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宗教 神話 科学 ③

ところで、神話と宗教は厳密には違うように思うんだ。

先に挙げた物語は、どちらかといえば神話に属するものだろう。「神話」はとある人間集団が長い自然との交渉を経て自然に形成されるもので、ふつう、その土地の気候や生物の営みを用いてなるべく合理的な説明をしようとする。でも、死後の魂の安楽を語る神話って、僕はあまり知らないんだ。

神話の性質を使って人工的に生み出されたものが宗教と言えるんじゃないかな?人間の集団がある程度の大きさになって、生活も高度化するにつれ、集団には階層が生じるようになる。さらに人々は生まれてきた理由や死んだ後の魂の行方、あるいは日常生活の意義についてより長く、かつ複雑に悩むようになる。

そういう疑問の前に打ち立てられるのが、「神」という名の、一種のブラインドだと思うんだ。疑問には終わりがない。宗教は、どこまでも続く疑問の連鎖の途中に「神」というブラインドを設けて、その先を見えなくしてしまう。しかしそうすることによって、その先の不可解な領域に対する問いの全てを解決しようとするんだ。人々の不安を取り除くことで、社会の安定を目指すんだ。

宗教が宗教であるためには、信者でもなければ科学者でもない、リーダーの存在が必要となる。それが「教祖」だね。

教祖は、いつも信徒たちよりも先の領域を知っていなければならない。つまり、自らが立てた神の仕切りの、向こう側を知っているような態度をとる。

たとえばムハンマドがジブリールからアッラーフの啓示を受けたように、神に接近した存在として自らを演出する。それが確信的かどうかは、その教祖ごとに違うんだろうけど、宗教において神を設けるのは「教祖」だ。

教祖は神の欺瞞を知っているので、信徒と同じように自らが救われることはないんだ。これって、とっても、辛くて孤独な仕事だと、僕は思う。

Rashid al-Din "Jami' al-Tawarikh" published in Tabriz, Persia, 1307 CE, Edinburgh University Library, Scotland

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