”害”と”障”

”害”について考えることがよくある。僕は”害”の正体を無性に知りたくなっていた。

「害」とは、損害や不利益をもたらすことを指します。具体的には、人や組織、社会に対して悪影響を及ぼすことや、不利益をもたらすことを意味します。例えば、健康への害や環境への害などがあります。
ChatGPTに聞いてみるとこんな回答が返ってきた。

では、”障害”とは何なのだろうか。
今度はChatGPTに聞かず考えてみることにしたが約束の時間も迫っていたので僕は慌てて6を指す時計の針を確認し、慌てて家を後にした。
時間というものは僕にとっての障害であった。
僕の職場まではバスで駅まで15分、そこから市内行の電車に乗り換えて
30分と片道合計40分の長旅だった。”旅”というにはあまりワクワクするものではないが、この40分の使い方は同じ道を行く人でもそれぞれ違った。

いつも時刻通りに到着しないバスに乗り込み一番前の席に座った。
次々に乗り込む乗客は気が付けばバスの中は満タンだった。
駅までの15 分間、何をしようか。と考えてみたが僕は人間を観察するのが好きだったのでしばらくじっと、あたりに耳を澄ませてみることにした。
僕がきっとこんな行動に出たのはきっとさきほど考えようとしていた”障害とはいったい何なのか”という事柄が頭の中をかすめていたからだろう。
そんなこんなしていたら、残り2つの停留場を通過すれば駅に到着するところまで来ていた。
ピーという音とともに、子どもが1名と中年の男性が1名バスを待っているのか乗車口に立っていることに気づいた。
子ども「よろしくお願いします」という元気な挨拶とともにバスに勢いよく乗り込んだ。
次は、男性の番だったがなぜか全く乗り込む気配がない。
「お客さん。乗らないんですか?」
しびれを切らしたのか、運転手さんが男性に気づいたのか声をかけた。
少しばかりか満タンになったバスの車内を見回した男性が、
「また次のバスでいいです」と言った。
正直僕はその言葉を気に止めていなかったし、「まあ。こんな満員のバスに乗り込まなくても5分後に次のバスが来るしね」という程度に思っていた。そんな僕の思いを遮るかのように
「乗ってください。関係ないですから。座る席、僕が空けます。」
運転手さんはそう言った。
”ああ、足が悪かったのか”とその時始めて僕は気づいたと同時に猛烈な恥ずかしさに襲われた。
それでもなお、乗車口前で立ち止まり考え込む男性。
バスの中の座席は僕、通勤前のサラリーマン数名、残りすべてはランドセルを背負った小学生で埋められていた。
中には、「まだ?」とイライラする数名も確認できたが、僕は恥ずかしさでそれどころではなかった。
僕が座る席を「どうぞ」と譲り僕が立って残り2つバス停を越すだけでいいのに、体が固まって動かないのだ。それが妙に恥ずかしく、己の意思と反して体は”おもいやり”という言葉を拒絶しているようだった。

すると再び「いいから。早く!」運転手さんはそう口にして、今度はバスの乗客全員にマイクで放送した。
「足の不自由な方が乗車いたしますので、席をお譲りください」
その声にすぐさま反応した小学生の数名が座席を立ち上がり乗り込んできた男性に譲った。

気づけば駅についていた。
いつもの15分が2時間ほどに感じた。
”障害”について考えていた自分、何もできなかった自分、手に汗を握って下車した自分、全てが馬鹿馬鹿しくなった。

少し湿ったでスマートフォンを取り出す。
_____障害の概念__________
気づけば駅のホームでこんなことを調べていた。



"「障害」とは、一般的な身体的、精神的、知的な能力や機能において、通常の範囲よりも制限がある状態を指します。これにより、障害者は日常生活のさまざまな活動において、ある程度の困難や制約を経験することがあります。障害は、先天的な要因、疾病、事故、または環境要因などさまざまな要因によって引き起こされる場合があります。障害の種類には、身体障害、知的障害、発達障害、感覚障害などがあります。障害の程度や種類によって、個々の生活や社会参加における影響は異なります"

列車が到着し扉が閉まった。
”障害”とは僕自身のことで、僕のためにある言葉だった。
少し前のすべての出来事に反した僕は、列車が出発するのをそっと見つめたまま誰もいなくなった駅のホームにただひとり、立ち尽くしていた。

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