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僕たちはなぜ生きるか。

僕の頭の中に、いつもぐるぐる回り続ける一つの疑問。僕たちはなぜ生きるのか、あるいは生きているのか。不思議で仕方ない。

社会で成功して認められるため?お金を稼いで裕福な暮らしを送るため?それとも、家族で穏やかに暮らしてくため?

そうじゃない。それは「何の為に生きているか」であって、「何の故に生きているのか」の答えにはなっていない。

目的や倫理じゃなく、理由なんだ。僕は、人間が、そして一切の生物がどうして生きているのかが知りたいんだ。それは機能や構造の問題じゃないし、哲学とも少し違う気がする。

多くの動物は、セックスをして子孫を残すことに命を燃やしている。僕たち人間の中にはそうしない人たちもたくさんいるけど、子供を産んで育てることが生物種として大事なことだって、みんな知ってる。動物も植物もみんな、子孫を残して、みずからのDNAを少しでも先に残そうと努力する。そんな本能があるってことを、間違いだと言う人はあまりいない。

でも僕にはそれがとても不思議だ。僕たち生物は、少しでも長く種を残そうとするけど、そうして何千年、何万年と種を残して、一体何になるんだろう?それには果たして、何の意味があるんだろう?

何の意味もない、という人もいるかもしれない。僕には非常に有意義な批判をくれる友人が何人かいるけど、そのうち1人も「種を残そうとした種だけが今生き残っているだけで、そこに意味なんかない」と言っていた。確かにそうかもしれない。

でも自然界を見たとき、どうもそれは僕の腑に落ちない。地球上には多くの動植物がいて、それぞれ生存をかけてあらゆる方策を尽くしている。でも、生物には生態系の循環がある。他の生物を食べたり、逆に死んだら食べられたり。動物が吐き出した二酸化炭素を、植物が酸素に変換して、それをまた動物が吸い込んだり。生物は、どうやら一種だけでは生きていけない。複雑に絡み合った他種との関係がないといけないみたいだ。実際、圧倒的な能力で、他の生物を駆逐してしまうような生物はいない。大きい動物は強いけど、動きは遅いし餌をたくさん食べないといけない。小さい動物は俊敏で、繁殖力も強いけど、身体はとても脆弱だし、寿命も短い。生物種というのはどうしても一長一短に見える。まるで総合能力値の上限が決まってて、それを少しずつ各能力に振るような。

どうやら自然界ってのは、より多くの種のDNAを、未来に残しておきたいらしい。でも一体、それにどんな意味があるのだろう?そして、そんな本能を植えつけられた僕たち生物って、ひょっとしたら誰かの意志のために、何かの目的のために作られたんじゃないか?「何かのために生かされているんじゃないか?」そんな疑問が、ずっと渦巻いてる。

でもこんなことに真面目に取り組む人は、そうそういないらしい。この「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」(ボストン美術館)という絵を描いたゴーギャンは、きっとこの問題に頭を悩ませただろうけど。僕を含めた多くの人は、日頃の生活を忙しく送り、人間関係に悩み、そして死の恐怖に怯えて、「どう生きるか」ばかりを考えてしまう。

いや、それでいい!

でも、「僕たちはなぜ生きているのか」「何かのために生かされているのか」って問いは、もしかしたら世界で一番大切で、一番大きな秘密かもしれない。そして生物学も、歴史学も、ロボット工学も。どんな分野にもそのヒントが隠されている気がするし、必ずこの問題に繋がっていると思う。

僕たち生き物は、何か目的があって生まれたのだろうか?だとしたらそれは何だろうか?誰がそれを決めた(決める)んだろうか?

アイディアがある人は、そっと僕に教えてほしい。​


Paul Gauguin 《D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?》 1897-98 MFA, Boston 

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