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【インテリジェンス】母国の悲願を叶えた最強の英国騎士!!!アンディー・マリーのヒストリー#74

皆さん、こんにちは。
「Change Court」記者のtakableです。

 この記事ではテニス選手個人にフォーカスを当てて選手のヒストリーやエピソードについてご紹介します。今回は「GS優勝者がいないから無理!」の仮説を「GS優勝した選手はどうやって育ってきたの?」を「幼少期〜ジュニア期/GS初優勝歳/世界ランク1位獲得」までにどのような活動をしていたのか調べていきます。(2021.09.27現在、2022.09.12ランキング・年表等更新)


※記事をより簡単に読んでいただくため表記に独自のルールを利用しています。


アンディー・マリー
状況判断に優れ、的確な判断を瞬時に行うことができる選手。安定感抜群のグランドストークから、瞬時に攻め上がったり、ドロップショットで相手の意表をつくことができる。アーセナルのファン。

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「3歳からテニスを開始し15歳でスペインへ留学」

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2004年Jr GS・Uで優勝

 1987年5月15日イギリスのグラスゴーでテニスコーチの母とグローサリーストア(日本のコンビニがイメージ)で働く父のもとうまれました。その後、グラスゴーから50kmほど北にある、ダンブレーンで兄のジェレミーとともに育ちました。
 テニスコーチの母の影響で3歳から2歳上の兄とテニスを開始し11歳まで母がコーチをしました。母方の祖父がプロサッカー選手だったこともあり、幼少期はテニスとサッカーをプレーして育ち、ボクシングにも興味を持っていました。
 11歳からは、23歳のL.スミスがコーチとなり4年間指導しました。この間に国際大会20大会に出場し実力をつけました。15歳の頃、地元スコットランドのサッカーの名門グラスゴー・レンジャーズからのスカウトを受けましたが、ムザーはテニスを選び、バルセロナのサンチェス・カザルアカデミーへ3年間の留学を決意し、P.アルバレスがコーチとなりました。
 ジュニア時代の成績は27大会出場で、76勝21敗(勝率78%)でJrGS・Uの優勝等6度の優勝を経験しランキングハイは2位でした。


「18.4歳でTOP100を切る!」

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2006年サンノゼでツアー初優勝

 ジュニアと並行しシニアデビューをしたのは、2003年で16.1歳でした。TOP100を切った2005年は、4月17.11歳WCでバルセロナ250でツアーデビュー、5月ロンドン250ではT.デント[30]へ勝利しTOP30に対しても勝利した17歳の選手でした。6月GS・WにWCでGS初出場でR.ステパネク[13]に勝利し3回戦に進出、ツアー参戦1年目でTOP30の選手4名に勝利しました。
 これらの結果、2005年は10月18.4歳でTOP100を切り72位、最終的には411位で開始したランキングを64位まであげました。

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「25.3歳GS初優勝!」

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25.3歳GS初優勝

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 GS初優勝は、2012年25.3歳の時でした。GS初の決勝進出は2008年8月で21.3歳でその後3度の決勝まで進みましたが全敗し5度目の挑戦で初優勝を手にしましたが、ランキングは1つ上昇し3位となりましたが、1位までは壁がありました。

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 ランキング1位を獲得したのは、2016年11月29.5歳でした。この年は3度のGS決勝へ進出しましたが、2回大会連続(GS・A/F)それぞれN.ジョコビッチ[1]への敗退、そしてGS・WでM.ラオニッチ[7]4度目のGS優勝をしました。
 この年はシーズン序盤からハイペースでポイントを奪取していました。圧巻だったのは、終盤の10月から北京500、上海1000、ウィーン500、パリ1000、ツアーファイナルの5大会で優勝(25試合連勝)を記録し50%の確率で優勝、年間でも1位を獲得し現役生活で最高の1年になりました。

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 2012年母国開催のロンドンオリンピックの金メダル、2013年と2016年のGS・Wでの優勝はイギリス国民が長年待ち望んだ待望のイギリス人チャンピヨンの誕生でした。母国のために戦うマレーはの最強の騎士となり、諦めず戦いきる精神力を持っています。
 2016年の活躍の後は怪我が重なり長期的な離脱が続いています。2018年7月には839位までランキングを下げ、そこから現在までTOP100まで戻ってきていません。現在109位でTOP100へのカムバックは目前です。
 不屈の精神と成熟した聡明なプレーで再度奮起するムザーの活躍を期待しています。引退までの間にTOP10やGSタイトルを再度奪取する姿が見れることを楽しみにしています。

 

記録
✴︎オリンピック2大会で金メダルを獲得した初の選手(2012年、2016年)
✴︎イギリス人で初のGS・U優勝
✴︎2013年GS・Wで77年ぶりにイギリス人で優勝
✴︎2016年 24試合連続で勝利し、ツアーファイナル優勝をした結果N.ジョコビッチを追い抜き年間1位を獲得
✴︎2016年29.5歳イギリス人で初の世界ランキング1位を獲得(2番目に高い年齢で1位獲得)
✴︎2016年ATP年間最優秀選手
✴︎OBE(大英帝国勲章)

 今後もこのような記事をあげていきますので、もしよかったよ〜という方は是非note内の「スキ」や「記事の保存」をお願いします。
 この選手の記事を読んでみたい!調べてほしい!というご要望ありましたら、お気軽にご連絡ください。それでは次の記事で。さようなら。



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PS.留学先でバルセロナを選んだ理由や他の候補はどこだったのか伺いたいです!



〜CC(Change Court)について〜
 CCは、テニスのジュニア育成に関する問題や課題を解決していくための考察記事です。
 「うちの地区こんな問題があるんですが…」、「これは正しいのかなぁ!?」、「これってどうしたらいいでしょうか?」そんなテニスのジュニア育成に関する悩みや課題を解決できるきっかけを皆さんと一緒に考察します。
 

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