愛じゃなくてよかった
うまくいかなかった一日の終わりに、トイレットペーパーを延々と巻き取ってしまうことがある。がらがらと巻き取られていくトイレットペーパーは私の両手の中で白い塊になり、適当に使われて捨てられる。半ば無意識でやるもんだから、両手に巻き付いた白い塊を見て、ああ、今日もままならなかった、と思う。
この間、好きな人とお別れをした。私には到底釣り合わないような、やさしい人だった。
“やさしい”という言葉は、使う人によって○でもあり□でもあるような、様々な形状を示す言葉であるように思う。私が今ここで言うやさしさとは、人になにかを与えるというようなプラスの意味ではなく、「人への執着心のなさ」「見返りを求めない心」「機嫌の波が一定であること」などである。
羨ましかった。人を好いて、依存し、食い荒らしてもなお無いものをねだるような私にとって、穏やかで朗らかで、自分の持ち物だけで生きていける彼は憧れそのものだった。
私は結局憧れにはなれなかったし、色々なことが噛み合わずに、噛み合わないということが合致してしまった。生活から引き算をしただけなのに、欠けてしまった幸せの部分が「これであってるのかな」という疑問に成り代わる。恋愛という“行動”をする人が多いこの世の中、みんな本当にすごいよ。こんなにややこしいことをよくやってる。
気を紛らわすのではなく、新しい“気”を持った自分を作るために、一人旅に行くことにした。せっかくなら涼しいところがいいと、本屋の旅行雑誌コーナーで避暑地を探した。好きなYouTuberさんのトークライブも予約した。好きなことはもう見当たらないから、好きだったことを書き出してひとつひとつ確かめて行こうかな、なんてことも考える。
私はあなたみたいになれないけれど、あなたみたいになれない私のまま生きていける術を探しますね。浮かない気分のまま過ごす今もあっていいんだと言い聞かせながら。
今日も両手に巻き付いたトイレットペーパーを見て、これが大切なものじゃなくてよかったと思う。引き出せるだけ引き出して、適当に使って下水に流すような、そんなことをする前に終わらせてよかったと思う。両手に巻き付いてだらんと端を垂らしたものが、愛じゃなくて本当によかった。
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