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3.30 tue 日記。この路地の真ん中はどこなんだ

「休みの日さ、予定ないときって何してるの?」と上司に聞かれて、なぜかは分からないけど、そこから1時間くらい泣いていた。
 なんでなんだろう。予定がない休み、何してるんだろう。掃除したりスーパーに行ったり、部屋を成長させたりしている。あとは大体パソコンの前にいる。と思う。生産性がね〜と思ったのかもしれない(そんなわけはない)し、かわいくね〜と思ったのかもしれない(わけがわからない)。
 普段意識していないことに目を向けると、すぐ泣くようになった。ひどいのだ。意味を持つ前の感情にいきなり触れてびっくりするのかな。恋愛にまつわる話をしたときもそんな感じになる。
「抑圧された感情があるんじゃないですか?」コーチングの先生に言われた。
「あるかもしれないけど、あんまり意識したくないです」
「ええ、自分の理想と反するの?」
 そうかもしれない。そう思うと、抑圧しているものと理想のどちらも情けないものに思えて、ぐうと押し黙ってしまった。普通に恋愛をして普通に結婚してみたいと思っているのか。いや普通なんてねーし好きにしろバーカと思っているのか。どちらも、思い切れないのだった。

 みんなふつうで、みんなへん。枡野浩一の本が流行っているけど、私はその文言を信じていないのかもしれない。今や指を指されるプロトタイプな「普通」に憧れているのでは?と最近思うことが多い。最近というか、数年間ずっと思っていた。
 普通。それは自分になく、手に入らないものだという思い込み。昔からそれを積み重ねているのかもしれない。労働環境やセクシャリティ、かつて「こうあるべきだ」とアホのように言われてきたことがネットで燃え盛るたびに、心のどこかですみませんと謝っている自分がいる。

 星野源の『夢の外へ』。
「自分だけ見えるものと 大勢で見る世界の
 どちらが嘘か選べばいい 君はどちらをゆく
 僕は真ん中をゆく」
 そのフレーズを時折思い出して、うなだれる。私はまだ真ん中が分からないよ、源。選ぶことに対して、覚悟と責任が必要だと思いすぎだな、そんなことを考えながら泣いていた。これ以上職場で泣きたくないよ。

 ここ数日、暖かいので車を置いて、徒歩で通勤している。帰り道、家の裏の路地でたばこの香りがした。前を歩くおじさんがふかしているのだ、と気付いて、なんとなく目で追ってみる。夕方でも明るく、建物の間から漏れる西日がおじさんの背を照らしていた。日陰に入るのと出るのを繰り返して、影が形を変えるのが綺麗だ。眺めながら、彼の右後方を歩く(距離もかなりあるし普通に帰り道なのでつきまとっていたわけじゃないですよ)。
 ふと彼の手元に目をやると、たばこを右手から左手に持ち替えていた。やさしー、と思った。

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