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鬼降る森

書き文字で著されたものの中にだけ、ほんとうのことが書かれているのではない。口伝えに語り継がれてきた大嘘をまじえた記憶の連なりの中にも、眼を見開かされる真実の匂いが宿っている。

出典:髙山文彦『鬼降る森』幻戯書房

高千穂地方に伝わる伝説について語った、長老の荒唐無稽とも言えるような話を、笑って聞き流せない著者の気持ちが表現されている部分です。


「こうしましょう、とあなたが言えば、それが正解。
変わりながら伝わっていく柔軟さが民俗芸能の良さです」


教わる立場の気楽さを謳歌してきた私が、物のはずみで先生から郷土芸能のお稽古の会を引き継ぐことになってしまい、アワアワして先生に、こうでしたっけ?と泣きついたらこのように返されました。

何回か会を運営してみて、先生のおっしゃったことは正しいかも、と思い始めています。

順番や振りを覚えることも確かに必要。
でもそれより、右と左を間違ってもかまわないから、自然な身体の動きを身につけてほしい、お囃子のリズムを身体に染み込ませてほしい。
そう感じるようになりました。

長く伝わってきたものには伝わるだけの価値があり、勝手に変えていいものではない。
でも、口伝や芸能は、書き言葉やビデオから学びとれない部分が確かにあり、人から人へでなければ伝わらない。
人を媒体として伝わる以上、全く同じように伝わることはなく、少しずつ変わっていく。変えまいとしても変わってしまう。
それでも変わらないところ、変えまいとするところに本質のようなもの、エッセンスのようなものがある。

最近そんなことを考えています。

冒頭で紹介した「鬼降る森」には、民俗芸能に携わりながら漠然と感じてきたことを言いあてている箇所がいくつもありました。
自分の体験に引き寄せていざ書いてみると、あまりに表現が拙くて、伝えきれていませんが、すごい本に巡り合ったな、と感じています。

読了が楽しみです。





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