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旅、40日目 病と対峙する

旅、40日目です。

昨日の投稿で、相方さんと鳥舞を舞ったと書いたところ、コメント欄で、これが舞えるなら病人じゃない、という言葉をいただきました。
病気の深刻度と自覚症状が一致しないのがありがたいのですが、昨日看護師さんと交わした会話もまた真実。

「体調はどう?」
「治療中断で副作用もないし、この一ヶ月でいちばん元気です!」
「それって治療的にはどうかと思うわよ。」

そうですね。病気を軽視しているわけでは、決してございません。
ですが、病気の時に安静第一、というわけでもないでしょう。
そう思い、手元の本を開いてみました。

平素でも体の裡に勢いが出るような条件が出てくれば、できそうもないことをやってしまう。ゴルフでも将棋でも、賭けるととたんに強くなったとか、夜食のビフテキとビールを想像したら、がぜん疲れが抜けてしまったとか、非常時でなくても、そういう力の出ることはたくさんあります。非常時でなければそういう力が出ないと思うのは間違いです。

野口晴哉著「整体入門」筑摩書房

火事場の馬鹿力というけれど、切迫した状況下では、普通では考えられないような力が出ることがある。
でも、必ずしもそういう状況に置かれなくても、人間は潜在的に持っている力を発揮することができる。

ことに病気になった時など、他人の知識や後援をあてにして、こういう力を発揮しないで不平ばかりいっているようなことはおかしい。持っている自分の力を自覚しないで助けを求め、自分の体のことは、自分の力を発揮して処すべきことだと思わず、自分の大便を他人に気張ってもらって出すつもりでいるから、体の中に勢いが起こらない。痛いとか何とか、周囲の同情を求めるようにその声を使ってしまうから、自分の体の中の勢いにならない。だから、こういう力を喚び起こせない。

野口晴哉著「整体入門」筑摩書房

体が要求しない栄養は体にも心にも毒になります。牛の頭をかかえて草を食べさせるような親切の押しつけは、発揮できる力まで萎縮させてしまいやすいのです。衛生とか、養生とか治療とか、体のこととなると、こういうことが多いのです。

野口晴哉著「整体入門」筑摩書房

それなのに、病気にかかると、本人は周囲に過度に依存し、周囲は善意によって親切を押しつける、ということが起きがち。

でもそれは、何が正しいのか、何が適切なのかの判断が難しいからだと思うのです。ではどうすればいいのでしょうか。

嗜みとか慎みとかが大切であることは否定しないが、それは、体中で笑い怒れる人が慎むから慎みであり、嗜みなのであって、エヘヘヘヘと誤魔化し笑いしかできないようでは、腰が抜けているというだけであります。自然の感情の発露がなくなってしまうようでは、人間が人形に近づいたといえます。もう一度原始の状態にフィードバックし、そこから再出発する方が、活き活きした生き方が生まれるのではなかろうか。自分の持っている力を発揮できなくなった人間には、特に
こういう、全身を叩きつけ、全力で生きることが必要だと私は思うのであります。

野口晴哉著「整体入門」筑摩書房

病気の恐ろしさを軽視するのは問題外。
でも、体の全てを医療機関や薬、治療に丸投げするのもおかしい。
専門家は、その道の専門家だが、他の道は不案内であることがままある。しかもその道は、こちらが思っているよりかなり狭い(気がする)。だから情報収集やセカンドオピニオンで、より納得できる道を模索することがとても大切。
そうした努力をした上で、最後は自分の体を信頼し、逃げず、全力で向き合う努力をしよう。

そしてもう一つ、最近よく思うのが、これまで過ごしてきた時間の中で関わってきた人との縁は、なにものにも変え難い大きな力になるということ。

病気が発覚し、最初にお世話になった病院で提示された治療方針を丸呑みして受け入れようとした私に、たくさんの人が手を差し伸べてくれました。

座り込んでいた私を、両腕を掴んで今すぐ動けと叱咤してくれた人。
受け入れるだけが道ではないと、穏やかに言葉をかけてくれた人。
無為の時間を埋めるべく、他愛ないやりとりにつきあってくれる人。
平素と変わらず愚痴を語ってくれる人。
黙って不安の声を受け止めてくれる人。
あたたかい言葉と心尽くしの差し入れを贈ってくれる人。
復帰できない可能性が高いと知りつつ、辞めるな、待っていると説得してくれた職場の上司たち。

今、私は、周囲に支えられながら、これまで生きてきた中で培ってきたものを総動員して、病に向き合っています。経験せずにすめばラッキーだったけれど、病を得なければ、立ち止まることもせず、今でも仕事に家事に忙殺される日々を送り続けていたはず。それは、過ぎ去った時に果たしていい人生だと言えたでしょうか。

annonさん宅の庭に住むアマガエルが、こんなことを言っていました。

病気はできたら来て欲しくない悪縁。だけど、「悪縁も縁のうち」って言うでしょ?それをどう受け止めてどう行動するか。自分次第でその果は変わるんだよ。

annonさんちのアマガエル

アマガエルの声に耳を傾けて、よりよい果につながるよう、まず今日を生きるとしましょう。

おまけ

冒頭に、巳白さんがデザインしてくださったポップアップ用の画像のカメハナを載せました。私が習い覚えた亀の舞のお囃子に、こんな一節があります。

春の日の暖気に
うんざりもんざり這いだして
甲をシャンと干したりな

亀の舞

亀が甲羅干しをするのは、体をあたためるため。そして紫外線を浴びることで、体内でビタミンを作ったり、甲羅を丈夫にしたりするため。
甲羅干しは、亀にとって生きるための必死の行動だけれど、傍から見れば、平和でのどか。
そんなふうに生きられるといいなぁ。

亀にもアマガエルにも教えられる日々です。

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