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お母さんへ✉️

やほ🥳みんなげんき?(これはね『いないないばぁ』のゆきちゃんの声をイメージしてるよ。なんでかって?理由なんかないよ💖)

さて本題。

30代になっても口を利かないほどの仲に高頻度でなる母へ、手紙を書くとしたら今のわたしに何が言えるだろうって考えました

小学校へ上がるまでの何も歯向かえなかったわたし

小学校の頃の少し外の世界を知ったわたし

中高の頃の反抗期のわたし

大学の頃の遊び呆けていた時のわたし

結婚して自由の身になったわたし

いろんな時々のわたしが思い出せるお母さんに対する思いは一言で言うと『愛憎』です。

『好きだったし好きでいてほしいのにうまく届かない。好きで居続けてもらえない。甘えさせ続けてもらえない。それが叶わなくて苦しいなら、いっそのこと憎しみを向けよう。私の方から憎しんで、好きでいてもらえないならおあいこ。そしたらきっと私の満たされない気持ちが報われる。』

そう思って生きてきました。

愛憎でぐちゃぐちゃな手紙なので読める人だけ読んでください。



「お母さんへ

お母さんは子育てを終えて振り返ってみて、自分の子育てをどう思っていますか?

楽しかったですか、自分の時間が持てなくて苦しかったですか?お父さんと2人でいる時間が奪われたように感じてましたか?

3人も子供がいたら大変だったと思います。でも私はほんとは小さい頃ときどきお母さんに甘えたかったです。わがまま言って困らせたり、困らせても最後には笑って許してもらったりしたかったです。

すぐに弟が2人できて、お姉ちゃんでいることを誇りに思ったり頑張ったことを認めてもらえる事に喜びを見付けたりすることも少しはありました。

だけどずっとは辛かったし、何かにつけて「お姉ちゃんだから」と言われて我慢してることに時々気付いてほしかったです。だから「さすがお姉ちゃんだね」はあんまり嬉しくなかったです。またその言葉で我慢が続くから。

うまくいかないと殴ったり蹴ったりするのは本気でやめてほしかったです。ただただ恐怖でした。

いまだに怒る人が嫌いです。それなのに私自身もその時の感情の表現の仕方がわからないと怒りに変えるようになりました。それ以外の表現方法がすぐに思い付かないです。たぶんお母さんもおじいちゃんやおばあちゃんのそういう性格をじっと見てきたんだとも思うから似た者同士ってこともわかってます。

感謝してることもあります。

サバイバルのように生きてお母さんの顔色を伺ってきたお陰で、人の気持ちをものすごくわかるようになりました。目を見て話を聞かなきゃ殴られるから、言われなくても人の目を見て話を聞けるようになりました。目を見たらその人が今どういう心境なのかだいたいわかります。

あとは娘たち2人を反面教師で育てることもできそうです。可愛くて愛しくて守りたくて仕方ないです。こんなに可愛い子がいるのかなと思います。絶対にたくさん甘えさせます。話しは私が目をみて聞きます。泣いてたら泣き止むまでなんで泣いてるか耳を傾けます。たくさんイライラもするけど、そこはもう決めたんです。

お母さんのことはいまだにほんとに怖くて嫌いだけど、もしお母さんがいつか死んだらほんとは愛されたかったことを言えずにいた悔いが残りそうなので…いつかちゃんと伝えたいです。

その時は全面的に謝ってください笑

たぶん、許します。

娘より。」


許せる日がきますように🥳

許せた自分を好きになれますように🥳🥳


読んでくれたあなたには、許せないけど許したいと思うような人いますか?

どうしましょうね……🌸


ほなね🥳





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