【短編小説】想いの種【所要時間:3分】

ときに人というものは、頭に花を咲かせるものである。そしてそれを知っているのは、どうやら僕だけらしいのである。

「今度の土曜どこ行く?」
「んー、どこでもいいよ」
彼女の言葉の裏に(将暉と一緒なら)という含みを感じて頬が緩む。僕の彼女、愛佳の頭には、小さくて健康的な向日葵が咲いている。学校の帰り道を二人で歩きながら、カフェの窓に映る自分を何気無く見る。僕の頭の上に咲く向日葵は、愛佳のそれと同じように瑞々しく上を向いていた。
周りを見れば多くの人が同じように頭に何かしらの花を咲かせている。桔梗、パンジー、たんぽぽ、名前のわからない花だってある。僕はそれらを『想いの花』と呼んでいる。


「もういい、別れる!」
「そんなあ」
1ヶ月前、付き合っていた彼女に振られた。仕方がない。お互い頭の花も枯れかかっていたし、そろそろだとは思っていた。
中庭をゆっくりと見渡す。誰もが思い思いに昼休みを満喫しているなか、木陰のベンチで座って本を読んでいる愛佳を見つけた。愛佳のことは以前から可愛いと思っていた。
僕は自分の頭の向日葵をまさぐって、出来始めていた種を一粒むしりとってから愛佳に近付く。
「髪にゴミ付いてるよ」
愛佳の頭に種を乗せると、種はみるみるうちに発芽して、愛佳の地肌に根を張っていく。ポン、と新芽が出ると同時に、愛佳が口を開いた。
「将暉くん、前から話してみたいと思ってたの。ちょっと話さない?」
それから一週間もしないうちに愛佳から告白を受けて、僕たちは付き合うことになった。

想いの花。恋をすると芽吹く花。種は自然と落ちたり、風に乗って運ばれたりして近くにいる人の頭で芽吹く。そして種を飛ばした相手を好きになってしまう。世の中の恋愛がこうして行われていることを知っているのはおそらく、この僕だけだ。

水族館、遊園地、映画館。思い付く限りの場所に行った。愛佳とは趣味も合わなければ話すらも合わなかったが、なにより愛らしい顔をした愛佳とのデートはそれらを忘れるほどに充実していた。
半年、一年と時が過ぎるにつれ、愛佳の想いの花は徐々に瑞々しさを失っていったが、それには気付かないふりをした。


移動教室のため廊下を急いでいると、「愛佳ってさ」という声が聞こえてきた。
「かわいいよな。彼氏とかいるんかな」
「いるらしいよ。冴えないやつ」
「え、じゃあ俺いこっかなあ」
瞬時に脳がカッと熱くなった。振り返ると声の主たちはちょうど角を曲がったところらしく、姿は見えなかった。おそらく隣のクラスの目立つやつだろう。山崎という名前だった気がする。
おのれ、愛佳は絶対に渡さん。

僕の決意も虚しく、愛佳と山崎の仲は日に日に深まっていくようだった。友達の範疇ではあるものの、山崎が僕たちのクラスに顔を出す回数は格段に増え、廊下ですれ違えばアイコンタクトを交わしていた。徐々に近付いていく二人を見て、奥歯をギリギリと噛み締める日々。

ある日、廊下で談笑する二人を見かけた。愛佳の想いの花は種をぎっしりと実らせて、重たそうに頭を垂れている。
「山崎くん靴紐ほどけてる」
「ほんとだ」
その場にしゃがみこむ山崎を愛佳が覗き込んだときだった。ふっと愛佳の頭から何かが落ちるのを、僕は見逃さなかった。

「危ない!」
僕の声が廊下に響いた次の瞬間、山崎はその場に倒れこんでいた。急に走ってきた僕の体当たりを正面からくらったのだから無理はない。
「なにが危ないだよ、いってえ」
廊下に落ちている愛佳産の種を確認する。間一髪。危なかった。「今日は日差しが強いからね、紫外線がね」などと誤魔化してみたが、愛佳と山崎の鋭い視線を一身に受けて、その場を立ち去ることしかできなかった。

それから何度も何度も、愛佳の想いの花は山崎の頭目掛けて種を落とそうとした。
その度に山崎は僕に突き飛ばされ、叩かれ、とうとう僕を見かけると走って逃げるようになった。そのうち種はひとつ、またひとつと土に還り、愛佳の想いの花は中心に大きなひとつの種を残して生涯を終えようとしていた。


「学校、楽しかったね」
「うん」
愛佳との帰り道は、一日のご褒美のような時間だった。いやそうあるはずだった。
最近は二人とも疲れ果て、至極意味のない会話を交わすだけの時間になっていた。
「最近山崎くんとさ、……あ」
愛佳が不自然に言葉を切って前を見たので、愛佳の目線を追う。表情の抜け落ちた山崎が、行く手を塞ぐように仁王立ちになっている。

「将暉、今日こそは」
山崎の手には漫画でしか見たことがないようなどっしりとした木刀が握られていた。
「ち、違うんだ山崎、お前を攻撃したいわけではなく」
「うるさい、毎日毎日意味もなくぶつかって来やがって、今日こそは決着をつける」
山崎は喋りながら木刀を振りかざしてこちらに向かってきた。愛佳が見ている手前、逃げることも出来ないのでとりあえず身を低くする。山崎はというと僕が逃げるとばかり思っていたようで、おろおろと視線を泳がせながらこちらに向かってきた。山崎も愛佳が見ている手前後には引けないらしく、仕方なく木刀を横にして順手で持ち、リンボーダンスの棒のように迫ってくる。

僕が山崎の木刀をくぐった瞬間、そして山崎が腹に僕の頭突きを受けた瞬間、今年一番の突風が吹いた。
しまった、と思ったときには遅かった。
風に乗った愛佳の種は、身を低くした僕の頭の上を通りすぎ、山崎の頭にぽとりと落ちた。

「ああああああああ」
自分の声とは思えない野太い声が辺りに響く。木刀を両手で差し出すようにしてうずくまる山崎と頭を抱えて泣き喚く僕を、少し離れたところでぽかんと眺める愛佳。不可解な状況に人がわらわらと集まってくる。
「なにやってんだ」
人混みに紛れてやってきた担任の教師が、丸めた教科書で僕の頭を小突いた。

「あ」

僕の想いの種は眼前を通りすぎ、通りがかったゴールデンレトリバーの頭にぽとりと落ちた。



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