見出し画像

銃で撃たれて死んでほしくないから、息子には早く車椅子にのってほしい――銃社会アメリカの現実

あなたには尊敬する人はいますか?

尊敬する人がいるかと聞かれたら、私は迷わず彼女の名をあげるだろう。AJ。それが彼女の名前。私が26の時に出会い、今でも深い親交のあるジェンダー・スタディーズを教える教授だ。60年代の公民権運動に青春を捧げたというAJはいつも風変わりな民族衣装的な毛織のマントをはおり、黒い瞳に小麦色の肌をしている。それは彼女がインディアン(今はネイティヴ・アメリカンと呼ばれる)の血を引いているからだ。

AJには15年前に難病を発症したという息子がいる。多発性硬化症といわれるそれは、筋ジストロフィーと症状が似ていて、病気の進行にともなって全身の筋肉が徐々に硬直していく。

アリゾナにあるAJの家に招かれて、私が初めて息子のデイヴィッドに会った時、彼はまだ一人でなんとか歩いていた。体を大きく左右にゆすりながら歩行のバランスをとり、杖をつきながらではあるけれど、自力でどこにでも行くことができた。

しかしAJはデイヴィッドに早く車椅子を使ってほしいと言う。やがては車椅子生活を余儀なくされるようになるのだから、今から乗ったっていいじゃないかと。私は驚いた。AJの考えは間違っている。この病気は少しでも進行を遅らせることが重要なのだ。杖をついても毎日歩いて、体を使うことがリハビリになる。デイヴィッドの主治医も歩けるうちは頑張って歩き続けるべきだと主張している。

「そんなことは充分に分かっているわよ、ヨーコ」AJは言った。「歩き続けた方がいいに決まっている。私だって間違ったことを言っていることぐらい、分かっているのよ」

私は黙って彼女の話の続きを聞いた。

「だけど銃が心配なのよ。デイヴィッドが不器用な歩き方で歩いていたりしたら、変な人だと疑われて撃たれるんじゃないかしら? 私は本気でそれが心配なのよ。母親としてどっちがいいかって考えたら、頑張って歩くよりも、息子に撃たれてほしくないわ」 

そう言ったAJに対して、私は返す言葉がなかった。それからAJはテーブルに肘をついたまま両手で顔を覆った。隣にはデイヴィッドがいた。私たち三人は夜のテーブルを囲んでいたのだった。「デイヴィッドはどう思うの?」私は彼に訊いた。

「分かっている。AJの気持ちは分かっているんだよ」デイヴィッドは母親のことをAJと名前で呼んだ。アメリカでは子供は大人になるとDadや Momとは言わずに名前で呼ぶのだ。

「僕も周りの視線は感じている。怖いなと思ったことも何度もあったよ」デイヴィッドはゆっくりと話し始めた。「怪しい奴だと思われているなと思っても、防ぎようがない。僕の体じゃあさっさと逃げることもできないしな」

「じゃあ、車椅子にしてくれるの?」AJが確認すると、デイヴィッドは黙って頷き、「外では車椅子を使うけど、でも家では歩くぞ。家の中では歩くからな」と応えた。僕の家はフラットで広々としているから、家の中だけでも充分に歩行訓練ができるだろうと言った。

それから私たちは茹でたリボンパスタに瓶詰のトマトソースをかけただけの簡単なディナーをした。質素だが意外にも美味しかった。パスタを口に運びながら、私はずっと納得できない思いでいた。どうして銃を恐れて歩くことを諦めなければならないのか? 将来の体調よりも、今、目の前にある危機の方が深刻だというのだろうか? 確かに、アメリカでは誤解による銃殺が珍しくない。強盗や侵入者の類と間違われて撃たれて死亡しても、撃った方が裁判で正当防衛を主張すれば刑務所に入らずに済むケースもある。以前に、服部君という日本からルイジアナにホームステイに行った高校生が、友人の家で強盗に間違われて撃たれて亡くなった事件も記憶に残っている。結局あの事件では、彼を撃った友人家族は裁判で無罪となり刑務所には入らず、その後、服部氏の遺族が続けた裁判で、賠償金を支払うことが決まった。デイヴィッドも周囲の視線が気になると話している。体を左右に揺らしてバランスを取る不器用な歩き方が誤解を招き、身を危険にさらすのではないかと、不安なのだろう。

AJは言わなかったが、私が感じたことがもう一つある。デイヴィッドが白人ではないことも心配の種なのだろう。ネイティヴ・アメリカンの血を引く家族なのだ。白人ならば経験しなかったであろう様々な出来事を、彼らは経験しているはずだ。

AJのアリゾナの家は確かに広くて豪華な住まいだった。廊下は幅広いし、リビングもダイニングもホテルのスウィートルームのようだ。だからこの家の中で毎日歩行練習をして、外では車椅子に乗ればいい? 本当にそれでいいのだろうか? 

自由の国アメリカというイメージが私の中で歪んでいった。

三人でディナーを囲んだあの夜から、二年が過ぎた。デイヴィッドは今は家の中でも外でも車椅子なしでは動けない、完全な車椅子生活を送っている。

サポート頂いたお金はコラム執筆のための取材等に使わせて頂きます。ご支援のほどよろしくお願いいたします。