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自分の家

私は一人暮らしを始めようとした時から住む家に対する意識が低かったのだろうか。ずっと出たかった実家、今まで結婚するまで一人暮らしはどうかとか母親はゴニョゴニョ言っていたのに、同居していた祖母が亡くなったのをきっかけに、もうお前は家を出るべきだと父が言うと、掌を返したように、二人揃って、もうすぐにでも出ていけと言わんばかりに、いつ物件探すんだ、いつ引っ越す予定か決めないと決まらないぞだのと毎日毎日仕事から帰って疲れたところにうるさくて仕方なかった。こちとらいつでも出る準備はできていたので、さあやっとだ実家から出るぞと、すぐに物件探しを始めた。お風呂とトイレが一緒だろうと別に構わないし、むしろかえって一緒にまとめて掃除できるじゃんと思った。大したこだわりもないので、そんなに色々条件を提示してぐるぐる周ることもなく、あっさりとココに住みます、と決まった。友達も呼ぶ気もないし、毎日仕事か遊びで遅くまで外に居るのだから、寝るだけで充分だと思った。一人暮らしを始めたばかりの頃は、何時に何をしようと自分の時間だ、自分の家だと好きに暮らしていたが、やがて、家でのんびり過ごす時間に家で料理したり編み物にハマったりしはじめた。私にこういう時間が楽しめるのも、台所に入ると片付けられないくせに嫌がる母親もいないし、編み物なんてやってると、部屋に勝手に入ってきてなんかあんたのガラじゃないとか茶化されることもないからだろう。周りは住宅街だし、夜は静かに家で過ごすのもいいなと思い始めた矢先だった。
ある日いきなり、隣の住人が、引き戸をピシャーン!!!と力任せに閉める音がした。凄く響いた。こちらの部屋の壁に向かって力任せに閉めた音だ。明らかに、わざと、かなり力ずくで閉めないとあんな音はしない。私の方は、それまで大音量で音楽を聴いていたわけでも、友達も来ないのでどんちゃん騒ぎをしていたわけでもない。部屋にただ一人だった。唐突なその音に私の心臓は止まりそうになった。それからというもの、隣の音は案外聞こえるんだなと気づき、隣人の様子を伺いながらそーっと過ごす日々が始まった。なんであんなことしてきたのか、なんでこんな思いして毎日生活しなきゃいけないんだろうと半泣きになりながら、毎日隣人に鉢合わせたらとか、またその音を立てられたらと思うと家にあんまり居たくなくなったし、居ても落ち着けなかった。それからというもの、隣人は、朝も晩も急に大音量でお経を唱えはじめたりするし、何をするかわからないのでこっちも毎日ドキドキしていた。少し様子を見るか考えたが、いやいやそのための管理会社があるではないかと家族経営のゆるーい感じの管理会社へ電話して、その出来事を伝えた。女の一人暮らしだし、会ったこともない隣人のその行動のせいで毎日怯えて暮らしているのだが、精神的に参りそうだ、どうにかならないのかと訴えると、「あーはいはい、隣の人ねー、あとちょっとです。隣の人、男の人なんですけどねー、大学四年生で卒論が大変で苛立ってるんじゃないかと思いますよ。あと少しですから。」と言われて電話を切られた。なんじゃそりゃ。もうこいつらに言っても仕方ない。開きなおろう。とはいえ、結局一人では心細く、どうしようもなくなって、実家の母親にこの話を聞いてもらった。母は何それ、じゃあ家に行くからね、とうちに来ることになった。来てもまあ更に話を聞いてくれるくらいだろうけど、そのあとはどうしようか。もう一度またあの引き戸みたいなことが起きたら、引っ越しも考えようかな。
週末の昼。ピンポーン。母が来た。
入ってくるなり、大丈夫?なんか空気悪いわよ!と言って家中の窓をガラガラと全開にした。そして、ピシャーン!!!!と、うちにもある引き戸を力任せに隣人の住む壁に向かって思いっ切り打ちつけたのである。私は呆然として母を見た。母はニヤリとした。その日から、隣人は音も立てなくなり、管理会社から卒業してもう引っ越したと聞くまで気配すら感じなかった。良い子は真似しないでね。今思うと、隣人が留年してたら刺されたかもしれないよ、オカン、何やってくれてんねん。でもなんか凄いなあと思った。隣人は、不穏なオカンの存在感を感じ取ったのだろうか。ピシャンと隣から主張してきたのが、隣の一人暮らしの女ではなかったのがわかったのだろうか。私も逞しく生きねば。家もよく考えて探して住まねば。自分の家なのに自分の家でなかった。なんかよくわからないけれど、そんなことを思った。凛として生きる母をかっこいいと思った。やったことが良いことは悪いことかは置いといて。
そんな母はまたとある日、家の中にこれを置いておくと悪いものを払うらしいわよ!と言ってうちに来ると、どかどかあがり込んできて、アルミホイルの中に塩を巻いて三角形にとんがらせたものを、部屋の四隅にちょんちょんと置くと、よし!と言って去って行った。友達の来ないはずの家だけど、万が一誰かに見られたら恥ずかしいじゃん、あれ、何?もう、今聞いても多分本人は覚えてないだろう。
今住む家でも、ドキッとすること。旦那が帰ってきて鍵を開ける時と、たまにマンションの階を間違えた人がガチャガチャしてくる時。あれ、本当に心臓に悪いのよね。みんなはあんまりびっくりしないのかな。TV観ないからよけい響くのかね。

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