【3分小説】わたしたちの秘密基地

友達ができた。じっとりと蝉が鳴く、八月のことだった。

校庭の隅にはトタンでできた体育倉庫があり、その倉庫裏とフェンスの間には、樹齢の高い八重桜の木が生えていた。春が終われば人気を失うその場所は、私だけが通う秘密基地だった。夏が近付くにつれ葉の緑が不気味なほどに色味を増すことも、この時期のこの場所に誰も寄り付こうとしない理由のひとつだ。
八月の西陽に焼かれた校庭の隅、生い茂った葉のおかげで幾分かひんやりとしたその場所で、私は彼女と出会った。

夏休みも折り返しに入ったあの日、いつものようにこっそりと理科準備室の窓から外に出て、フェンスに沿うようにして秘密基地に向かった。先生の“指導”はいつも夕方に終わるから、そのまま誰にも見られないように隠れつつ八重桜の下で休むのが私の決まりになっていた。

先客がいる、と気付いたときには相手はもう八重桜の枝をくぐる私に気が付いていた。
「ちょっと涼しいね、ここ」
私の意識は初対面の相手の馴れ馴れしい第一声より、別のところにあった。
「なにこれって顔してる」
「あ、ごめん」
私は急いで目線を外した。目の前の女の子の、青い腕から。生まれつきなの、と彼女は言った。
「そんなことよりここ、私たちの秘密基地にしない?涼しいし、静かだし。ね、そうしよ、決まりね。」
彼女は自分の腕を好奇の目で見られていたことなんてまったく気にしていない様子で矢継ぎ早にそう言うと、私を手招きして言った。
「私、あなたと喋りたかったんだよね」

彼女と仲良くなるのに時間は必要なかった。
彼女はいつも機嫌が良かったし、まるで自分と話しているかのように波長が合った。お互いのことを知っていくのがどうしようもなく楽しくて、会う回数を重ねる毎に、誰にも言えなかった秘密も共有できるような仲になっていった。お母さんがお父さんのクレジットカードをこっそり使って怒られていたこと、私の部屋にある蛙の死骸のこと、大好きな先生の“指導”のこと。
彼女はいつも長い黒髪を青い指に巻き付けながら私の話を聞いていた。私は彼女の細くて清潔な爪が好きだった。
私が先生に呼ばれて学校に来る日、彼女は決まって八重桜の下にいた。

ある夜、コンビニで牛乳を買ったときのことだ。
「あ、冬服おばけだ」
「ほんとだ、暑そー」
聞き慣れた言葉を背中に受けて振り返ると、クラスの男子二人組がコンビニの前でしゃがんでいた。私が前を向いて歩き出した後も、後ろからはわざとらしい笑い声がしばらく聞こえていた。

「なんで長袖なの?」
次の日の秘密基地で彼女の呑気な声を受けて、私はしばらく黙ってしまった。
「……痣、があるから」
「痣?」
私が袖を捲って腕を見せると、彼女は少し困った顔をした。私の痣は、彼女の青い腕に比べれば掠り傷程度のものなのだ。
「先生がね、私が抵抗すると、つねるんだ」
黒髪が青い指に巻き付いていく。薄ピンクの、華奢で清潔な爪。
「先生はほんとに私のことが好きなのかなあ」
巻かれる余裕のなくなった髪が、彼女の指から解放されてくるくると落ちていく。
「うーん、好きだと思う」
「ほんとに」
「ほんと。だって好きじゃなきゃ、そんなことしないでしょう」
「そう、なんだけど」
自信なさげに言葉を濁す私に呆れたのか、彼女は勢いよく立ち上がって言った。
「でもね、ひとつ」
「うん?」
「苦しくなったら、ちゃんと仕返しをすること」
私はそのとき、彼女の言っている意味がわからなかった。先生は苦しいことしないよ、という自分の声は思ったより小さく、秘密基地の地面に吸い込まれるようにして消えた。

「先生、私のこと好き?」
「当たり前だよ」
好きじゃなきゃこんなことしないでしょう、という先生のくぐもった声が自分の胸元から聞こえてくる。
「じゃあ、みんなに言おうよ」
「え?」
「付き合ってますって、親にもちゃんと言って、ほら、挨拶?とか……」
そこまで言ったところで、先生が細かく震え出した。
「どうしたの」
「いや、面白くて」
くくく、と笑いを堪えた先生が心底可笑しそうに顔を歪める。
「あのね、二人の秘密って言ったよね。秘密の方が楽しいでしょ」
「ううん、みんなに言った方が楽しい。だってデートもしたいし、先生だって」
そこまで言ったところで、自分の声が聞こえなくなった。急速に頭に血が溜まっていくのが分かる。だんだん視界が赤黒く染まっていって、あれ、苦しい。苦しい。苦しい。
『苦しくなったら、ちゃんと仕返しをすること』
無我夢中だった。指先に力を込めて先生の手の甲、手首を抉るように引っ掻いた。耳に水が入ったみたいにボワボワと誰かの声が鳴る。仕返ししなきゃ。痛いかな。先生、先生、ごめんなさい。


九月、未だ活気を失わない蝉の声の中、八重桜の木の下で女子生徒の遺体が見付かった。腕は痣で青紫色に変色しており、長い黒髪が粗雑にかけられた土から覗いていた。剥がれかけた華奢な爪からは、女子生徒のクラスを受け持つ教師のDNAが採取されたという。


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