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2.23 mon きたる未来をヘラヘラすることとして

 お久しぶりです!この一週間くらい、自転車をバラして包むことしかしてません!おかげでネトプリも出してないし、職場でも「自転車があ!」と愚痴る始末である。もうこの一部始終を今月のWORKにしようと思っている。し、書き始めたら一回にまとまらないほど言いたいことがある。
 一体何をそんなに、と思うかもしれませんが、読んでくださいね。



 自転車はともかく。
 仕事でひどく疲弊していたことに少し区切りがついて、その他もろもろ生活上の大きめなタスクもまとめて片付く目処がたった。残滓みたいなダウナーさは引きずっているけど、落ち着きたい。もう少しすれば本当にちょっと楽になるはずだ、と言い聞かせる。みんなそんな感じで生きてるんかな。どうですか。

 毎日、色んな人が生きようとしていることに途方もなさを感じる。そんな大きなスケールの話ではないけど、働くことは大きく捉えれば、いつかの何かのために日々を繋いでいくことではないか。あるかも分からないいつかがあるという前提で何かを準備する。不思議だ。
 今の山を越えようと思うとき、その先の自分を想像する。何かを得た自分を、というよりも苦しさを忘れてヘラヘラするんだろうという想像。自分の目的地はいつだってヘラヘラすることだ。子供を育てる人たちを見て、私はこんな必死じゃなくていいのかなあと不安になったりする。
「何かを守らないといけないって気持ちは、確かにモチベにはなる」「そうですかあ」「自分の豊かさを守ることも大事だよ」ヘラヘラを豊かさと言い換えれば、自分の不安も多少は減るんだろうか。自意識に渦を任せながら最近もやはり悩んでいます。

きゃっかしょうこきゃっかしょうこを繰り返し叫んであいつ川へ行ったか
(2021.2)

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