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4.16 sun 音を出すよろこび

  この冬、バンドを組んだ。月1回ほどのペースで集まるゆるいチームだが、チームであることに変わりはないし、目標もできる。さっき2回目のスタジオ練習を終えたとこ。一年前はベースを触ることなんてなかったし(10年前に買ったものが家にある。高校時代にやっていたのだ)、劇的な変化といえる。趣味を聞かれると何も言えない気がするが、これは分かりやすく趣味だ。ちょっと嬉しいなと思う。
  共同体と不思議である。仕事でもないのに我々はグループだという感覚。これはとても心強く、安心できるものだ。一緒に音を鳴らしてくれるなんて、なんたる贅沢。今の生活には音楽好きという人が周りに少ないので、音楽を趣味とする人がいると安心する。仲間意識のようなものだろう。一緒にいる理由があるということは、人と人の出会いとしてドラマチックに感じる。私はあの人たちの仲間なのだ。偶然が重なって得た仲間だから、なおさら嬉しいのである。

  音を出すのは理屈抜きに気持ちいい。自分でコントロールしたものが出力されるという快感だ。出力。それを日々の中で得ることは簡単ではない。たとえば大声を出すだけでも十分な出力だけど、しっかり何かを弾くという行為は出力度としてかなりハイな気がする。これが上手い人はアドリブとかでできるから、その場合さらに出力度は増す。
  歌を詠むことも同じである。スーパー出力。まっさらな矩形の中に色と形を置くということはあまりに自由で、その分色々が問われる。と思う。アドリブもいいところだ。フワッとした言い方で何ですけどね。私は声を出すのが好きだし、詠むことはそれと似ている。

  いつだったかやっていた、Instagramのストーリーに一日一首上げるというあれをまたやろうかと思う。一日とまでは言わずとも。でもあれをやってた時、日課をこなしている感覚が気持ちよかった。習慣化がとても苦手なので、どんな小さなことでも習慣を達成すると爽快なのだ。一年前はちょうど持病をこじらせて全て放り出したタイミングだったけど、ずいぶん元気になった今、またやってみようかなーって。それはバンドを組んだことで音を出す気持ちよさを知ったからかもしれない。高校の時もバンドはやってたけど、今の方が音を出すこと自体に喜びを感じている気がする。音を出せない時間が多いからかな。わからんけど。
  閑話休題。元気な今なら日々のあれこれを捕まえられるかもしれない。にっちもさっちもいかない日記をメモに書きまくっている今、そこを何かしらに転換したいわけ。はっはー。

気がつけば知らない人と話しててもう異端ではないのって泣く
店長もトイペを買って帰ってる  「ダブルがいいっすよね」って笑う
日々の垢洗い流していいものか悩んでひとつひとつを畳む

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