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【史上最高】誰もが憧れる最高のテニス選手像!?ピート・サンプラスのヒストリー#86

皆さん、こんにちは。
「Change Court」記者のtakableです。

 この記事ではテニス選手個人にフォーカスを当てて選手のヒストリーやエピソードについてご紹介します。今回は名字の最後に「ス」が入る選手を今までのように、「幼少期〜ジュニア期と22歳程度の年齢までにどのように育ったのかを調べながら、名字から選手それぞれのルーツについて調査し「ヨーロッパの選手が強い理由」を調べていきます。(2021.10.12現在)

※記事をより簡単に読んでいただくため表記に独自のルールを利用しています。


ピート・サンプラス
超攻撃型の極みを貫いた選手。ピストルの弾丸のように真っ直ぐで早いサーブを武器にどこからでもウィナーをとることができる選手。為史上最高のオールラウンダーと呼ばれ、多くの現役選手が憧れる存在。ロサンゼルスレイカーズ(NBA)のファン。

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「7歳からテニスを開始」

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バックハンド両手打ち時代

 1971年8月12日アメリカのワシントンD.Cで生まれました。父はギリシャとポーランドにルーツを持ち、国防省でミサイル開発をしました。母はギリシャのスパルタ近郊で育ちアメリカへ移民をした美容師でした。
 ピートが3歳の頃、家の地下室でラケットを見つけて壁打ちをして遊び、本格的にテニスを開始したのは7歳の頃です。この時期にワシントンD.Cからテニスをする最高の環境であるカリフォルニアへ引っ越し、家族でペニシュララケットクラブでテニスをして過ごしました。
 9歳の頃のコーチ、P・フィッシャーがジュニア期(18歳まで)のピートを育てました。元々ベースライナーだったピートを14歳の頃にサーブアンドボレーの伝授とシングルハンドへの移行を行いました。
 この結果、サーブの改善とボレーの強化によりオースラウンドなプレースタイルを身につけました。


「16.6歳ツアーデビュー、17.3歳TOP100を切る!」

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19歳でGS・Uを優勝したピート

 ツアーデビューは1988年2月16.6歳フィラデルフィア250で893位からのスタートでした。そこから11月までにTOP100を17.3歳で達成し97位になりました。
 デビュー当初から快進撃を見せていましたが、その才能は1990年に爆発しました。育てのコーチであるP.フィッシャーと別れ、J.ブランディとのタッグに変更した1990年の2月フィラデルフィア250では、A.アガシ[6]、T.マヨッテ[8]、A.ゴメス[18]を下してツアー初優勝を達成しました。この優勝がピートの今後の活躍に火をつけるきっかけとなり、6月マンチェスター250で優勝、カナダ1000ではJ.マッケンロー[12]への勝利しSFと着実にステップアップしました。
 1990年8月GS・UではT.ムスター[6]、I.レンドル[3]、A.アガシ [4]らTOP10を三人下して、19歳でGS初優勝を手にしました。この勝利は史上最年少でGS優勝選手にもなり、自身初のTOP10を切り6位になりました。

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「19歳GS初優勝、21.8歳世界ランク1位」


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 2002年最後の試合となったGS・Uで優勝

 その後もTOP10をキープする活躍をしていましたが、その一歩上をブレイクスルーできなかったことで、1992年からはコーチをT.ガリクソンに変更しました。T.ガリクソンはコーチとしてテニスのスキルを磨き上げ、特に芝コートでの戦う方法を伝授しました。また家族のように接したことで、彼のメンターとなり精神的にも成熟するきっかけとなる存在にでした。
 その結果、シーズン開幕から好成績で発進し、序盤の11大会中4大会で優勝し、4月には21.8歳で世界ランキング1位を獲得しました。その後6月のGS・Wでは2度目のGS優勝、8月GS・Uでも優勝し、初めて1年間で2度のGSタイトルを獲得し、年間1位も獲得に成功しました。
 
 1993年4月21.8歳から獲得した年間1位のポジションは1998年まで6年間連続で1位という記録を作りました。この間、2位が45週間、3位が2週間だけありましたがTOP3以下になることはなく、世界のベストプレイヤーへと成長をしたきっかけの年となりました。

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 数々の記録や名場面を作り、神聖視されたピートですが、より神聖化されたのは、引退試合となった2002年のGS・Uでした。この前年2001年は、1つもタイトルが獲得できず、若手で台頭してきたR.フェデラーにGS・Wで4回戦での敗退や、L.ヒューイットにGS・U決勝で敗退しました。
 2002年も優勝がなく、8月の17シードで出場したGS・Uで決勝戦は12年前初優勝した相手と同じA.アガシに勝利をして14度目のGSタイトルを獲得しました。その後1年間試合に出場することなく過ごし、再びプレーすることなく2003年に引退をしました。

 GS優勝を最後の試合にして引退する生き様に憧れた現役選手も多く、その攻撃的なプレースタイルに憧れ模倣としたのは、R.フェデラー、N.ジョコビッチ、S.チチパスら等多くの選手がアイドルとしています。テニスを簡単な競技だと思わせるほど、その美しいプレーで次々と得点をテンポよく奪取する姿は誰もが憧れる史上最高のテニス選手でした。

 引退から現在までは、子供の育児中心の生活で、どこかに数週間単位で飛び回ることはしたくないという理由からコーチ業も行っていません。子供たちが巣立ちだしたあとのピートに活躍に期待しています。今後のピートはどのような人生を歩んでいくのか楽しみにしています。

記録
✴︎19歳でGS初優勝は史上最年少
✴︎6年連続でATP世界ランキング1位(1993~1998年)
✴︎11年連続GS決勝戦進出
✴︎10・20・30代それぞれでGS優勝(他2名達成)
✴︎ATP最優秀選手賞6年連続(1993~1998年)

 今後もこのような記事をあげていきますので、もしよかったよ〜という方は是非note内の「スキ」や「記事の保存」をお願いします。
 この選手の記事を読んでみたい!調べてほしい!というご要望ありましたら、お気軽にご連絡ください。それでは次の記事で。さようなら。



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PS.14歳からのサーブアンドボレーの練習方法や大切にしているコツを伺いたいです!


〜CC(Change Court)について〜
 CCは、テニスのジュニア育成に関する問題や課題を解決していくための考察記事です。
 「うちの地区こんな問題があるんですが…」、「これは正しいのかなぁ!?」、「これってどうしたらいいでしょうか?」そんなテニスのジュニア育成に関する悩みや課題を解決できるきっかけを皆さんと一緒に考察します。
 

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