『パラサイト』”人生や社会は合理的に計画できる”と信じている人たちへ
・ファイナンシャルプランナーという職業がどうも苦手だ。
・「現在の貯蓄○○万円の○○%を○○と○○に長期投資して、残り分は○○に積み立てる。そうすると平均○%の利率が見込めます。将来子どもが生まれたとして、最大〇○万円の支出が発生しても、十分にpayできます。」
・もちろん将来に備えることは大事だ。けど、計画に少しでも狂いが生じたらどうだろう。急な災害が襲うかもしれない。深刻な病気にかかったら?親の介護が必要になる場合もある。突然会社からリストラに遭ったらどうだろう。
・人は裏切られたと感じるだろうか?ただ、本質的に人生や社会はそもそも非合理で計画不可能だと思う。映画『パラサイト』はそのことを一貫して訴えていた。
人は自分の計画以外、どうでもいい
・『パラサイト』には実に色々な計画が出てくる。貧困からの脱出、大学進学、結婚、子育て、誕生日パーティーのサプライズ・・・。
・映画序盤、半地下の家族たちは計画を緻密に遂行する。しかも犯罪に手を染めながら、人の職を奪い、人の命まで危険にさらし、排他的な計画は達成されたかに見えた。しかし災害級の大雨が襲った夜、計画が水の泡に消える。
・この映画の登場人物たちは『万引き家族』の誰よりもタチが悪い。半地下の家族だけでなく、裕福な家族、家政婦夫婦、映画の登場人物のほとんどが自らの計画にしか興味がない。計画のためなら他人は蹴落としてもいいと思っている。しかも、悪意が無い。そんな計画同士がぶつかり合って後半の悲劇に転じていく。
韓国人監督 ポン・ジュノならではの「非合理」の表現
・劇中、大笑いしそうになったシーンがある。それは僕が在日韓国人だからだ。多くの日本人はどうしていいか困惑していたと思う。「メッセンジャーの送信ボタン」と「核爆弾の発射ボタン」を同列に扱ったシーンだ。
・生まれた時から国は二つに分かれていて、もう一つは独裁国家。メッセンジャーの送信ボタンレベルでいつ核爆弾を発射するか分からない。人生の中で急に戦争が起きるかも知れない。実際に徴兵制もある。
・いかに合理的な人生計画を立てたところで、馬鹿馬鹿しくないだろうか?メッセンジャーの送信ボタンレベルで、計画は一気に狂うのだ。韓国人のポン・ジュノならではの「非合理」の表現だったと思う。
東日本大震災後の日本
・たまたまあの時、あの場所、そこに居た人が亡くなる。合理性も計画性もない。それは耐えきれないほど辛い出来事だ。被災地だけの問題ではなく、あの震災を機に、似たような感覚を持った人は多い気がする。
・震災の体験を経て、いま社会はどう進んでるだろう?人生の非合理性を受け入れつつ前へ進んでいるのか、もしくは反動によって、より合理的に計画通り進もうと動いているか。
・仮に後者が主流だったとしよう。排他的になっていないか、憎悪を生み出していないか、他者の非合理性に不寛容になっていないか。『パラサイト』の後半の悲劇は、何か自分の実生活に通ずる気がしてならなかった。
非合理と計画不可能を受け入れることが人生
・映画の終盤、ソン・ガンホ演じる父は避難先の体育館で息子に、たしかこんなことを語っていた。
「最高の計画は何か分かるか?それは無計画だ。みんな計画を立てるから狂う。無計画であれば社会が、国が、どうなろうと問題はない。」
・これまで計画を立て続けた息子は「お父さん、ごめん」と一言答えた。
・『パラサイト』の宣伝番組でインタビュアーがソン・ガンホに「映画が伝えたいメッセージは何ですか?」と質問していた。(そんな愚問答えるか!と個人的にビックリした)しかし、ソン・ガンホは静かに丁寧に答えていた。
ソン・ガンホ「”それでも人生は続いていく”ということです。」
・その通りだと思った。
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