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Who are you / vol.1 CHISATO

Listener: HANA

Who are youは、その人を知り、見つめ、ふかめていくためのコンテンツ。
今回はHANAからCHISATOへ、メンバー同士のインタビューです。


CHISATO

知性があり聡明だけれど、ユーモアも兼ね備えていて魅力的な彼女。なんと小・中学生の頃から社会の事柄に興味を持ち、新聞を読み込んで思案していたそうだ。失敗を恐れずに何事にも果敢に挑戦していく彼女の活動はアートの領域のみならず、演劇、執筆、ビジネスコンテストへの参加など多岐に渡る。またその舞台も東京に留まらず日本各地、しまいには外国と幅広い。それらの活動の根源には、社会に対して抱いた疑問や怒りがあると言う。このインタビューを通し、人一倍情に厚く、社会問題を自分事として捉え向き合っていく優しい目線を持つ彼女と出会えたことを幸運に感じた。少しでも息のしやすい社会を作っていくためにこれからも積極的に動き続けていくであろう彼女を、このコレクティブのパートナーとして、そして友人として隣で見ていたいと思う。
BY HANA

アートや文化芸術に関心を持ったきっかけは?

私は元々本が好きで、今一番非常に関心を持ってるのは実は文芸です。小説やエッセイを読むことがすごく好きだし、言葉に関心がある。言葉に携わっていきたいなっていうのは中学生頃からずっと思ってたし、文章とか言葉で表現をすることが幼いときから好きだった。

幼稚園の時は自分でシナリオ書いて劇を作ったり、紙芝居や絵本作ったりをよくやってて。小学生のときも、作文をよく書かされるじゃない?それで書いたものが色んなところに載ることが結構日常的にあったり、周りから「言葉の力があるね」って言われたりして、自分は言葉の力がもしかしたらあるのかもって思うようになった。今も文章や小説、文芸に関してすごく関心を持っているし、一番の趣味は読書と言ってもいいだろうなと思ってるんだけど。それが派生して、物語から演劇に興味を持つようになった。

美術は美大とかを目指す人が周りに多くて、どういう環境かも割と知っていたし、デザインとかをやってる子もいたから、デザインに関して自分も興味持って原研哉さんの『デザインのデザイン』とか『白』を読んで「白って良いなあ」とか思ってた。でもそれを仕事にしようとか主に学ぼうとは最初は全く思ってなかった。だけど、ずっと文化芸術にすごく助けられてきたし、それが無ければ私はこの地球に生きてる意味は特にないと思っているから、そのぐらい大切なものではあります。

「助けられてた」っていうのはどんなことで?

精神的に。現実って窮屈で「正解」があるじゃない。その中で生きてくのが嫌だったし、「そもそもなぜそれがそうなのか」っていうことを常にずっと考えてたっていう感じだから、そういうことを誰も馬鹿にせずに本気で追求してるのが芸術の世界だと思うのね。その世界の中だと、自分が一番楽に呼吸できたし、そこに没頭している時はちゃんと生きてる実感があったから、そういった意味で、文化芸術によって命拾いしたって感じ。


アートの世界に携わる前に演劇も結構取り組んでいたと思うんだけど、演劇をやり始めたのはいつから?

高校生の部活で。ココ・シャネルの生涯を描いた作品を先輩たちがやっていて、それを見たことがきっかけ。私の高校は割と強豪校で、すごく力入れてて高校生とは思えないクオリティのものを作ってたの。それにインスパイアされて、「私も物語とか、自分ではない人物を通してでしか発せられないことを通じて、誰かの心に何かを届けられるようなものを作りたい」と思ったから始めた。


部活ではシナリオを書くこともしてたの?

してた。


演じるのと書くのはどっちが楽しかった?

