普通の日。

昨日は異常なくらいに、スッキリとした朝を迎えて、昼間から夜にかけても、ウォーキングに出たり映画を観たり、何の凹凸もない日常を過ごしました。母からの電話では、「今は何の悩みもない」と言ってしまえるくらい。
でもそれって、違う角度から見てみると、ちょっと怖い感覚を覚えます。

人間、元気な時、普通な時、調子の悪い時と、3つあると思うんです。

元気な時、私たちは、自分のその元気さに驚きます。
調子が悪い時は、自分の調子の悪さに気付き、自分を労わろうとします。
問題は、普通の時。
普通の時を過ごしている間、自分に対して深く関わろうともしません。何故なら、普通に問題なく過ごせている自分であるから。

自分に関わろうとしない感覚がやばいのではないかと思い始めました。


昨日は、紛れもなく、普通の日でした。

元気ではないと知ったのは、母からの電話を取って自分の声を聞いた時。
元気な声が私から出ることは、ありませんでしたから。
あ、元気じゃないんだなって、思いました。

そうなれば、あとは、その元気じゃない原因を探るのですが、これといって見つかりません。

ということは、昨日は、元気でもないし悩みもないから、普通に過ごそうと思えば過ごせる日だったのでしょう。


では、これの何がやばいかって。
自分に対して無の感情になることだと思いました。
よく無心に食べるとか言いますが、そのような状態ですね。

私は昨日、この無の感情になっていたように思いました。だから、翌朝の今日、あまり調子が良くないような気がしています。

普通の日はやがて、調子の悪い日に変わってしまうのだと。

で、調子の悪い日になってしまえば、あとは、その調子の悪さの原因を突き止めて、自分を労わることが出来れば良いだけなので。

要するに、普通の日は、調子の悪い日よりも、良くないと思うのです。

だから、私もあなたも一生懸命に感情を動かそうとしますが、それが良い方向に働くのは稀なことだと分かっています。

分かっているから感情をあえて動かさない。

そして、また普通の日へと戻っていくのです。



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