、直接渡すこともできず。何のために俺は京都から遥々きたんだろうと思ってしまいました。

待たされたおかげで、3限も間に合わず。。。
ほんとなんなんだよという感じなのです。


私がこの件で言いたいことはこういうことです。



確かに、あなた方のルールで言うと、自分はグレーゾーンの人間かもしれない。
そして、ルールに沿うならば、面会を拒否することもできるかもしれない。


でもさ、今回そんな対応をとって誰が幸せになっただろうか。
強いて言うのならば、保たれたのは病院の秩序だけだろう。

高齢者の方は僕に会いたかったのに、会うこともできず。僕だって会いたかったのに会うこともできず。
別に私は病院のルールをぶっ壊そうとしているような人間ではない。


ただ、会いたかっただけなのだ。


そして、もっと言うならば、忘れてはいけないのは、高齢者の方は末期癌患者であるということ。

正直、いつ体調を崩されてもおかしくないかもしれない。それを病院は現場で見ているのだから、分かっているはずだ。

ねえ、今回会えなかったことで、もし僕が会えずじまいになってしまったら、あなた方は責任を取れるのかな。

こういうふうに依頼されて面会に来る人がいうることだとか、患者さんが会うことを希望していることとかに寄り添って考えられないんだろう。なんで、あんたらが得をするようなことしか考えられないんだろう。と、その柔軟性のなさ、対応の遅さなど、さまざまなことにイライラする。




まさにK大学は、T・S・エリオットでいう"The Hollow Man"(うつろな人間たち)だなというふうに思いました。

つまりはこういうことです。うつろな人間たちというのは、想像力が欠けていて、その欠如した部分を、うつろな部分を無感覚な藁くずで埋めて塞いでいるくせに、自分ではそのことに気がつかないで飄々と生きているような人たち。そして、その無感覚さを空疎な言葉とか態度を並べて他人に押し付けるような人間のことです。

私はこの言葉を村上春樹の「海辺のカフカ」という作品で知りました。


少しネタバレをすると、当該シーンは次のようなものです。

15歳の主人公が家出をして居候する私立図書館の元にフェミニストの2人組が来ます。そして、トイレの洗面台が男女別になっていないことや、書棚の索引が男女別で、男性が先になってしまうことに対して「男女兼用の洗面所はさまざまなハラスメントに繋がるから、パブリックに解放された場所ならば原則として洗面所は男女別にしてほしい」とか「索引で男性が先なのは公平性を欠いた処置だ」というふうに言います。

それに対して司書の大島さんは、「男女別の方がいいのは論をまたないところだが、図書館が狭いため、男女別にするスペースがない」「小さな町の小さな図書館をクンクン嗅ぎ回って粗探しをするよりも、できていることにもっと目を向けて欲しい」と反論します。

すると、フェミニスト2人組は、あなたが主張していることは結局責任回避の言い逃れに過ぎず、安易な自己正当化によって女性を二級市民化する典型的な差別主体としての男性的男性だ、細部から始めないと社会は変わらないのだと言います。

フェミニスト2人組は大島さんを男性だと思っていましたが、なんと大島さんは女性だったのです。つまり性同一性障害ということです。見かけや心は男性だけど、性別は女性なのです。

これをきっかけに形成逆転。フェミニストを追い返したのです。


大島さんがのちに主人公と話していたことでこんなセリフがあります。

「たしかに僕は他のみんなとは少し変わっている。でも基本的には同じ人間なんだ。そのことは君に分かってもらいたい。僕は化け物でもなんでもない。普通の人間だ。ほかのみんなと同じように感じ、同じように行動する。しかしそのちょっとしたちがいが、ときには無限の深淵のように感じられることがある。それはもちろん、考えてみればしかたないことではあるんだけどね」

「僕はごらんのとおりの人間だからこれまでいろんなところで、いろんな意味で差別を受けてきた。差別されるのがどういうことなのか、それがどれくらい深く人を傷つけるのか、それは差別された人間にしかわからない。痛みというのは個別的なもので、そのあとには個別的な傷口が残る。だから公平さや公正さを求めるという点では、僕だって誰にもひけと取らないと思う。」

「どんな旗を掲げていようが、僕はまったくかまいはしない。僕が我慢できないのはそういううつろな連中なんだ」


この作品を初めて読んだのは高校1年の冬のとき。すごく刺激を受けたことを覚えています。村上作品の中で一番好きで、今でも時々読み返しています。

詳しくは言いませんが、私も特殊なバックグラウンドを持っており、今でも他の人が当たり前にできることが、自分にはやりたくてもできないことがあります。

差別とまでは言いませんが、中学生のときまでは特に初対面の人と接するときには大分ディスアドバンテージがありましたし、結構酷い扱いを受けることもありました。


だから、この大島さんのシーンにはすごく共感ができるんです。

そして、今回のK大学の対応に対して過剰に思うことがあるんです。

コロナがまだ完全に収束していないから、面会は家族限定。わかる。でも、その裏で傷ついている人がいることに気づいてほしい。そう思います。




K大学は、世界大学ランキングで日本の私立大学1位だそうです。

日本の私立1位がこんなもんか。








もう、なんか呆れた。


私が今思うのは、ただ高齢者の方が元気になることだけです。
早く元気な顔が見たいな。


じゃ。




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