どっちも面白かったけど、演劇の戯曲を書くのって一番難しいと思っていて。舞台装置や衣装、転換、照明、音響など全部含めて書かないといけないのね。だから本当に熟知してないと無理だと思っていて、すっごく難しかった。場面が変わると言っても、急に全てのものを移動したりできないじゃん。だからいかにどんな舞台装置を使ってどう物語を展開させていくかって、演劇の場合色んな制約があるんだよね。だからその難しさがあったかな。
演じるのは好きでも嫌いでもなく必要だからやってた感じ。その役を通じてしか届けられないことがあるから「しょうがないなあ」と思ってやってた。


今の分野に入る前に、演劇だったり、あとビジネスに関する活動もしていたよね。それはいつから関心があったの?

社会のことには物心ついた時からずっと興味があって、小中の頃新聞を毎日隅から隅まで読んでたの。
ビジネスはなんで興味持ったんだろうなぁ。でもビジネスと社会って直結してるし、経済やお金のことに関心があったから、実際に自分が何か物を作ってサービスを構築することで、直接的に世の中に働き続けることができるじゃん。それってやっぱりアートとはちょっと違うとこだと思うんだよね。そういう風に実際的に物事を動かしていくことに興味があって、それでビジネスに関心があったかな。


なるほど、それでビジネスコンテストとかに参加したんだね。

そうだね。企画立案するのが好きだったし、プランコンテストだから空想上なんだけど、その中でも実際の現場をリサーチしてニーズを確かめて、自分たちが作ったものをどう落とし込んでいくかっていうことを探るのが面白かった。


難民問題などの社会問題にも結構早くから取り組んでたよね。それも新聞読んでたことが関係してるのかな。

それはすごい大きいと思う。特に中学生の時、欧米でテロが頻発した時期のことが印象的で影響を受けた。その中で日本人ジャーナリストがISによって殺された事件があった時に、私は雷を100発打たれたみたいな衝撃を受けて、「世界って繋がってるんだな」と思ったの。「遠くで起こってる怖い出来事は私の身に降りかかるかもしれないんだ」って思った。それで難民のことや、その時期もてはやされてたイスラム過激派原理主義といった問題にも着目するようになって「宗教とか信仰って何だろう」っていう根源的な問いと、社会で実際に起こっている事象との関連性を深めて考えたり知りたいと思うようになったのがきっかけ。


実際にリサーチもやってたよね。それも中学の時から?

やってた。今考えると気持ち悪いんだけどね、ふふふ。色んな国の宗教の本全部読んでた。


すごいね、私中学の頃公園で遊んでたよ。純粋に子供だった時期はあったの?

なんか雪の日に、雪に顔付けたら自分の鼻の形が縁取られるのが面白くてそれをやってた笑。すごく顔冷たくなった、その時。雪でかき氷作って食べたりもしてたな。


面白い笑。そういう一面もあるのね。中学の時一番関心があったのは難民問題だったんだ?

と言うよりは、国際問題かな。難民問題も政治や経済もその中の一部。隅々まで新聞読んでたから流れはわかってたの。


今はアートに特化してると思うんだけど、活動をする中で、これまで演劇や国際問題に取り組んできたことは何か影響する?

美術と社会は常に相関し合っていて、お互いに影響を与えることがある。だからその関係性を常に探りたいと思っているし、そういうものが特に密接に起こる場がアートプロジェクトや芸術祭、ソーシャリーエンゲージドアートやリレーショナルアートの分野だよね。channelのテーマともすごく一致するんだけど、美術を通じて社会にどう風穴を開けられるのかみたいな、そういうことを常に考えたいと思ってるし、美術だけからの観点ではなく、あらゆる観点から見て、複眼的な目線で物事を進めたいと思う。


その複眼的に見るという考え方が、アートの中でも仲介者の立場を選択したことに繋がっているのかな?

うん。あとは、ただ冷静に自分を分析した時に、そういうものが向いてるっていうのは昔からよくわかってた。作ることや表現することも好きだし、本当はそっちもやりたい。でも人にはそれぞれできることがあるんですよ。そのできることが私はマネジメントやプランニングの分野なんだってことはわかってるし、その上でビジネスプランとかもやって意図的に力を鍛えた部分はある。結構計算してやってた。


その時から!?早くない...?いつ自分に向いていると気付いたの?

