コンビニは無料でトイレを貸すべきか?
今日、よく行くコンビニに、観光バスの団体客が入ってきた。観光バスが再開されるほど観光経済が盛り返してきたのは嬉しいのだが、お客さんが誰一人、物を買わずにトイレだけ借りて店を出て行ってしまったのには、少し考えさせられた。バスの添乗員がレジに立つ店員に向かって深々とお礼のお辞儀をしたのは良かったが、お辞儀をするならガムのひとつでも買ってあげたらいいのにと思った。
コンビニは社会の中でどういう立ち位置なのだろう? コンビニは商売であって公衆トイレではない。しかしコンビニそれ自体が社会の公共性を担っている部分は大きい。たとえば、深夜でも店を煌々と照らすことで町の治安を守っている部分もあるし、地域によっては何か危険があった際の駆け込み場所になっている店舗もある。そう考えると、観光バスのための公衆トイレの役割も担うべきなのだろうか?
余談だが、私は高校生の頃、ファミリーマートでバイトしていたから、コンビニのブラック体制をよく知っているつもりだ。家族経営の店だったが、主婦業とかけもちする店長はいつも働きづめで顔色が悪く、時々肩を揉んであげると驚くほど凝っていた。一日に何杯もコーヒーを飲んで眠気を覚まし、いつ倒れても不思議ではない状態を続けていた。薄暗い店のバックヤードのデスクで一日中パソコンをにらみ、一時間の間に何が何個売れたのかカウントし、それを逐一、フランチャイズの本部にデータを送っていた。売れゆきが伸びない商品は二週間で棚から消されるので、どのジャンルのどのブランドなど、売上変動をチェックするデータはとても細かく、一個一個に目を光らせるだけでも大変な労力に見えた。
そんなわけだから、大勢で入店してトイレだけ借りて去っていくことは、コンビニにとって複雑だ。売り上げにつながらないサービスでも笑顔ですることで、その店の印象を良くすれば、結果それが良い方に店に返ってくる。そう願うしかない。しかし私なら、トイレを借りたら、ミントのひとつでも買うと思う。
と、以上の投稿を私のFacebookにしたところ、多くのフォロワーから反応をもらった。観光バスの団体客を非常識だと批判する人もいれば、トイレくらいいくらでも貸すべきだと考える人もいた。大手コンビニの本部で長いこと勤務されていた方からも返信を頂き、本部は個々の店舗がブラック労働にならないように、常に現場の店長とコミュニケーションを図りながら日々バランスを取っているという意見をもらった。
コンビニのトイレの話題がここまで多くの人から関心を持たれることに、私は少し驚き、やはりコンビニの身近さ、トイレの切実さは、皆に共通するものなのだと思った。
このコンビニトイレ問題をめぐって、私はこの夏に出会った、ある人との議論を思い出すことになった。その人は私の小説の読者のひとりで、ネット検索して私のSNSを探し出してくれ、繋がって、そして「私に実際に会いたい」とまで言ってくれた人だった。喫茶店でついに対面してみると、同じ小説を書く人と読む人は似た者同士なのか、互いに話がよく弾んだ。彼は公共の問題に取り組む仕事をされている人で、会話の流れのなかで、公衆トイレの話題が出たのだった。
「僕は、町にもっと公衆トイレを増やしたいと思っているんです。たとえば、タクシーの運転手さんなどは、トイレのたびにコンビニに寄ってガムなんか買っていたら、経済的に続かなくなるよ。それと、運転席に長時間座っているから、休憩時間に車から降りて体を伸ばしたくても、コンビニの駐車場だと他の車で混んでいたりして、ちょっとした体操なんかもできないんです。恥ずかしいしね。だから、公園などの近くに、トラックやタクシーなどの運搬系の仕事の人たちのために、もっと公衆トイレを作るべきだと思うんですよ」
その人はそう言ったのだ。
私はその時、あまり深く考えずに即座に反論してしまった。公衆トイレは薄暗くて汚くて、そんなものを町に増やしたら性犯罪などの温床になってしまうかもしれない。現に、アメリカでは人気の少ない駅やバス停の公衆トイレで、レイプ犯罪が頻繁に起きている。公園なんかに公衆トイレを増やしたら、日本もそうなるかもしれない。 私がそう言って反対すると、彼はそれも分かっていると言って、うんうん頷きながら、
「だからこそ、安全が担保される公衆トイレにするんですよ。たとえば、東名高速道路のサービスエリアのトイレは二十四時間、いつ入っても明るくて開放的な雰囲気ですよね? そのような公衆トイレを目指すんです。もちろん、清潔と安全を保つだけの経費がかかるという問題は、なんとかクリアしないとダメなんですけどね」
と主張した。
今、あの時の会話を振り返ってみると、色々と考え直すところが多い。コロナ禍から引きずる不景気と、最近の物価高で、商売はどこもいっそう大変になっている。そんな状況下で、トイレを貸す方も借りる方も経済的に余裕がないのなら、それこそ公共福祉の出番ではないか? 同じ税金を払うなら、大阪万博や東京五輪などの無用の箱物を作るよりも、近所の公園の公衆トイレなど、はっきり目に見えて恩恵を感じるものに使ってほしい。
欧米各地の町に比べて、日本の都市部はトイレが多いと言われている。しかしそれは結局のところ、コンビニやデパート、スーパーなど、みんなが自由に利用できるように、それらの店舗がトイレを開放しているからだ。観光客という目線で見れば、とても便利でありがたいことだが、すべての人が観光客や買い物客ではない。様々な職種の人たちのニーズに応えて、買い物しなくても後ろめたさを感じずに自由に使える公衆トイレを、やはり増やすべきなのかもしれない。
サポート頂いたお金はコラム執筆のための取材等に使わせて頂きます。ご支援のほどよろしくお願いいたします。