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アンドロイドは介護業界の夢を見るか?機械化でのデメリットはあるのか編+まとめ

昨日「介護の機械化」についてのメリットを考えてみた。

タイトルは思い付きで有名SF「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」から文字ったはいいものの、原作を全く読んだことがないという不届き者です。申し訳ないです。
しかも「アンドロイド=人造人間」という意味らしく、もう色々と間違えている。
お洒落タイトルをどや顔で発表したものの、何も正解していないという悲惨な状態。

でも、もう後には引けないので、このまま温かい目で見守ってください。

ということで、昨日は「機械化のメリット」について考えてみました。
今日は逆に「機械化のデメリット」を考えてみたい。

まず思いつくのは「コスト面」です。
パッパッと調べた限りだと少なくても数万円で、高い物だと何十万円もするみたい。
これが人数分と考えると「必要経費」として計上するのはほぼほぼ無理な気がする。
もう少し普及したら生産ラインが確保されて、値段も下がるのだろうが、いったいどれくらい先の未来なのだろうか。

次に思いつくのは「安全性」ですね。
介護者の動きを助ける装置の場合はまだしも、機械に全てを任せる装置となった場合、万が一、事故が発生したら誰の責任になるのだろうか?
操作者?管理者?開発者?わからん。
車の自動運転装置も「事故に対しての責任は何処にあるのか」という議論がある、という話を聞いた事がある。
何処にあるんだろうなぁ……教えて詳しい人。

後はかなり曖昧で感覚的だけれど「人間の温かさ」を感じる事ができない、といのはあるだろうか?
「機械=金属=冷たい」というかなり単純な思考回路の元に生まれている疑問だ。
自分が年老いて全て機械が介護をしてくれている状態を考えたら、最高にディストピアだ。

とまぁ、色々とデメリットは思いつく。

ここから希望的な未来だけれども、
「コスト面」に関しては「介護報酬の加算」とかでどうにかならないかしら?
「安全性」に関しては、これからのデータの蓄積になってくるのかな。まだ責任の所在が何処にあるのかわからん。
「人間の温かさ」は……別の所でも感じられるか。

まぁ、結局、昨日と今日に分けて書いて、何が言いたいのか?と考えると……何でしょうね?

過去に「介護は誰にでもできる」という言葉が炎上したことがあった。
「誰にでもできる仕事だから」「ロボットに仕事が取られていく」という旨の言葉だったと記憶している。
その言葉に対して反論したい気持ちもあるけれど、でも、反論したところでそういう未来がやって来る気がしている。
しかし「誰にでもできる仕事か」と言われたら「表面的にはそうかもしれないね」と反論するかもしれない。
パッと思いつく介護って「ベッドから身体を起こす」とか「車いすに移乗する」とか「食事の介助」辺りな気がする。
その動作自体が難しいのか?と聞かれたら……そうでもないのかもしれない。
もちろんその奥には「自分の身体痛まない」とか「相手の身体・精神の状態に合わせて介護技術を選択する知識」等が存在するのだが、それは表面的には読み取れない。
だから「誰にでもできる仕事だけれど、全ての人がよい介助者になれる訳ではない」のかもしれない。
被介護者の身体状況に合わせて介護技術を選択する、という部分はもしかしたらロボットが強いかもしれない。
でも、精神状態まで読み取る事は現段階では難しいと思っている。

しかし、ベイマックスみたいなロボットがいれば話は変わってくる。
ベイマックスなら私も介護してほしい。

話が逸れた……。

もし、ロボットが「人間の身体と精神の状態を読み取り、最適解の行動の選択」ができるようになったら、介護業過に人間は不必要になるかもしれない。
しかし、「自分の最適解」「他人の最適解」な訳ではないので、やっぱり人間は必要なんじゃないのか?とも考えている。

結論としては「人間は必要」という乱暴なまとめ方になってしまう。

だって、選択肢は多い方がいいでしょ。
最適解ばかりで効率化されていても、つまらないじゃない。きっと。

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