高校生とか。私分析癖があるんだよね。私は点と点を繋いで線を結ぶことが得意なの。ふわふわした物事や思考を具現化させることが得意。そう自分で気付いてたし、言われることも多かったから「客観的に見てもそうなんだな」って思ってた。


考え方が大人ね。俯瞰しているし。でも接してると私より感情的な部分もあるなとも思うから不思議。

うん、なんか私は強い理性とか理論的な思考や知性と、ものすごい情感的な感性が同居してると思う。だからメンタルだけをフォーカスすれば作家チックな感じ。なんか色んな世間の波を受けて悲しんだりして、制作に至るみたいな。そこを何とか、社会で生きる上で自分をなだめてる感じはある。だからたまに感情がオーバーするんだよね。そういう時に本当にダメになっちゃう。動けないくらいに。


大学では最初何を勉強したいと思っていたの?

国際問題全般が気になっていたけど、特に中東地域の難民問題に関心があった。アラビアの中東の美術とかも結構好きだったし、アラビアの文字も好き。私の携帯にはアラビア語のキーボードが入ってると思うんですが笑。


ふふふ、それはなんで好きなの?

見た目も好きだけど、イスラム教は偶像崇拝禁止だから、文字で神様を表してるの。そういうのも好きだし、あとモロッコとかああいうところの美術が超好きで、単純に心が惹かれてしまうの。
あとはやっぱり難民問題に関心を持つきっかけがイスラム教だったから、「イスラム教って何なんだろう」と思って調べてた。それから自分の周りにいる家族や友人が発達障害があって、彼らがすごい生きにくそうに社会の中で生きてたり、周りの人から「こうしないと今後適応できなくなる」みたいなことを言われている姿を日頃から見て疑問に感じていた。「なんで彼らがこの変な社会に適合しないといけないのか」と思ったし、その社会から見ると余分なものとして映る彼らの才能は本当に素晴らしくて、自分にはできないから「すごい」って素直に思ってた。そういうよくわからない社会の流れや仕組みによって疎外される人たちっていう、いわゆるマイノリティを自分と重ねて関心を寄せてたの。だから私の中であらゆる問題は全て同じこととして考えられたし、最近だとコレクティブで『人間の問題』って話したけど、そういうことはすごい考えてて。

それで障害の問題となると、社会福祉とか教育の方向に進むことになるんだけど、私はもっと国際的に物事を考えたり色んな人と関わりたかったから、領域としては国際関係学や社会学、難民問題の研究をしっかりしたいと思って。プランすごく立ててたよ笑。アラビア語を大学入ってからやって、中東は支配されてた影響でフランス語の使用率が高いからフランス語を勉強して、英語もやって、その上で難民収容所のボランティアをやるなど活動しつつ、中東地域の難民問題に関する研究、特にそれが日本でどう扱われてて、今の日本の難民問題の状況を改善するにはどうしたらいいのかを研究する人になりたいと思ってた。高2でそう決めてた。


そうだったんだね。そこまでしっかり考えていたけど今は違うことを勉強しているよね。何か心境の変化があったの?

最初目指していた志望校から青学にしたのは、学部的には国際関係から文化政策っていう移行になると思うんだけど、「私は政治や経済、ジャーナリズムの世界で働くにはふさわしくない」って思ったの。


また自己分析してる。

そうなの。
与える側と与えられる側になることが嫌だったの。どうしても構図的にそうなっちゃうことに違和感を感じてて、もっと同じ目線で当事者の人と一緒に生きたいと思ったの。そう考えた時に、文化芸術を通じてであれば開けるんじゃないかって、自分の中のもう一つの精神的な軸と社会的に行いたいことが融合したの。高3の12月にそう考えて、文化政策を勉強するために青学に入った。それで勉強していくうちに、もっとアートの現場に入りたいと思うようになった。あくまで私は柔らかい場に立って、社会に対してアプローチしたいと考えが変化したから、大学自体もそういう場に身を置こうと考えたの。


それで休学に至ったんだね。自分の内面と合致する方向に進むのは自分にとっても良いことだね。しっくりきた。

うん、すごい良かったと思う。文化芸術の、特にアートの人たちは優しくて柔らかい人が多いと思う。良い意味でよわさを自覚してる人が多い気がする。


独特の柔らかさがあるよね。それは自分にも共通すると思う?

思う。すごく居心地がいいし「自分はこっち側の人だ」と思った。


そもそも休学前からアートの現場には入ってたっけ?

美術は少ないかも。何個か参加したけど、演劇や音楽の方が多かった。


それは、その頃から「もっと現場に入りたい」と思ったから少しずつ始めた感じ?

大学2年生の時に現代アートをちゃんと知ったの。自分がやりたかったことをある画家に話した時に、「それって現代アートと近いの?」って聞かれたの。それで「ほにゃ?」と思って、その時は現代アートが何なのかしっかり理解してなかったのね。その後別の人に、山本浩貴さんの『現代美術史』を勧められて読んで、そこで社会と関係するアートの存在を知ったり、その他にも現代美術自体が社会を批判するものを含んでいることを知って、そこで美術に一気に興味を持った。


それで大2の時は芸術祭のボランティアをしたんだね。

うん。だけど当時はまだあまりわかってなかったと思う。

そしたら休学中のアートとの関わり方はだいぶ急に活動的になった感じだね。

そうだね。興味を持ってから、すさまじく勉強したとは思う。


休学中は色んな場所を飛び回ってたくさんの現場に入ったよね。その中で得たことは何?

身も蓋もないけど、もう自分で自分の道を切り開くしかないなってこと。コロナの影響もあるかも。コロナになって大学の意義ってよくわからなくならなかった?1年半以上大学に行けなかったし。それで、もう何かや誰かに期待することを一切やめたの。でも特に休学してからは大学っていうものもないじゃない。だからよりそう思って、自分で自分の道を打ち立ててDIYしていくしかないなと強く感じたし、結構色んなものの流れに身を任せてるとおのずと道は開けてきたり、あとは行動を起こすことでしか自分の道は開けないのと、周りの輪が広がっていかないことを感じた。でも休学するって決めてから半年間こんなふうになるなんて1mmも想像してなかった。


そうなんだ!いつも事前に分析してきちんと目標を決めてから行動してるじゃない。休学中のプランは無かったの?

お金の面だけは考えてたけど、それ以外は無かった。私20歳以降の人生を想定してなかったの。本当に人生を終わらせようと思ってたんだよね笑。


えー!

死にたいとかじゃなくて「もういいです」って感じだった。だけど不意に20歳を迎えてしまって、しょうがないから高松に行ったの。村上春樹の『海辺のカフカ』が好きだったから、その舞台が高松で。全てがどうでも良かったから何も考えず行ったの。最終日に入った古本屋で出会った人が、瀬戸芸の関係者だったの。そこで「瀬戸芸のバイトがあるからやらないか」って言われて、瀬戸芸のことをその時はよく知らなかったんだけど、全てどうでも良かったから「島にでも行こう」って思って女木島に行くことにしたの。人手が足りてなかったから誘ってくれたんだけど、でもそこで私にチャンスの話が舞い込んだのは運命だよね。


そんな理由だったんだね。そこで瀬戸芸と出会ってなければまた人生違ってたね。瀬戸芸の仕事が終わってからも人生を辞めずに活動を続けているけど、何か心境の変化があったの?

美術の世界のことをもっと知りたいと思ったし、本気で勉強したいって思ったの。瀬戸芸の春会期中、会場の一つである女木島っていう島で作家と共同生活を2ヶ月ぐらいしていて、素でいられたし一緒に過ごしていることが本当に楽で。薄々感じてたけど「私はこっちの世界にいた方がいいんだ」って実感した。それで、この美術の現場で私が関わるならディレクターやマネジメントの立場になるなと考えた。でもどうでもいいモードはあまり変わってなかったから海外行っちゃった笑。もっとプラスの面での「どうでもいい」だけどね。


一番最初に言ってた「文化芸術に助けられてた」というのは、今の話のように、マイナスだった気持ちがプラスになっていくこと?

それもあるのかな?だけど根源的には、この人間によって形成されている社会に私は人間だから存在しなきゃいけなくて、でもその中に美術とかが存在してるってことは希望であり救いだと思うし、人間が人間たる所以の一つだと思うの。だから何かそういったものが存在していて本当によかったと思う。根源的な救いだと思う。


休学中で一番印象に残ってることは?

海外でコロナになったことだね...笑。
でも全体的に言うなら、「どこにでも行ける」って思ったことかな。海外も飛行機に乗ってれば着いたし「今の時代世界が狭いな」と思った。どこにでも行けるし、大体のことは本気でやればおそらく実現できる。そういうことを実感したかもしれない。


編入後はどんなことを勉強したい?

私はキュレーションとかワークショップを開いた経験がないから、その勉強を実践を含めてやりたい。理論を学びつつ実践ができるのが美大の強みだからね。


いつも行動力いっぱいで頑張っているけど、その原動力は何?

怒り?生きてて色んなこと対して違和感を持つじゃない。周りの友人や家族が社会の状況によって「弱者」にされているのを見たときの怒りとか、友達にクィアやトランスの子がいるんだけど「自分のしたい格好ができない」って泣いて電話が来たりということが結構あって。社会に対し「なぜ?」と思って、で「ムカ!」みたいな笑。だから大きな意味で色んなことへの怒りがあると思う。行動するのは昔からです。


そっかそっか。それって疲弊する時もあるだろうけど、向き合い続けているのはなぜだろうね。

なんか高校時代に「自分って火山だ」って思ったのね。高校時代色々活動していたんだけど、そこでの活動や成果とて、私という火山からピョコって出てる溶岩の小さなかけらの一つに過ぎないと思ってて。「私はもっと爆発しなきゃ!」みたいに昔から思ってる。


激しいよね。戦う人だと思う。

激しいね、消耗してると思う。社会や世界と自分を一体化して見てるからかもしれないね。私は日常だけにフォーカスして生きてないと思う。もっと大きなこと、宇宙的なことや人間の根源的なこととか、社会の現状や動向など、そういうことと自分を常に同時に考えているから、ずっと頭が動いてると思うし、情報が凄まじく自分の中を駆け巡ってると思う。


好きな作家は誰?

寺山修司さん。色んな分野のことをやってた人なの。映画作って映画監督してシナリオ描いて戯曲やって劇団持って、短歌や俳句も作ってて、競馬の予想士みたいなのもしてたり、とにかくありとあらゆることをしていた人で、彼の思想と実践は天才的だと思っているから、ものすごく影響を受けてる。


社会のことを昔からしっかり見て考えてきたちさとちゃんは、アートは社会にとってどんな役割があると思う?

アートはビジネスのようにものすごく大きな変動を起こせるとはあまり思ってない。でも、ビジネスや経済は一時的、流動的だと思うんだけど、アートは人間の心とか精神に訴えかけるものだし、「そもそも」の部分からアプローチできる領域で、そこで表現されるものは世代を超えて受け継がれていくようなものになるんじゃないかっていう予感がしていて。私がやりたいのは、より良く生きるために、根源的なことについてみんなで一緒に考えて、少しでも息のしやすい場所をこの地球上に作りましょうってことかな。それが芸術でなら、精神的なそもそもの面から根源的にアプローチできるんじゃないかとは思ってる。


このコレクティブは最終的にどんなふうになったらいいと思う?

みんなのものになればいいなと思うよ。「わたしたちの」コレクティブではなく、国境や思想、言語、宗教の壁を越えてみんなの共通の場となればいいなと思う。


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